合い言葉GG
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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


☆このブログの本拠地は
 海峡web版  です。

グールド、並びにグールド家からのプレゼントはこちら。

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 グールドの本とそのメモ書き
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カテゴリ:後追い日記81年( 92 )

後追い日記81年29・英語で話すということ

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#英語で話すということ

教会ではピアノを弾く背中の所に大きなヒーターがあって暖かだ。帰りにスイッチを消すように言われた覚えはない。
人は自分が要求しない内に叶えられた事柄については感謝はしても忘れてしまうものなのかもしれない。
稀に牧師さんとかち合うことがあり、その時は帰ってきた。

お礼として献金をした。「無料です」と言われたけれど、「そういう訳には ‥‥」という意味でどういう英語を喋ったんだったか‥‥。
英語はいつもチンプンカンプン。彼と彼女 ( heとshe ) を間違えるなんていうのはしょっちゅうだった。

マーサは8月24日に男の子を生んでいた。その名前をマコは長い間、「ジェーン Jane 」だと思っていた。
「彼の名前はジェームスよ。ジェーンは女の子の名前」と言われるまで気が付かなかった。
そう言えばアメリカでは台風に女性の名前を付ける。「ジェーン台風」「キャスリーン台風」
そしてジェームズが男性の名前とも知っていたのだけれど、生きている人間に触れての知識ではなかった。

人前で上がってしまうと母国語でもうまく話せない。聞き取りも出来ない。外国語も同じだ。現地で英会話を覚えるのは無理な話。英会話こそ自国で学び、意味合い、程合いの加減を知っておかなければ思いもかけないところで相手の人をバカにすることになる。
1つの言葉の背後の状況を知っておくのは大切なことだった。

ラジオのテキストの丸覚え以外に下地のないマコの英語は、けもの道のよう。言葉のストレスはひどかった。
頭が回り過ぎるのか、気が走り過ぎるのか、音がつかめない。
沢田美喜さんの本に語学を身につけていれば、立派な体格や宝石以上だという言葉があった。言葉が出来ると恐怖心が少なくなり、相手も言葉上から起こる警戒心がなくなる。

仕事をするのでなければ、同じ心を持ったもの同士、テレパシー的な言語が通じる。話が出来ないよりは出来た方がいい。それが語学だった。その出来具合によって、ピンからキリまでの生活が待っているのも、他の能力と変らなかった。



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写真  ジェームスとその弟妹



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by mhara21 | 2006-05-10 10:17 | 後追い日記81年 | Comments(0)

グレン・グールドからの贈り物 2 by モニカ

グレン・グールドからマサコさんが戴いたサイン入りレコード。
「後追い27」で「28にアップする」と書いたけれど、
こんな貴重な写真を、全然関係のない記事に張り付けるのはもったいない。
そこで別記事をたてて、アップすることにした。
これで「そんな話.........」と信じてもらえない人にも、見てもらえる。

    これが、サイン付きレコード「ワーグナー」の表。
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    ワーグナーの裏。左上にサインがある。
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    サインのアップ。”For Miss Hara best wishes Glenn Gould"と書いてある。
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前に「海峡」にアップした時にも書いたけれど、しつこくもう一度!

 みなさん、有名になって人にサインをあげる時には、
 インク切れのボールペンなんかでサインしないようにしましょう。

 みなさん、有名な人からサインを貰ったら、
 そのサインが擦れないように大切にカバーをかけて保存しましょう。

後追い日記81年28を読む

後追い日記81年27・グレン・グールドからの贈り物 1へ戻る






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by mhara21 | 2006-05-09 23:45 | 後追い日記81年 | Comments(14)

後追い日記81年28・虫騒動 

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#虫騒動 

トロントは素晴しい紅葉のシーズンだ。
それだのに、家主の梁氏がどこからか持ち込んだ古い木材のお陰で、蚤だか南京虫だかすごい虫が家中に現われ、マコの新たな苦難が始まった。台所修理費用を安く上げようというのだ。

噛まれに噛まれて全身はメチャクチャ。
柔らかい所がおいしいのか胸の噛み跡を目にした人は思わず目をそらせる。
マコはアレルギーかも知れないと思い、初めの内は遠慮をしていた。
家主達も教会で噛まれているのだと言い張った。

