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13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


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不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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グールド生誕86年没後36年に寄せて

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八木重吉詩集より

「虫」

虫が鳴いている
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いている
しぜんと
涙をさそわれる

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「光」

ひかりとあそびたい
わらったり
哭いたり
つきとばしあったりしてあそびたい

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「壁」 

秋だ
草はすっかり色づいた
壁のところへいって
じぶんのきもちにききいっていたい

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「素朴な琴」 (詩集『貧しき信徒』より)
      
このあかるさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしずかに鳴り出(いだ)すだろう

〜〜〜〜〜〜〜〜〜


最後の「素朴な琴」をピアノに変えて、グレン・グールドさんに捧げます。



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# by mhara21 | 2018-09-25 00:00 | エッセイ | Comments(0)

シューベルト作曲 歌曲「水の上で歌う(Auf dem Wasser zu singen)」を聴く by緑陽

緑陽さんのブログ「ギター日記」から


シューベルトが作曲した歌曲「水の上で歌う(Auf dem Wasser zu singen)」を初めて聴いたのは5年くらい前だっただろうか。
ピアニストのマリヤ・グリンベルクが1976年にコサンサートで弾いた、フランツ・リスト編曲の「Auf dem Wasser zu singen」だった。
この演奏を初めて聴いた時の感動は忘れられない。
聴いているうちに、自然と物凄い強い感情が湧き起ってきて、自分でも驚くほどだった。
この演奏は私が聴いたピアノ曲の録音の中で最高のものの一つである。
こんな演奏を出来る人は残念ながら現代では一人もいない。
エフゲニー・キーシンとかユジャ・ワンの演奏など、幼過ぎて、表層的であり聴くに耐えない。
全く的外れな演奏をしている。
苦労が全然足りないのだ。
レッスンの厳しさを味わっても、人生の本当の厳しさ、悲しみ、無念さを経験していない。
だから演奏に感情的深みが全く現れてこない。

この曲の原曲は歌曲である。
テノールかソプラノとピアノ伴奏の演奏である。
Youtubeでいくつか聴いてみたが、下記の演奏が良かった。

Elly Ameling; "Auf dem Wasser zu singen"; Franz Schubert



エリー・アーメリング(Elly Ameling, 1933年~ オランダ)の歌声は柔らかく、女性特有の優しさを感じる。
他にはルチア・ポップ(Lucia Popp, 1939年~1993年、スロバキア)の録音もあったが、私はエリー・アーメリングの演奏の方が感じるものがあった。
テノールでは、ギタリストの若きジュリアン・ブリームと共演したことのある、ピーター・ピアーズ(1910年~1986年、イギリス)のものがあった。
伴奏はこれもジュリンアン・ブリームと親交のあった作曲家のベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten)。

Peter Pears; "Auf dem Wasser zu singen"; Franz Schubert



水の上で歌う(Auf dem Wasser zu singen)
作詞:シュトルベルク(Friedrich Leopold zu Stolberg-Stolberg/1750–1819)

波の上 きらめく光
白鳥のように小舟は揺れ行く
喜びに波は穏やかにきらめき
私の心も小船に乗せて
波間に降り注ぐ天からの光
船のまわりで夕陽は踊る

西の木立の上から
夕陽が優しく微笑み
東の木立の下では
夕陽の中で葦がそよぐ
天の喜びと木立の静寂
夕焼けに心安らぐ

露にぬれた翼 揺れる波 時は過ぎ行き
きらめく翼 朝も過ぎ行く
昨日も今日も 時は去り行く
私もいつか輝く翼で舞い上がり
変わりゆく時へ己を消し去る時まで


素晴らしい詩と音楽が生んだ、究極の歌曲だと思う。


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# by mhara21 | 2018-09-11 11:24 | エッセイ | Comments(0)

好き嫌い モダン・ジャズ・カルテット

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子供の時から「好きなもの」がはっきりしていた。

日本人は「最も好きなものは1つだけ」と思っているそうだが、
「最も好きなものは沢山あっていい」と読んだことがある。

珍しくジャケットの絵が気に入ってジャズのCDを求めた。
ジョン・ルイスは、今はもうお付き合いのない知人が好きだったピアニスト。
軽やかな音が魅力的。

第一曲の「ヴェルサイユ」を聴いたら、目が生き生きするように好きになった。
多分全7曲のうち「一番好き」とわかる好みの曲。
そうしたら、解説にこうあった。

「第2次大戦中アメリカ兵のひとりとしてフランス、イタリアに赴いた
 ジョン・ルイスはヨーロッパの古い芸術に触れ、
 バッハ、バロック音楽から大きな影響をうけた。
 パリの有名な広場などの印象を曲にしたこれは「ヴァンドーム」
 「コンコルド」などと対をなす小曲で、バロック音楽の対位的手法により
 MJQ独自の室内楽的なジャズ・アンサンブルの優美さと、ルイスのピアノ、
 ミルトのヴァイブスの音楽的対話のたのしさがすばらしい」


