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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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神戸紀行 上島珈琲

b0071688_16290433.png

さすがに図書館と買い物に行くのは疲れた。
昨日から「淀長祭」が開かれている新開地へと足を延ばす。
神戸の山々は、いつも美しい。
映画は始まっていたので諦めて、ぐるりを散歩し
上島珈琲に戻って、空いている奥のトイレ横の大テーブルに座る。

なんと、伯父が台北の家で最後に弾いたベートーヴェンのピアノソナタ
変ホ長調第3楽章のメヌエットとトリオがBGMで流れる。
天国の伯父が私を励ましているようだ。

こんな偶然があるのだろうか?
1、2、4楽章抜きで、あのメヌエットとトリオだけが流れる。。。
この曲は地味なので知る人も少ないことだろう。

世界の片隅で演奏された20代の死にゆく青年のピアノを、
ベートーヴェンも耳に止めてくださったことでしょう。


タバコ切れの女性が、私の近くでタバコに火を付け、一口吸うと、
慌ててトイレに消えて行く。

ここはトイレの番人席のようで、次々と男性ばかりがやって来る。
一人の使用時間がやたら長いせいか、とに手をかけては、
入れないとわかり、人が次々と消えていく。
朝顔だけの部屋があればいいのにとさすがに覗きはしなかったけど。

そこに70代と思われる蒋介石夫人宋美齢のようなご婦人が現れる。
まさしく大陸の美女。横には80代後半のようなご主人。
連れのカップルも中華ムード満載の4人組がランチメニューのご注文。

私はといえば、映画はやめて、そのぶんちょっぴり贅沢をして、
ブドウジュースを飲んで行く秋を惜しんだのであった。

 
  関連日記 ベートーヴェンPソナタ#18 E♭ op31-3  byマサコ
        http://kaikyou.exblog.jp/20252754/

   ①シュナーベル版
b0071688_16312002.jpeg
   ②トーヴィ版
b0071688_16322490.jpeg
   ③原典版
b0071688_16334207.png
この3つの楽譜のメヌエットの、11小節アップビートから8小節の部分を
比べて頂きたい。

最初のシュナーベル版には、CとFに♮(ナチュラル)がついているが、
二つ目のトーヴィ版にはどちらもない。
三つ目の原典版ではCには♮がなく、Fにはある。

果たしてこの差は何か??

私は、シュナーベルが楽譜の上でこのふたつの音、特にCの音を重要視して、
奏者の注意を引いたのだと思う。
この曲を弾いたことはないが、何度も歌っているときに、
この部分のハ音とへ音に特別な美しさがあることに気づいていた。

だからシュナーベルの楽譜を見たときにびっくりした。
まさにその場所にピアノには敢えて加える必要のない♮がついているのである。
このナチュラルは、他の記号で強調する方法がないので使った、と私は思う。

「この音に最高の注意を払って、フレーズの美しさを際立たせるように」
これがシュナーベルの指示だ。
改めて、シュナーベルの楽曲への鋭い理解、演奏者への配慮と教授法に
驚くばかりだ。

 「ピアノをどう弾いていいか、わからない時は、歌ってごらんなさい。
  そして歌った通りに弾けば、フレーズは美しく自然になるのよ」
 これは、昔、母からよく聞いた言葉。
 後にマリーナ先生からも同じことを教えられた。
 その通りである。

この曲からは、家族の慟哭が音楽を通して聴こえる。
ここには演奏している伯父の家族への思い、
そして悲報に触れる未来の家族の悲哀の心が表されている。

私はこの部分でいつも 祖母、伯母、 母の女性3人の痛烈な悲しみを感じる。

伯母からは、伯父亡き後、父親である石崎皆市郎が部屋の中で呻くように
「かずひこーっ」と呼ぶ声が聞こえたと聞いた。

2度繰り返されるこのフレーズの2度めの部分では、ハ音に♮はない。
その理由は、演奏者がコーダに向かって感情を抑えた死の準備をしているからだ。

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おや、クレッシェンドは、最初と2度めでフォントの大きさが違っているぞ。
 (写真ではあまり違話ないけれど、音符と比較するとわかる)
これは死の手前の命の一瞬の輝きを表す。
そしてそこから徐々に最後に向かって息絶えていく。

恐るべしシュナーベル。
その演奏と校訂に感謝。



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by mhara21 | 2017-10-23 16:35 | エッセイ | Comments(0)
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