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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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ゴルトベルク第11変奏

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第11変奏は蝶々のよう。
この曲を弾くときは、様々なシーンに包まれる。

上行下行のモティーフを蝶の羽のように感じる。
羽を広げ、羽を閉じ、休んだり軽く翔ぶ様子に
水撒きをすると直ぐに飛んでくる蝶々たちを思う。

大手拓次は「4月の顔」の詩の最後を
「うすい絹のおもてにうつる青い蝶蝶の群れ咲き」
で表わしているけれど、
詩人の感性とこの曲は合体している。
あるいは、ナボコフがジッと蝶々を見つめている。



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by mhara21 | 2008-07-22 10:58 | エッセイ | Comments(0)

フランス旅行   ただし共感覚で

 
父が残してくれた財産の多くは全集ものであった。中でも昭和38年に第1回の「フランス」が配本された「世界の文化地理シリーズ」は私の宝物である。写真が美しく、ていねいな地図がついているので、子供でも世界旅行ができる。

 私はヨーロッパにまだ一度も行ったことがないが、文学作品や紀行文で、その場に連れて行ってくれる文章に出会うと、魔法のじゅうたんに飛び乗るように地球をまわる。

 7年暮らしたトロントでは「キャラバン」という移民のお祭りがある。ロシアからの独立を主張する民族のパビリオンでの食べ物の味を思い出しながら、読むロシアものも楽しい。

 共感覚者の書いた書物は、共感覚者でない読者を魅了することは稀であるような気がしている。共感覚とは、匂い(嗅覚)、音(聴覚)、色(視覚)、味(味覚)、手触り(触覚)等の感触が入り乱れて、その人独特の感じ方を創るものである。

 ナボコフは、20世紀3大文学作品にプルーストの「失われた時を求めて」とジョイスの「ユリシーズ」、ベールイの「ペテルブルグ」を挙げている。ナボコフの愛読書である三冊の書物には共感覚的な要素を感じることがある。

 ジェースキント著「香水—ある人殺しの話」は、嗅覚の恐ろしく発達した人物を主人公に度がはずれた物語が展開する。フランスの香水の調合師たちは、選びに選び抜かれた嗅覚の持ち主で、結婚する時も鼻の血統を調べ抜くといわれる。

 共感覚は遺伝する。たとえばプルーストの母親も共感覚者であると思う。「ボードレールは半分だけ好き」と言う彼女の言葉はボードレールは共感覚者でないと感じたから、出て来たものだろう。
 共感覚者は、記憶に優れ、想像力が豊かである。仏詩人ならランボー。日本の詩人なら、谷川俊太郎と大手拓次が思い浮かぶ。

 日本人に共感覚者は極めて少ない。それは人と同じであることを求める文化土壌が、理解出来ないものを認めない傾向が強く、人と変わった表現をする共感覚者を暖かく育てられないのだと思う。
 日本の文学者には、音を聴いて色を感じる人等、いないように思うし、音楽家で色聴のある、フランス人ならメシアンのような作曲家もいない(私がまだ探し当てていないのかもしれない)。
 色にうるさいフランス人、グールドの一生と芸術を己れの哲学的解釈の中に埋め込んだ作家シュネデールは共感覚者で、それゆえに「ママン」という、プルーストの両親の話まで含めた名著を出版した。ヨーロッパの文化が日本と違って共感覚者の花盛りなのは、とてもうらやましい。