バッハと私はどこでも出会っても相性が良い。


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# by mhara21 | 2018-09-04 17:36 | エッセイ | Comments(0)

ラフマニノフ「徹夜祷」op37を聴く 



ラトビア放送合唱団のラフマニノフ作曲「徹夜祷」op37を聴く。

 「悪しき者の はかりごと
  行かざる者は 幸いなり」  第3曲より

「この合唱団は、団員に音楽大学に行った人やプロの音楽家が少なく、
 そのため、他の人の音をよく聴くことができるのです。
 皆、伝統の中に音楽体験を積んで来たから、よくブレンドできます」

そう言えば孔子の言葉に、
「人の歌う歌をよく聴いて学びなさい。
 学んだらその歌に合わせて歌いなさい」
と。

「汝は永久に敬虔な声で歌われるに適(あた)う」 第4曲から
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指揮者スパルス・プトニンシュさんのお話
 
 ラフマニノフの「徹夜祷」は音楽史上、最も規模の大きい合唱曲の1つです。
 これほどシンフォニックな無伴奏の合唱曲はありません。
 ロシアの文化が色濃く反映されていますが、
 誰もが共感できる普遍的な音楽でもあります。

 観衆の皆さんには、私たちと共にただ身を任せ、音楽を体感し、
 その一部になっていただきたいのです。
 私たちはそうやってみなさんを導くのが得意な合唱だと思います。
 聴く人の心を強烈に揺さぶるのです。


この言葉が私の感想の全てを言い表している。


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# by mhara21 | 2018-08-29 18:26 | エッセイ | Comments(0)

今夏のCD2 ブラジルのポルトガル


Aquarela - Traditional Songs for Children
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私は子供向けの歌が好きだ。
何かの折、一聞きですっかり気に入ったのでCDを購入した。
大当たりである。

ポルトガル語は、穏やかでスペイン語の気質と正反対。
興奮していないけど、動きがあり、
のんびりしているけど、だらけず、
しかし、リラックス出来る世界に運んでくれる音。

「これってボサノバだよ」
と心憎い事を言う人に先を越されてしまった。

何かつまらない事を考えた時、幼稚園の庭にいて
「一番お利口」になれるような、そんな空間を与えてくれる。

CDの音は夢のような色合いの出来。
ジャケットも楽しい。
幼児からお年寄りまで、誰にプレゼントしても
「邪魔にならない空気」をお贈り出来ると思う。
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Aquarela - Traditional Brazilian Portguese Children's Songs




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# by mhara21 | 2018-07-31 13:34 | エッセイ | Comments(0)

今夏のCD・その1

the real group/ ERIC ERICSON
STÄMNING・スタムニング 
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FMの「VIA合唱」は、大好きな番組。
その番組で紹介された天国的名盤。

私とスウェーデンの合唱との初めて出会いは、
スウェーデン放送合唱団のクリスマスソングだった。

そして今夏、初めてスウェーデンのア・カペラのCDを求めた。
「the real group」は男性3人と女性2人の構成。
スウェーデン讃美歌からの歌には「この甘い夏の時間に」のように
原曲がドイツのものもある。
スウェーデン語は、映画でチョイ聞きしたが、ドイツ語に似ている。
しかし歌となるともっと静かで、人間のアクの少ない音になる。
伸びやかで無理のない「ひびき」は、森に招かれたよう。

姉たちと聴くと「あ、この讃美歌、知ってる」と喜んでいた。

番組の解説によるとスウェーデンの人口は1千万位。
その中で、歌上手な人が多いという。
それは「スウェーデン語が歌いやすい言語だから」と
オペラ歌手・ビルギット・ニルソンは語ったという。

~~~~~~~~~~~~~

追 記 2018年8月3日

こんなのも見つけた。

・The Real Group Bach Invention in Am
  https://www.youtube.com/watch?v=eTW-xyGqJ2g




***************コメント***************

mari 2018年07月28日 13:50 削除

 YOUTUBEで探したら、写真と同じアルバムの曲を一曲聴けました。
 とても美しいです。
  https://www.youtube.com/watch?v=M3GkxawK2X0

 エリック・エリクソンは全く知りませんでした。
 素敵なミュージシャンを教えてくださり、ありがとうございます。❤️

 スウェーデン語は映画で接したくらいで、まったく解りませんが、
 歌いやすいとは興味深いですね。

~~~~~~~~~~
マサコ 2018年07月28日 16:52

> mari さん 
 mariさんは美しいものを何でもわかってくださるのですね。

 このコーラスのハーモニーブレンドの美しさは
 自然が美しさ、心愛の力に負けないと思います。

 YouTubeを教えてくださってありがとうございました。



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# by mhara21 | 2018-07-29 19:34 | エッセイ | Comments(0)

Diary Entry 1982-2:Seeing Gould

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#Seeing Gould

I went with Sandra to some gathering and chatted with women there. As always, I talked about Gould. One of them said something that quite surprised me.
 