しばらくしたら家の人々も噛まれ始めたので、真剣になり、お詫びの言葉が出た。
貧乏クジを引いたマコ。ひどい所だけでも40ヵ所の噛み口が数えられた。
それにしても4ヵ月の赤んぼうがいたのに。赤ん坊が一番に噛まれればよかった。
虫は家で一番体の弱い人から噛み始める。
マコは赤んぼより抵抗力がなかった。

薬局で求めた薬は夜寝る前に薄めて全身にかけるものだった。
既に掻きむしっている皮膚にはこの薬はこたえた。
でも新しく噛まれるよりはマシだった。
お金は色々なトラブルを解決する。家主がお金を出して新しい建材を求めていたら、虫は運ばれてこなかっただろう。

夫妻は倹約家であった。
あるとき、「ピアノを買いたいから世話をして欲しい」と頼まれた。
売り主のアパートでピアノを調べていると、やって来ての開口一番が、
「あなた達2人は友人同士か?」
「いいえ、今日会ったばかりよ」

もし仲がよければピアノの買い物でだまされると見ていた気配を感じ、感心した。



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by mhara21 | 2006-05-09 09:20 | 後追い日記81年 | Comments(2)

後追い日記81年27・グレン・グールドからの贈り物 1

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#プレゼント

「グールドさんからあなたへのレコードを預かっているわ。彼の世話をしている男性がわが家に届けたの。あいにく私は外出中だったのよ。グールドは今、とても忙しくてあなたに会えないって。マコを普通のグールドファンと間違えている。どうやってその事を伝えたらよいだろう? 手紙を書いてみようか? と話しているのよ」

 フランシスから聞いたグールドの答えは予想通り。そんなことは分かっている。たとえ暇でも会わないでしょう。

 サウスウッドの近くに用事が出来たので、約束の日時とは違うけれど我慢できずにスミス家に立ち寄る。寝ていたロバートを起こす事になり恐縮してしまった。

 かくてマコがグールドの部屋からそのまま届いたようなサイン入りレコード5枚のプレゼントを手にしたのは10月4日。その1年後にグールドは亡くなったのだ。

 宝物のレコードを抱え、ダンダス通りまで地下鉄に乗り、路面電車に乗り換えて、キラキラするオンタリオ湖にレコードの事を伝える。

 12年間グールドの世話をしていたレイ・ロバーツ氏によると、グールドは迷信的習慣で、自分のレコードを人にあげないようにしていたという。
グールドが自分のレコードを殆ど聴かないので、ロバーツ氏が「ちょうだい」と言うと「今日はいい日じゃないから」と断わられたそうだ。

 マコへのプレゼントは、非売品のワーグーナー作曲グールド編曲の「ニュールンベルクのマイスタジンガー第1幕の前奏曲」と「神々のたそがれ」から「ジークフリートの牧歌」にサインをしたものと、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲のレコードであった。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲のレコード(4枚組ー表紙は一番上の写真)

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ケースの中は左右とも解説書
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For Promotion Only
Ownership Reserved by CBS.
Sale Is Unlawful と書いてある。
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サイン入りレコードを見る グレン・グールドからの贈り物 2 へ










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by mhara21 | 2006-05-07 01:51 | 後追い日記81年 | Comments(18)

後追い日記81年26・イミグレーション パート2

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#イミグレーション パート2

 10月1日、イミグレーションの日。待合室には係官が順番が来た人の名前を呼びに自分の小さな事務室から出てくる。
 その中でこの人に当たるといいなぁと思っていた。だから彼から名前を呼ばれた時は嬉しかった。女性より男性の方が遥かにやり易いと聞いていたけれど、これ程スムーズにヴィザが出るとは。
何も話さないのに向こうから「8ヵ月でどうでしょうか?」と82年5月15日までのスタンプを押した。

イミグレーションには最初からの記録が保管されていると後に知ったけれど、この係官は気前がよかったのだろう。

 イミグレーションから躍り出るとデパートに直行。越冬用に中国製のダウンのコートを買う。26ドルもする鹿皮の手袋も買う。喜びも悲しみも買い物で表現する愚かな人間。
嬉しさの余りダウンコートを着て街を歩いた。路面電車に乗ってもジロジロと見る人はいない。外国人は人の目や顔をジーっと見るが、人と違ったことをしている人間に好奇の目を向ける人は少ない。



