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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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グールドへのメール23 三様の変化

グールドへのメールを1から読む

2001.4.21

 左手の指3本がしびれています。親指、人差し指は、ぐねった後が顔や鎖骨のところまで、ひびいている。それでもいつものように20変奏まで弾けた日は、ピアノの前に座れない日より嬉しいです。20変奏ではブゾーニが少し書き変えていて、増々バッハは左利き、ブゾーニは右利きの歴史的証拠が残っていると思います。

 源氏物語には795もの短歌があるそうですが、ゴルトベルクも生活実用品としての短歌が束ねられている作品です。調子が乱れないこと形式美を貫いていることがこの曲のむつかしさにもつながるのです。

 あなたは句を作ろうとなさっていらしたとか。おしゃべり男と句というのはそぐわないのですが、バッハにおけるグールドの名演には、確かに句や短歌の美しさが溢れていると感じます。それはバッハが単純なメロディを書いて宇宙のハーモニーを同時に引き出しているからでしょう。インヴェンションには特に句的な世界を感じます。

 そして、ゴルトベルクの演奏においては、マリヤ・ユージナのようにブレーキやアクセルを全く踏んでいないグールドの演奏には職人仕事がどんなものなのか改めて教えられています。主題のアリアは、バッハの2番目の奥さん・アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィア小曲集にあったサラバンド。

シュヴァイツァー博士のゴルトベルクのコメント(以下の「  」)はおもしろい。( )内は私のコメント

 「この変奏曲にあっては、主題ではなく、主題のもとを成す低音音型だけが、その主要な関心事である。この音型の上を楽匠の想像力が全く自由に動いているのを見ると、変奏曲というよりも、むしろ明暗に仕上げられたパッサカリアだと言えるのである
(ゆめ、アリアの右手のメロディーに以後の変奏をさがさないこと)

 「この作品を一度聞いただけで、すぐに好きになることは不可能である
(グールドは多くの人を一度で好きにさせている)

 「一見きわめて技巧的な曲のなかからほほ笑みかけている、慰めにみちた、柔和な朗らかさ
(これぞまさしくト長調の真髄)

 「第28・29変奏は、ベートーヴェンの最晩年の作品のよう
(バガテル作品126に通じるものあり)


 たとえば第22変奏など、グールドのフリースクールの校歌にいいのではないかしら?
 先生と呼ばれるより「親方」といわれるのが合っているグールドさんのゴルトベルク演奏フィルム。影響を受けた人々が、真似ができないまでも芸術家の聖人への道に触れることができる。

 この曲を弾いていると思い出す風景があります。松林の舞子公園とサウスウッド近所のヒマラヤシーダーのキュー・ガーデン。借景は瀬戸内海とオンタリオ湖。どちらも今では見る影もない景色となってしまいました。原因は、松食い虫と明石大橋と湖岸の埋め立て。

 7才の頃、電車を待つ間、いつも海と松の香りに包まれて、ぼーっと景色に溶け込む。電車が来ると渋々乗ったものでした。

 人の年齢に0が加わることと年を取ることの意味は違う。人は7才くらいでもう一生の大半は済んでしまっているのでは? 0がつくのは「無限」がプラスされるだけなのに、長生きするとゴミや汚れがついて、その方を本当に思えてくる。松林を前にした時、持てた心が一番のものと思えてなりません。

 「ツァラトゥストラ」の冒頭に「三様の変化」があります。
 重荷をになう駱駝。みずから主たろうとする獅子。そして、無垢であり忘却である小児。ニーチェは人間は創造のためにこのように変身するといっています。

 私の8才から30才までは駱駝。
 30才から35才までのトロント王立音楽院生の時代は獅子。
そして7才の心を求める現在は小児の段階に入ったのです。

 私はゴルトベルクの中に死に装束の羽衣を見つけられるかもしれないと思っているの。
 その装を魂につけると天に舞い上がれる。翔ぶのが自由なこの世とあの世の境に身をつける服。それを見つけるためにグールドさんが「弾いてごらん」と勤めて下さった気がしています。

 20年前、ニューヨークで中古のヤマハピアノを使っての録音と映画撮影が始まっていました。
 さぁて今から、ポイントカード番号32のスーパーに買い物に行って、ご飯作りです。
「ゴルトベルクでは飯が食えまへんのどす」


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by mhara21 | 2006-11-11 10:54 | グールドへのメール | Comments(0)
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