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“You’re talking about Mr Gould? He lives in the same apartment building as I!
“Really? Where?”
“St. Clair Avenue 110.”

Before the lessons next evening, I went to St. Clair Avenue.
I arrived to the apartment building from the west side. Just when I arrived, a big car suddenly appeared from a bit eastern to the building and came out on the south. The car stopped to let other cars pass in order to merge into the street traffic. The driver was dressed completely in black.

Oh, my god, It’s Gould!
I want to run up to his car and open the door. However, I’m not even able to lift my hand and wave at him. I just watch after the car that is changing direction and disappearing down the Avenue Road, chanting the gratitude in my heart over and over again like sutra, “Thank you so much for playing Beethoven Concerto for us!”

The Gould I saw seemed to be in a bad temper and was astonishingly different from the person I know from pictures. Anyone who saw Gould in this period said, “He grew shockingly thin and haggard-looking.” His body must have reached its physical limits.
All Gould’s portraits from his later years wear the shadow of death. To those who knew Gould while he was young and beautiful, his looks, changed due to his dependence on medicines, were “strange yet mysterious” and gave away an odd feeling.

This was my only real meting with Gould. Nine months later he died of a stroke as if he were acting out “death”. That is when my communication with his spirit started. For me, Gould’s death was a deciding meeting, the beginning of our conversation.

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When I got home that night I immediately called Francis from Southwood Drive to tell her the exciting news.
“I saw Gould!”
“Where?”
“He was driving on Saint Clair Avenue!”
“What was he driving?”
“A big, black car.”
“Lincoln Continental. Yeah, that was definitely him!” Francis confirmed to me.

Translated by Saiko




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# by mhara21 | 2018-07-21 12:00 | 後追い日記82年 | Comments(0)

Diary Entry 1982-1:The New Accommodation

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#The New Accommodation

The new place I moved to was a warm loft room. My new landlords were a man prone to illness, his wife who had a heavy case of lumbago and their daughter Sandra. On the underground floor there were a bathroom and a toilet, and the whole second floor was leased out to a young married couple. On the third floor there were two rooms. On the east side was Sandra’s room, and the room facing the west side street was my room.
It was very easy for me to attend the high school English language classes from here.

Unlike Japan where we use gas, every cooking stove I saw in Canada was electric. I don’t know where they generate electric power, but it seems they have abundant supply from Niagara.

Three days after moving in I was making curry in the kitchen, planning to take it to a friend of mine who got sick. I didn’t know well the difference between the strongest and the weakest heat, so I put the pot on the weakest and sat there reading a book. When I noticed I had chosen a wrong heat level and was about to fix it, the landlady entered the kitchen.
“What on earth are you doing? You’ve been in the kitchen for too long!”
“I chose a wrong heat level for curry. I want to take some to a friend of mine who is sick.”
“Don’t use my electricity for your friends. Make food at their place.”

I never trusted the landlady after this incident, nor did I ever let my guard down around her. She came to like me afterwards, finding me to be “a nice and smart person”. She told me I could marry her middle-aged son, but I refused.

My landlady utterly detested her husband. I guess it was because she had had no control over her life, marrying a man who was poor and giving birth to as many as 7 children.

“Men are always out, having fun. They don’t care that the wife suffers because she doesn’t have enough money for the house.
Wife’s needs are ignored and she is just trampled on,” she would spit out angrily. She spoke English with a strong Chinese accent. Sandra criticised her parents’ behaviour in front of me, a person who just recently came to live in their house, “They could at least pretend to be in good relations in front of other people!”

I could see that the relationship between people in this family was complicated. The atmosphere in the house was somehow gloomy and oppressive.


Translated by Saiko



Japanese version of this page・後追い日記82年1・新しい下宿


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# by mhara21 | 2018-07-10 00:00 | 後追い日記82年 | Comments(0)

ヤコブ・ゲリンガスさん  

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   生誕80年 没後28年
ヤコブ・ゲリンガス(1938年3月23日 ー 1990年8月)
           

リトアニア出身のヴァイオリニスト、
親日家のゲリンガス氏にリトアニア民謡を捧げます。

歌詞の意味から、第一番、三番、二番,四番と演奏される事もあります。

紹介して下さったドイツ語の先生によりますと、

反戦歌で、どことなくPPMの「花はどこに行った?」の面影があるとの事。

ゲリンガス氏と一緒にいた時間は
私にとって音楽の魂の白鳥が舞っていたようでした。

アルツハイマーに倒れて、
オンタリオ湖に白鳥の最後を探しに行ったゲリンガスさん。
この歌を聴いて下さい。

**************************

   むかし5羽の野生の白鳥が

むかし 5羽の野性の白鳥が 渡ってゆきました
  輝くばかりに白くて 美しい白鳥でした!
  むかし 5羽の野性の白鳥が 渡ってゆきました
  輝くばかりに白くて 美しい白鳥でした!