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by mhara21 | 2006-05-05 09:50 | 後追い日記81年 | Comments(0)

後追い日記81年25・トロントあれこれ 

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#トロントあれこれ 

語学学校のハンザのコースは1クラスだけ。
懐かしい級友のマルセイラはノースヨーク市で住み込みのベビーシッターをしていた。
「いつも一緒に寝る子はかわいい。母親なんてとんでもない職業だわよ」と結婚に憧れるマコを戒めてた。

ハンザ近くの素敵な建物に入るとレイモンド・モリヤマ設計のメトロポリタン図書館だった。
2Fで懐かしいレコードを聞くことが出来た。

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動物園、サイエンスセンター、オンタリオプレイス、どこでも1人で出かけた。

市庁舎では生きている馬に見とれていると、「ハーイ」と友好的な声が上から降ってきた。見上げると当り前だけど人が乗っていた。人間に気付かないで夢中で馬を眺めていたのだ。
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トロントはおいしくて冷たい水が出る。
茹でた2束のそうめんを水にさらす時、川で洗う白い着物のようだった。
トロントの野菜は少しアクが強く、果物も大まかに売られていた。


1人暮らしをすると自分の世話をするのに時間がかかる。
3食きちんと「食べさせる」のはなかなかの仕事だった。

台所は北側で、西に面していた。裏庭は広く、その向こうに小さな家みたいな納屋があった。台所の横のドア付き階段が、私の部屋に近かったのでよく利用した。階段の下は物入れであったが、ネズミが出て大切な日本食品を食い荒らされた。
他の下宿でも服をやられた。古い家ではあることらしく、都市部に住んでいる割には田舎生活が楽しめた。


9月は、アレルギーの状態を良くするために、練習を減らして他の事に気が向くように動いた結果、9日練習し、平均すると毎日21分の稽古となった。症状の1つである発疹は英語で rash という。日本での英会話では覚える機会のない病気の単語だった。

この下宿での静かな生活も台所改造でテンヤワンヤになるのだ。
何日かは料理が出来ず、家は古いチリや埃りで汚なくなった。

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  ↑写真は現在のメトロポリタン図書館



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by mhara21 | 2006-05-04 10:51 | 後追い日記81年 | Comments(1)

後追い日記81年24・マコの日記

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#マコの日記 8月30日

フランシスに貸してもらった本にグールドの父上ラッセル・ハーバードの名が載っていたので、電話帳で住所を調べて探検に行った。

エグリントンの駅から、東行きのバスに乗ると、見晴しのよい丘を下り、グレンがスタジオを持っているホテルの手前を折れて進む。

地図を片手にバスを降り、61 Norden Cresentをすぐに見つけた。ここなら息子の仕事場まで車で10分だ。お父さんは、離れている時も息子の仕事を見守りたいから、再婚する時、グールドの仕事場に近い場所に家を持ったのだろう。

地下鉄エグリントン駅に直結した市内市外へのバスターミナルの情景は子供の頃、父に買ってもらった本にある写真と同じでびっくり。
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(1966年6月講談社版「世界の文化地理」カナダ・メキシコ・キューバから)

国ごとに人々の生活や歴史を紹介した全集物で、本を眺めては世界旅行をしていた。ユリで有名な沖永良部島の球根が「イースターリリー」として輸出されることや、食堂の写真では恋人たちが顔を寄せあって、真剣に夕食のメニューを見ている写真があり、こう説明があった。
「紙ナプキンのレストランなら、若い2人でも予算の心配がない」

東洋の田舎者の私は金髪で柿色のスーツを着ている美人なら、お金持ちだと思ってしまう。この説明で、外国の人々の生活や人間の本当の匂いを感じた。

グールドという一文字もなかった「世界の文化地理」であった。そのことが物足りなくて、こうしてカナダまで出しゃばっている。

玄関のベルを押す勇気がなかった。ボーッとしていると近所の人が「何かご用ですか?」と声をかけてきた。
「グールドの父上のご近所でうらやましい」と言いたかった。

能無しの特派員風情で、下宿に戻る。



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by mhara21 | 2006-05-03 10:26 | 後追い日記81年 | Comments(0)

