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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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後追い日記1986年9・子供たちと音楽学校(4月)

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#4月・子供たちと音楽学校
 
4月、体調は良くならなかった。
今度は校長先生が推薦して下さったということで、ある女性から音楽学校のピアノの先生の仕事が来た。
ひどく長ったらしい名前からどんな名門校かと思ったら大違いだった。実際は各学校の放課後に出張教師を派遣して、1時間内に10人から20人にピアノを教える仕事だった。
1時間に$20の給料だというので引き受けた。所によっては雪も多かったり、あるいは吹雪の中、トロント市内や隣接する市の学校を訪ねて子供たちと触れ合う仕事は楽しかった。多くは低額所得の家庭の子供たちで、生活状況が肌を通して伝わってきた。

暴力が日常的なのだろうか、ピアノを教えていると待っている子供たちの平手打ちの音がパチンパチンと絶え間なく聞こえてくることもあった。ある日突然、パッパラケの母親が子供の義父に当たる様な若いロカビリー調の男性を連れて入ってきて「東洋のピアノの先生と写真が撮りたい」と注文した。そこで4人並んでピアノの前でパチリパチリとフラッシュをたいた。ピアノの椅子が無くて上に重ねることが出来るスチール製の椅子を5つ乗せて子供用の高さにしていたものだから、私はその可笑しさを堪えきれなかったから笑ってばかりいる写真になったことだろう。

大勢の生徒と付き合ううちにやり方を考えた。
まず始めに子供をおとなしくさせて、教師の言い分を聞いてもらうことにした。それはなぜ、歩いて学校に来ることとピアノを楽譜を見て弾くことが同じにならないのかの問いかけだった。

「例えば毎日学校に来るのに、ある時期になったら、足先でサグリサグリ道を歩くような人がいるだろうか? 最初から目印を探して、それを中心に道を覚えるではないか? 例えば目印をポストだとすると目で見ず手足で探りながらポストを確かめるようなことをしていると学校に着かないのと一緒で、音だけ探っても曲の終わりに行き着かないではないか?」
といったようなことをやかましい子供を黙らせ、20人に大声で話した。そして又、人が弾いている時に注意深く聴いて弾いている人が失敗しているようなことは繰り返さないで欲しいと頼んだところ、クラス中がおとなしく熱心になった。これで、子供から「あの人のレッスンが長いのに私は短くて不公平だ」とか「あなたはあの子ばかり目をかけている」とか大人並みの苦情が出なくなった。

私は私と取り囲んだ子供の前で見てはおれない頭の構図で、馬鹿げた登校風景と同じことをするかを、身体を使ってプレゼンした。
みんなのピアノ通りに歩いて見せた。
「来る日も来る日もこんな様子で学校に来る人がいますか?
どこに何があるかを知って、まっすぐ普通に鍵盤の上を指で歩いてください」
 
ピアノの所では、みんなで楽譜を見つめて
「ココとココは同じだから同じ動きをすればいい。一つ一つ弾こうとしないでね」
「人が間違えたら、なぜ間違うのか、考えてあげてね。
 自分の番が来たら、同じことをしないでね」

子供は厳かになることを楽しんでいるようだった。

レッスンの終りに私が曲を弾いていると、仕事帰りに子供を迎えに来た人達が子供と口々に「きれいだ。きれいだ」と目を輝かして喜んで下さった。

乗り物を乗り継いで見知らぬ小学校に入って行く時はワクワクした。
体調がよくなくて帽子やマフラーをどこに置いたかよく覚えてもいなかったけれど、帰る時いつも置いたと思う場所にはなかったと思うのは、貧しい地区への偏見なのだろうか?
それでなくとも、トロントではよく物が失せた。

数週間すると休暇を終えた前の先生から電話がかかってきた。
「子供たちが素晴らしいの。一体何の魔法をかけたの?」

紙の上でピアノの練習をする最低賃金のおうちの子供たちだったけど、奮戦する私を見て何かを感じてくれたのかも知れない。
対人関係の下手な私は、人間相手は得意ではなかった。
帰国した後、ほんの短期間、英語の先生をしたけれど、私の生徒を後で引き受けた先生が「物を習う姿勢ができていて、教えやすい」と言われた。
地下鉄、バスではるか遠くの場所に出かける事も一人で生きている私には慰めになった。

ヘンリー・フォードがこう言っている。
“ When everything seems to be going against you,
remember that the airplane takes off against the wind, not with it.”
「あらゆる事が自分にとって向かい風のように感じられる時には、思い出しなさい。 飛行機は追い風ではなくて向かい風の中で離陸することを」

出来ないことがいつか出来るようになるように練習法を考えることは、挫折だらけの時にも有効に働くと思う。
苦手なこと、例えば「そうじ」でも流れに乗せてするような習慣プログラムを組むのもいい方法だ。

学校では時々先生が残っていて、優しく迎え入れたり、あるいは「私の縄張りなのよ」式の対応をしたりで、人ってそれぞれだなぁと思った。
最後の方は病気で授業が出来なかったけれど86年の早春の思い出としては充分な出来事だった。




next 86年10・最後のテスト (5月) へ








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by mhara21 | 2016-05-05 00:00 | 後追い日記86年 | Comments(2)
Commented at 2016-05-05 08:47 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by mhara21 at 2016-05-10 20:41
toni様

コメントをありがとうございました。
私の拙い思い出をお読みくださいまして、ありがとうございます。
歳をとり、日々カナダが懐かしくなる毎日です。
お目にとまりました日記は、音楽院生活以上に思い出深いもので、共感していただき嬉しく思います。

カナダは今なお、困難を抱えた多くの人々を自分の国に受け入れています。
その社会文化の助けで、日本にいてもどうにもならなかった私の音楽の勉強も、機会を得る事ができました。
いつもカナダに感謝し、日本の政治・社会文化もカナダのように成熟して欲しいと願っています。
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