 あの長い「失われた時」(ちくま文庫・井上究一郎訳)から、私の好きなところを抜き書きする。旅行以上の旅行ができるから——。

 あすになったらすぐ1時22分のあのゆったりとした、りっぱな汽車にのりたい、と私は思った。鉄道会社の広告や、周遊旅行案内に出ているこの汽車の発車時刻を、私はいつも胸を躍らさずには読むことができないのであった。その時刻は、その日の午後の正確な1点に、興味をそそる切れこみ、神秘な目じるしをつけているように思われた。この1時22分という時刻からそれてゆく時間は、なるほどさらにその夕方へ、そのあくる朝へとつづいていた。
 しかしわれわれがその夕方や朝をむかえるのは、パリではなくて、汽車が通ってゆく町々の一つ、汽車がわれわれに選ばせてくれる町々のどれか一つにおいてであろう。なぜなら、汽車はバイユーに、クータンスに、ヴィトレに、ケスタンベールに、ポントルソンに、バルベックに、ラニヨンに、ランバルに、ブノデに、ポン=タヴェンに、カンペルレに停車しながら、満載しているそれらの数々の名を私のまえにさしだし、堂々と前進していったからであり、私はそうした名をどれも選択からもらすわけにはいかず、どれを選びだせばよかったかわからないのであった。——
中略——

 私の健康がかたまるとしたら、そしてバルベックに滞在しに行くことはかなえられないまでも、せめて一度ノルマンディかブルターニュの建築と風景に親しむために、あんなにたびたび想像のなかで走らせたあの1時22分の汽車に乗ることを両親がゆるしてくれるとしたら、私はもっとも美しい町に真先におりてみたいと思った。しかしもっとも美しい町を割りだそうとしても、それは虚しかった。たがいに置きかえられない個性的な存在のなかから、どうしてほかよりもすぐれたものを選びだすことができよう?

 ——たとえば、赤味をおびた高貴なレースをまとってあんなに背が高い、そしその建物のいただきが最後のシラブルの古い黄金に照らされている バイユーBayeux、
そのアクサン・テギュが黒木の枠で、古びたガラス戸を菱形に仕切っているヴィトレVitre、
黄色いたまご殻色から、パールグレーにおよんでいる一帯の白色のなかの、やわらかなランバルLamballe、
その脂っこい、黄ばんだ、端の二重母宇が、バターの塔を戴冠させているノルマンディの大聖堂のクータンスCoutance、
ひっそり閑とした田舎の静けさに、蠅がつきまとう駅馬車のひびきをつたえるラニヨンLannion、
詩趣ゆたかな水郷の道のほとりにちらばっている白い羽と黄色いくちばしの、ほほえましい、素朴な、ケスタンベールとポントルソンQuestambert、Pontorson、
川がその藻のまんなかへひっぱりこもうとしそうに見えるのに、あやうく岸につながっている名のブノデBenodet、
運河のみどりの水にふるえながら映ると見るまに、白く、またばらいろにさっととびたつ、軽快な羽かざりの婦人帽をつけたポン=タヴェンPont-Aven、
中世このかた、小川の流と流のあいだにますます深く根をおろし、一方いぶし銀のねたば寝刃になってしまった日の光がステーンド・グラスの窓の蜘蛛の巣越しに描きだす薄墨色の淡彩画のなかで、せせらぎの音をひびかせ飛沫の真珠を「まきちらし(サンペルレ)」ているカンペルレQuimperle、
 以上のような町々のなかから、どれを選びだすことができよう?



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by mhara21 | 2007-04-02 15:13 | エッセイ | Comments(0)

後追い日記84年7・お浄め

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#お浄め 

『子守歌』は、きれいに弾けていった。
「すごいわ。これ、難しいのよ」とマリーナ。
4月7日、スクリャービンの練習曲の譜読みが始まった。
春嵐で、首の筋肉がのた打ちまわる程痙攣して痛んだ。 

マコはマリアの所で、いつものように悪口を喚きながら、お浄めを受けていた。
「葬式ごっこ」の話に、イタリー人のマリアは
「それは人生がきつすぎるのよ。死なんてことさらに願うものではないわ。
 あなたの激怒と憤慨の大きなエネルギーはたぶんお母さんの夫への憎しみが強すぎて、それが胎教で胎児に伝わって、生まれた子供が同じことをしていると思う」と言った。