  歌って 歌って どうしたの?
    どの1羽も もう見られなくなりました
  歌って 歌って どうしたの?
    どの1羽も もう見られなくなりました

2 むかし 5本の若い白樺の木が
        小川のほとりに生えていました
  それは 新鮮な 緑色の 白樺の木でした
  むかし 5本の若い白樺の木が
        小川のほとりに生えていました
  それは 新鮮な 緑色の 白樺の木でした

  歌って 歌って どうしたの?
    どの木も 花が咲きませんでした
  歌って 歌って どうしたの?
    どの木も 花が咲きませんでした

3 むかし 5人の若者が 誇らしく 勇敢に
         戦争へ出かけて行きました
  むかし 5人の若者が 誇らしく 勇敢に
         戦争へ出かけて行きました

  歌って 歌って どうしたの?
    1人も 帰って来ませんでした
  歌って 歌って どうしたの?
    1人も 帰って来ませんでした

4 むかし 5人の若い娘が 
     メーメル川のほとりで成長しました
  ほっそりした 美しい娘たちでした
  むかし 5人の若い娘が 
     メーメル川のほとりで成長しました
  ほっそりした 美しい娘たちでした

  歌って 歌って どうしたの?
    1人も 花嫁の花冠を 編みませんでした
  歌って 歌って どうしたの?
    1人も 花嫁の花冠を 編みませんでした


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Zupfgeigenhansel - Zogen einst fünf wilde Schwäne
https://www.youtube.com/watch?v=Kwiyqx7MsaQ




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# by mhara21 | 2018-07-09 16:14 | エッセイ | Comments(0)

Diary Entry 1981-44 : Canadian heating

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#Canadian heating

There were several Christmas cards in my post forwarded from my previous boarding room. I put them on display in my room. I eat frozen food from my fridge. Sometimes I soak myself in the common bathroom upstairs. As a house-sitter, I enjoy final chores around the house.
Even the cheap Godowsky House is very well fitted when it comes to heating.
Before going out, house owners warned me, “In this country, a broken heater is as bad as death itself, so contact us immediately if something goes wrong with it.”

I guess they were afraid their house-sitter would freeze to death. I am told that people in Toronto leave the heating on the minimum when they are leaving the house for a longer time. I understand this way the cold causes less damage to the house, and it is even good for the furniture.
However, I heard that, depending on the boarding house, the owners reduced the heating while they were away during the day, because they considered it a waste to heat the house properly for the boarders.

Just before I moved, I got a phone call from my big brother. “How about knocking it off with this Gould thing?” he said.
“No way!” I cried out.
I hadn’t heard from my brother in a while, but I couldn’t say I really missed him.

When Mr Liang, who came to help me move, started carrying my things he asked me, “Have you informed your landlords about your new address?”
“I’ve informed my relatives,” I responded.
“That’s good. Otherwise, they may accuse you of stealing something, or you may be on the receiving end of criticism without the possibility to defend yourself. When you inform your landlords about your new address before moving, it serves as a proof that you are leaving in good conscience.”

There are many things we are not aware of without actually experiencing them – the importance of informing people about our new address before moving out being one of them.



#Gould in December of 1981

In this period, Glenn Gould was very busy with his work. Due to problems with his hands he had been completely unable to play the piano for a while. After the recovery, he went around participating in many radio and TV broadcasts as if he sensed his remaining days at this world were short.
One of these was a radio reading in December.

Natsume Souseki’s “Kusamakura (Grass Pillow)” was Gould’s favourite book/one of Gould’s favourite books, and he read a part of the first chapter of this book on the radio. Unfortunately, I missed this show because I had no one to inform me about his appearance on the radio.”
 
Before reading the book excerpt, Gould said:
“… There are many elements in Kusamakura. However, this book addresses especially subjects of thought and behaviour, apathy and duty, the issue of conflict between Western and Eastern values, and dangers inherent in “modernism”. I think this is one of the greatest novels of the 20th century…”

And then, in January of 1982 arrived the day when I came nearest to the Gould of this world.


Translated by Saiko 



Japanese version of this page・後追い日記81年44・カナダの暖房


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# by mhara21 | 2018-06-30 00:00 | 後追い日記81年 | Comments(0)