後追い日記81年23・移民プログラム

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#移民プログラム

薬を飲み、医者に行き、8月が過ぎていく。

ピアノが弾けないので高校の校舎で行われる夜間の移民の為の英語クラスに行こうと学校に問い合わせる。
「時間に来て、クラスに入ってください」

いわれた通りに出かけて、授業が始まっている適当なクラスに飛び込む。
インド人の先生に司会をするように言われた。

授業が済むとユーゴスラビアから来た兄妹が寄って来る。
「私の国にあなたそっくりな人がいる。世界にはそっくりな人が3人いるっていうのは本当ね。髪型、アゴ、歯まで瓜二つ。声や話し方まで似ている」
兄さんもしきりにうなづいていた。

トロントは素晴しい。ヴァンクーヴァーはトロントより日本人の旅行者が多いので、彼らが移民のためのプログラムを利用しないように厳しい対応をしている。
トロントの移民のコースでは、上級クラスに上がった時、先生は「トロントにようこそ。どの位トロントに住んでいますか?」と尋ねただけ。

ユーゴ人の兄妹も夏だけトロントにいた旅行者。その後起こったユーゴの民族紛争のニュースに兄妹の無事が気になる。
学校ではポルトガル人、ヴェトナム人と知り合った。
 
昼間は医者に行くか、寝ているか、少し練習出来る時はピアノを弾いて、家で夕食を済ませる。7時頃市電に乗って明るいオンタリオ湖を眺めながらダンダスウエスト通りに着く。地下鉄に乗り換えてクリスティで降りて高校に行く。そんな生活でもトロントに迎え入れられた幸せで一杯。

新しい国に暮らし始めると、到着後すぐにショックを感じるタイプAは、可能であれば帰国する。タイプBは快適に馴染んで過ごせるが、数年経ったところでAとは違ったカルチャーショックを経験する。Bの戸惑いは深刻である。マコはBタイプだった。

7月28日~8月28日の練習時間は43、4分。弾けたのは32日のうち19日。
昔からピアノが弾けた日はとっておきの日だった。○を書いて1つの丸が30分と塗りつぶした表を壁に貼るのも楽しみだった。



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by mhara21 | 2006-05-02 09:34 | 後追い日記81年 | Comments(1)

後追い日記81年22・アレルギー

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#アレルギー

広い教会堂のステンドグラスのある薄暗い部屋はお化けが出てきそうで少し怖い。
練習に打ち込んだ3日目にアレルギー発生。顔を少し下に向けただけでジンジンした。何かやろうとするとすぐにこれだ。

小学生の頃、1日学校へ行くと1日休み、珍しく2日続けて行くと、その後3日間休んだ。あの時と体力が変わっていない。
中学生になって3日続けて通学したら全身に昼夜の別なくジンマシンが出て、夜も眠れなかった。
ある霊能者が「先祖の墓が草むしている状態を表わしていた」と解釈したが、今では先祖の墓はきれいになっているはずである。

せっかく練習の手はずが整ったのに‥‥。
下宿でポツンと寝ていると、小学生の頃、母が作ってくれた座布団が浮かんだ。灰色のサージのスカートをほどき、四角の布と小さな長方形8本のハギレにする。大きな布の角のところに「たんぽぽ」「スミレ」「チューリップ」の刺繍。チューリップは2色、スミレの花芯には濃い黄色。「たんぽぽ」はすこぶるグーなデザインで花の姿を見ていると綿毛が飛びそう。最後の一角には、母が創造した花を刺した。
彩りと才知、勇気と愛おしさをデザインして、マコの人生の花道を心豊かに表現した。

少し太めの赤の刺繍糸でレースを編んで布を繋ぎ合わせた学校用の座布団は、マコの代わりに学校で授業を受けてた。
ときどき登校すると級友が
「原さんの座布団、掃除で机と椅子を動かす時、いつも落ちるねん。そやから誰かが拾って、又椅子の上に乗せてるよ」
給食のパンは一番近い同級生がマーガリンと共にわら半紙に包んで届けてくれた。
座布団は童話本。価値観は「矜持心」。
「体が悪くても生き抜く、誇りをお持ちなさい」。

