合い言葉GG
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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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後追い日記84年20・テレビ出演&X’masキャンプ

後追い日記84年1へ

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#テレビ出演

そんなこんなで、人を信じられないような気持ちで生きていた。
12月に入るとウィルバーが「CBCテレビ(カナダのテレビ局)がわが家に取材に来るよ。」と言った。「トロントで暮らす留学生がどんなクリスマスを過ごしているのだろう?」と言う主旨の番組の撮影だった。
当日、新しいルームメイトのメキシコ人のエルサとマコとトロット一家はCBCの一行を待っていた。待てども待てどもCBCは来なかった。マコはトロット夫人に耳うちをした。
「私たち、担がれているのではないの?」
「んまぁ!」とトロット夫人は笑い出した。
「何故、そんな事言うの? 大丈夫よ。CBCは来るわよ」

やっとCBCが到着した。初めてのTV出演。
アナウンサーのインタヴューが始まった。質問は「日本とカナダのクリスマスの違いは?」というものだった。マコは、日本では生の樅の木をクリスマスツリーにすることがないので、カナダでふんだんに生きている樅の木をツリーにしているのが珍しい」と言いたいのに、よく喋れない英語のため何を話しているのか分からなくなった。カァーと上がって、アナウンサーの顔を見て、
「私たち、今、木のお話しをしているところかしら?」
「Yes, we are ! ! 」


#クリスマスキャンプ

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マコとエレンはクリスマスキャンプに出かけたので実際の放映は見なかった。エルサが学生センター主催のクリスマスキャンプに誘ってくれたのだ。「しんどいから行かない」と言うマコに、「駄目よ。こんなところで1人ぽっちでクリスマスを過ごしたら」と連れ出してくれた。自己管理が悪いのとしんどいので、荷物もきちんと作れなかったがついて行った。着替えの上下はキャンプの中で買った。

キャンプ場で人がサッカーをしているのに気づかず、所在なげに熊の子のようにノソノソ散歩していると、いきなりガァーンと頭にサッカーボールが飛んで来た。
「大丈夫?」と男性が2人駆けつけてくれた。
「大丈夫」と言っても念のためと、メインホールがある建物まで連れて行くと言い張った。どこの国の人とも分からない男性に雪の中、肩を左右から担いで運ばれて行くのはとても気持ち良かった。後で、遠くで見ていた日本人達が、
「『マサコさん、早よから、あんなにモテてるわ』と話していたのよ」と笑って教えてくれた。

マコは「クリスマスツリー」という名前のグループに振り分けられ、寝場所はベトナムから移住してきた女の子と一緒。
あちこちにピアノがあった。自然にARCTで弾いた曲を弾いて遊んだ。人が集まって、日本人の新婚カップルのダンナさん「フルートで『春の海』を吹きたいから、伴奏をして下さい」
キャンプのお陰で、後にパーティーのお招きを受けたりピアノのお弟子さんが増えた。

24日の午後、クリスマスツリーを切りに行こうと軽トラックに乗った。森の中で皆で木を選んで切る。電気ノコギリが唸り大きな木が倒れた。濃い緑が白い雪をはね返す。
これぞカナダのクリスマス。車に乗せてワイワイ帰ってきた。

キャンプ最後の晩は音楽会をすることになり、「春の海」も出場した。
その後は無伴奏の男性コーラスで出演した中国人の男性グループだった。指揮者が中間部の伴奏を弾いて欲しいと言いながら、その部分を弾いてみせた。
楽譜もなく、直前に1度聴いたきりのメロディーに伴奏をつける。それだけでも大仕事なのにいざ彼等が歌い始めると調子が全然違うのだ。当然指揮者が弾いてくれた調で歌うものと思っていたマコは慌てた。臨機応変に対応できないマコの性格がよく出てしまい、うまく対応出来なかった。
何で指揮者はあんなことしたのかしら。聞かせてくれた同じ調で歌を始めてくれたらよかったのに。度胸のないマコは、慌てふためいて何とも後味の悪い出来となった。でもこれも懐かしい思い出となっている。

トロントに帰ると、ナイアガラフォールズ市に住むルイーズから電話があった。ルイーズとは初めてヴァンクーバーからトロントに来る時、飛行機の中で隣り合せたご縁だった。
「TV見たわよ。あんなにやせて。真っ青な顔をしていたわ」
台湾教会でも「TVを見た」と声をかけられた。何故か、吹き出して笑いが止まらない人もいた。マコは、今だに見なくてよかったと思っている。

8月7日にARCTを受けてから、全くピアノを練習できなかった。
専攻を声楽に変えて頑張っていたが、いつピアノの練習を再開できるか悩みの種だった。
8ヶ月でARCTを準備できたのは幸運であったが、体力的には無理な土方仕事をした後のように疲れ切っていた。。

又、雪一色の冬が来ていた。
ーいつまでも、いつまで降りしきる雪を見てる。
ーああ、この雪の様にいつまでもいつまでも、ピアノを練習していたい。
84年、勉強と病気の年は、静かに終わっていった。



next85年1へ






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by mhara21 | 2007-02-06 13:23 | 後追い日記84年 | Comments(1)
Commented by mhara21 at 2007-02-11 14:13
原稿は87年まであるのですが、マサコさんの推敲ができていないので、後追い日記は、ここでいったん終了となります。今後写真をいれるなどの手を加えるつもりです。
その間は音楽エッセイの中からGGに関するものを加えて行きます。
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