合い言葉GG
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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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後追い日記1986年1・ヤコブさん(1月) 

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#1月ヤコブさん

「主人の生徒達が皆、又あなたと仕事をしたいと言っているのよ。
 良かったわ。それから小さな子供達がキワニスコンクールにも出るし、
 2月は学生の発表会もあるからそれもいい勉強だからやってみませんか?」
とマリーナから電話があった。
身近にヴァイオリンを弾く人がいなかったので、わたしの耳は音色に慣れていない。
最初生徒達の弾く、はまり切っていない範囲の広い音のどこにピアノの音を合わせていくかで戸惑った。
「耳がよいのだからよく聴きなさい」と言っていたグリンガス夫妻も
「これは耳が良すぎるから、聞き分け過ぎてリズムを微妙に崩してしまうのだ」
と理解されるようになった。
要するにヴァイオリンというピアノとは違う発音に慣れれば、後の仕事は出来るようになった。

ヤコブさんにはマリーナ同様、たくさんの子供の生徒がいた。
2人共、子供が好きで子供を教えるのが楽しみだったからである。
ガシャというアルメニア人の少女がいた。
お姉さんのマラールはマリーナの弟子だった。
自分の新しい伴奏者が日本人であると分かると特別の事なのか目を回していた。
色々な人と出会い、音楽でつながっていた。

練習量は、日に4時間近くなっていた。どんな小さな曲も丁寧に練習した。
コリンとはグルックの「精霊の踊り」とか「メロディー」、「妖精は良い踊り子」の題で知られる曲を合わせた。この曲はピアノとヴァイオリンで合わせるのが最高と思っている。
ちょうど京都の「芋棒」の様に「棒鱈」と「蝦芋」でしか合わない料理があるように、ピアノだけの曲もあるけれど、この曲程、ピアノとヴァイオリンの良さが合う曲はなかった。
何とか白の「綸子」の着物の様な音をたてたかった。
『ヴァイオリンの音色は紫系統で‥‥』とこの曲に静かな女性像を感じていた。

ところでこの「精霊の踊り」には、グリューミオと組んだクララ・ハスキルの奇跡的伴奏がある。
最後のところ。香りと色のさざ波のように香華が立つ。音符しか想像できない私と違って、ハスキルのような名手は、こんな単純な場所に誰もできないことを見出しているのだ。

曲を練習していると本を読んでいる時のように別の世界に入ってしまう。
曲によっては色々自分が別人になれる。ある時は友禅の絵付け職人、
ある時は織物師、絵描き、宝石デザイナー、洋裁師、刺繍作家。
色と素材を扱う創造家を目指すのは楽しかった。

練習は楽しいことだらけだ。
元々融通の利かない生真面目な性質だから、1つのことを繰り返して、良くしていくのは退屈でない。掃除をした後の様に曲がさっぱりと清潔感に溢れる状態になるのは爽やかだ。
練習は幸福の神様である。

数ヵ月前から、私の生活は判で押したようだった。
11時ー12時まではブランチ。1時ー3時練習。
休み(おやつ)の後、夕方は曜日によって夫君ヤコブ・グリンガスの生徒のレッスンに8時位まで顔を出す。
それ以外の日はアルバイトで数人の生徒にピアノを教えていた。
8時過ぎたら10時まで必ず練習。練習が終わると地下鉄でコリアンレストランに行く。
ビール1本と焼そばか定食で夕食を済ませていた。
キムチ、カクテキは器が空になると必ず優しい店の人が持って来てくれた。
おかわりを請求しなくてもいい代わりに断わらずに食べたので、3杯になったこともあった。

深い深い疲労の中で食事が終わる。
11時位に「オニガセヨ」との声に送られてブルーア通りを必ず歩いて下宿に戻った。
厳寒のせいか、治安の良いせいか、危険は全くなかった。
「オニガセヨ」と聞こえたその言葉は、91年にハングルを学んだ時「アンニョンヒガセヨ」「さようなら」に相当する言葉だと知った。

帰り道シリウスの名前は知っていても夜空を見上げることもなく、神への感謝もなく歩き続けた。
この散歩が私の健康を支え続けていた。
下宿に戻ると身の回りのことをして、1つずつ明日の予定を書き出しては部屋のドアにセロテープで貼り付けた。
全て終えて寝るのは夜中の2時頃だった。

リハーサルが多くなると学校の受け付けでは大変だった。
音楽院では音楽院が認めた人でなければ中のスタジオで教えてはいけないことになっていた。
自分のピアノを持たない私は85年あたりからしばしばその規則に違反し、見つかって怒られていた。
最初はコリアンの姉弟。その頃は教えることも勉強だからお金は取っていなかった。
でも紛らわしいので止めた。
私の練習時間に入って来るから、ほとんど分からないのだけれど、後をつけて覗かれることもあった。
そんな時は「マコ、あの小さな子供は一体何なの?」と叱られた。
先生の中には気付いて尋ねる人もあったが、「告げ口はしないよ」と言ってくれた。
そのマコの所へ今度は伴奏の仕事とは言え、親に付き添われた小さな子供たちが出入りするのだから。受け付けの人々が目くじらを立てるのも無理はなかった。

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86年2・ ヴァイオリン・コンサート本番へ





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by mhara21 | 2016-03-10 09:45 | 後追い日記86年 | Comments(0)
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