マコの母は、ヘリオトロープの匂い。とてもお茶目。グールドの事を「グレグルちゃん」「グルチッチ」と呼び、「かわいいわね」「得意になっている」と同級生のように話す。

俗気のない人で、蝋梅(winter sweet)の花の香りが尼寺の障子に移るような趣があった。花を愛し、普通なら花が咲かない様な小さなチューリップの球根から、小指の先の様な花を咲かせていた。亡くなってからも、庭の思いも掛けない所でチューリップが自然に咲く。原種のサイズである。声は春先のヒバリとウグイスの二重唱で、果物でいうとやさしく柔らかで芯がしっかりとしたクリームと肌色ピンクの「桃」だった。

子供がフランキンセンスのような自立した人に育つのを夢とした母が、半年先にガンで亡くなると知らされた娘たちは「眼鏡は買ったばかりで歯も直したのに元が取れない」と言いあった。

母は、「家の中の仕事が出来ると人の幸せに役立つ」とマコに料理を仕込んだ。
50〜60の低血圧で学校にいけないマコがやっと動けるようになる夕方、お使いに出した。
「1日に1度は外に出なければいけないよ」

それでマコは、級友たちに見とがめられる。
「病気じゃないのに学校に来ないのね」

「あなたは、学校に行ける程元気じゃないだけ。体調が少しでもいい時に仕事をすることの方が大切なの」
これが級友や稀に出くわす先生の驚きに閉口するマコへの言葉。


母の作った教会用バッグ2つ

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by mhara21 | 2006-05-01 09:39 | 後追い日記81年 | Comments(3)

後追い日記81年21・教 会

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#教 会

「あなたってピアノが好きな癖に、よく弾かなくて平気ね」と家主の梁夫人。
「子供の時から弾けないのよ。練習は体にはよくないの」

「弾きたいでしょう。この通りにピアノの先生が住んでいるわ。
教会の前辺りの家。行ってピアノを貸してもらえないか聞いてみなさいよ」

教えてもらったピアノの先生の家にはよく見ると看板が出ていた。 
マコが習いに来たのではなくピアノを借りたいのだと分かると、
「私のピアノは貸さないけれど、前の教会の人達なら貸すかもしれないわ。
電話番号を教えてあげる」

牧師さんは、「その用件ならボードンさん達にやってもらおう」と教会員の電話を教えてくれた。
「伝えておくから、今度の日曜日の礼拝が済む頃に教会においでなさい」

「自分の説教を聞きに礼拝に来なさい」と言わないところがハナハダご立派であった。



日曜日に教会に行くと美しい女性が、顔を見るなり
「マコ? マーサです。これは教会の入口の鍵です。週日の昼間ならいつ使ってもいいそうです。私はコーワンの東の通りに住んでいるの。よかったらそこまで一緒に帰らない?」

マーサのお腹もパンパンだった。
 トロントに着いてから男の子の母となる女性3人と知り合った。

「8月に生まれるのよ。あなたトロントで何をしているの?」 
「グールドって知っている?」 
「勿論よ」
そこでお決まりのお話をした。

ピアノができたので、次は楽譜だ。
電話帳をめくるが、事務系の頭を持たないマコは索引は苦手。
多分見当違いな部署だと思いながらトロント大学のどこかに掛けてみた。
電話に出た女性はこの上なく親切で「ここは楽譜の店ではないけれど‥‥」と言いながら楽譜専門店を教えた。

人間には大きく分けて2種類のタイプがある。
比較されるのは、モントリオールへ行く時、番号案内が分からずパンフレットに掲載されていたYWCAに電話をしてYMCAの連絡先を聞いたときのこと。

電話口の女性は「ここはYWCAでYMCAの電話番号を教えるところではありません」
と怒った。そしてツンケンと「YWCAにYMCAの番号を聞くなんてとんでもないことだ」と言った。
 
田中希代子のレコードで繰り返し聞いたドビュッシーの「ベルガマスク組曲」を買いに行く。ヤング通りの細長い店は、楽譜店カドヤを思い出させた。

そして大嵐の日、気味悪いながら教会に行く。母が亡くなってちょうど1年目の7月28日、練習を始める。
 
翌29日は、ロンドンからのロイヤルウエディングの生中継を夢中で眺めた。



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by mhara21 | 2006-04-30 12:58 | 後追い日記81年 | Comments(1)