 そこで神様に「寛容の精神を下さい」とお願いすることになった。
 マリアの家で、神様にお祈りすると肝臓でビキッっと手応えがあった。

 下宿に帰ると父の写真を捜し、横になって肝臓に当て、「遠い胎児の頃に戻る」と暗示をかけた。母の父への憤激の最中に戻って、「お父さん、有難うございます」と。肝臓の中の捻れていたような部分がグキッグキッとほどけて、血が通い、腕の痛みが、軽くなっている。

 「肝臓の悪い人は怒りっぽい」とか、「肝臓にはたくさんの細い血管が走っている」と聞くが、腕の痛みの原因は、母親の父親へ激怒発作で胎児のマコの筋肉をひきつらせていたのだ。


 ドン・ジュアンより

  肝臓は胆汁をためておく
  貯蔵室にちがいないのだが、
  その機能働かせることは
  めったにないのである、
  というのは、最初の激情が
  そこにながく止(とど)まるから、
  ほかのもろもろの激情が
  しのびこんできて、糞堆(ふんたい)に
  とぐろまく蝮(まむし)たちのように、
  ひとつながりになるからだ、
  怒りも、恐れも、憎しみも、
  嫉妬や、復讐や、悔恨も、
  ありとあらゆる害毒が
  この内臓(ぞう)から跳びだしてくる、
  「中心火」と呼ばれる隠れた
  火から地震が起こるように。


レッスンでスクリャービンを弾く。
「まぁ、あなた、この1週間に一体どんな事があったのか教えてちょうだい」とマリーナ。
マコを妊娠中の母が悲嘆にくれて暮らし、穏やかでない心そのままにマコの右腕も痛んでいたけれど、神様に寛容の心を下さいとお願いして祈ったら、痛みが少し減ってピアノが弾き易くなったことを話した。

妊娠中の母親の状態と胎児の関係には、ボイド著「ナボコフ伝」にナボコフの弟の状態が、母親の胎教のせいではないか? の記述がある。
当時ナボコフの母は、実の親の世話で疲労困憊していた。それで、ボロージャ(ナボコフの子供の頃の愛称)とは全く違った弟が出来上がった。

マコは、17才の時からの愛読書「ツァラトゥストラ」を読んでいた。ニーチェ程「自分を愛する」ことを説いた哲学者はいない。
第三部の「重力の魔(もしくは重力の精について)」で、ある訳者は「とみこうみ」左見右見の言葉を使って、ニーチェの批判するところの「隣人への愛」の愚かしさを訳出している。ニーチェ自身は、悪臭を放つ、病者の自己への愛についても言及しているが、一読すると、マコの魂のように、諸々の人間の苦悩をかき集め、幼い時から苦しんで来た人間は、どう考えればいいのだろう。

「モーツァルトとの散歩」には、数回ニーチェへの言及がある。洒落ている。エレン・ケイの著作にもニーチェがほんの少し顔を出す。ほんのちょっぴりがニーチェにはいいように思う。



84年8へ




**********************************
by mhara21 | 2007-01-06 16:35 | 後追い日記84年 | Comments(0)

後追い日記81年2・ヴァンクーヴァーへ 

英語版1981年日記  ← クリックすると一覧が出ます。
English version of 1981 diary  ← Click here for the list.

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#ヴァンクーヴァーへ 

ようやく抜け出せる日本。日本社会は重苦しく、自分の居場所が見つからない。
マコには「日本人」という自覚はない。この国では「社会の仲間入り」をしたことがなかった。

さしづめ「粗大ゴミが、カナダへ行く」。
1952年生まれ、日本育ちのマコは、
戦争による混乱や権力者による社会的抑圧など想像することもできなかった。

1998年、日本の不登校の小中学生は10万人を突破した。
マコが学校に通ったのは小学5年生までだったが、学歴のない事で困ったことはない。
就職のための履歴書やお見合いのための釣書を書いたことがなかったから。
それは自分で食べる心配をしないでいいからであった。

28才というのにまるで小さな女の子。
闘病生活が始まると自分の世界に引きこもって生きるくせがついたこと、
体のこと以外は世の中の辛い現実に直面しなくていい生い立ちのせいだ。

22才の時、目が見えなく耳も聞こえない狂気に連れ込まれた。
全身がしびれてゾッとするガス、体の闇の世界だった。
絶望したマコは自殺しようとした。
雨が降る前や風の吹く日は、体の痛みがひどくて死にたくなった。
この世に生きて何のいいことがあろうか?

マコがいるのはこの世(サグ)とあの世(ナユグ)をつなぐ特殊な世界。
霊能者の家に預けられた時も
「こんなに霊魂が来るのでは一生苦労が絶えないね」
といわれた。
チャグム皇子のように魂だけになって異界に飛んだことがある。
その時の道案内人は、ニーチェの「ツァラトゥストラ」と同一人物だと言い張る。
この世の人々だけでなくあの世の人々の心の苦しみを背負う憂鬱と桁外れの魂の飛翔は、
シューマンの音楽の中に表現されている。だからシューマンを愛している。

マコはウラジーミル・ナボコフと同じ「共感覚者」。
共感覚者とは、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚が入り乱れて感じられる感覚であり、
この才能の持ち主は記憶力が優れていることが多い。
時間の感じ方が共感覚者でない人と違うことに特徴がある。

ナボコフ・ランボー・プルースト・ジョイス・スクリャービン・リヒテルは共感覚の持ち主である。
音を聴くと色、形、におい、味、手触り(触感)を感じる。音を視て、どんな色か表現するのである。
「ウィルヘルム・バックハウスの音は茶色だから好きになれない」
「クラウディオ・アラウの音は熱いからきらい」
調性は「ト長調」にご執心。

自分のことは、大好きなニーチェも理解不能だと思っているので、
「ニーチェなら自分のことをわかってくれる」
というニジンスキー(ダンサー)がうらやましい。
でも「ナボコフなら、私を理解可能」と考えている。

果たしてグールドはマコを受け入れることができるのか? 
マコの長年の思いがグールドに通じる日がカナダで訪れるのだろうか?

太平洋戦争で死亡した伯父のことを考える。
死にたくなくても死ななければならない人生もある。
東京経由でボルネオへ向かう出立の朝、
ベートーヴェンのピアノソナタ#18 変ホ長調op31-3の「メヌエット&トリオ」を弾いてから、
台北東門長の自宅に別れを告げた。
マコがシュナーベルのレコードでこのメヌエットを聴いていた時、
「これ、東門おじさんがボルネオに行く日に弾いていた曲」
と母が目に涙を浮かべて教えてくれた。
地質学者でピアノが上手だった伯父。
1年4ヶ月後の1945年4月1日夜半、帰国のため日本に向かっていたミドリ十字戦阿波丸は、
台湾沖でアメリカの潜水艦によって撃沈され、海底に沈んだ。その時28才6ヵ月。


マコと同じ辰年の9月生まれの伯父。伯父は音楽を愛し、この世に思いを残してなくなった。
その気持ちに報いるためにもカナダでは死にたいと思うのは止めよう。

人間の魂の中には先祖の想いが眠っているのではないだろうか? 
マコは血の中に伯父の音楽への想いが流れるのを感じた。

カナダでなにが起こるだろうか。でも怖いことは少しもない。
グレン・グールドがカナダにいるから。
ファンが高じてストーカーになれば人間怖いものなしで行動できるのは周知の事実。
ただ標的に迷惑を掛けて嫌がられるか、ある種の好意を持って受け止められるか‥‥‥。

「グールドが私に会うはずがない。でも行かなければならぬ」
世界の一流品に恋する人々は、大抵しがない身の上を囲うことになる。


next 81年3へ





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by mhara21 | 2006-04-05 19:06 | 後追い日記81年 | Comments(2)