合い言葉GG
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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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田中希代子さん 14回忌

田中希代子さんが1996年2月26日に亡くなられてから、13年が経ちます。
今年1月19日に弟さんでヴァイオリニストの田中千香士さんも旅立たれました。
千香士先生とは、お電話で話をしたことがあり,昔にお葉書を下さった田中希代子先生と共に、懐かしい気持ちで一杯です。

グリーンがお好きでいらした田中希代子さんに、
今月10日に出版された志村ふくみ著「白夜に紡ぐ」より
「お茶は不思議な木」から一部を引用致します。


* * * * * * * * * 

 いよいよ五月、茶摘み。その摘み立ての葉を乾燥させたものを手にとってみせてくれる。何という緑! 濃い緑、まるで藍の葉のようだ。緑が青くなりかかってステンドグラスのように透きとおっている。

 こんな美しい色をみたことがない。これこそ真の緑かと思う。その葉をこまかく砕き、石臼にかけて碾く。抹茶が生れるのだ。その石臼からこぼれ落ちる緑の粉。湯をそそぎ、茶筅で泡立てても変わらない緑。保存しても変わらない緑。植物から緑が染まらないのに、なぜここでは緑が存在するのか。どうしてですか、私は思わずつよめってしまった。一ばんききたいところはここだったのだ。
 「さあ、どうしてやろ、わからん」
と困ったFさんは言う。しばらくして、
 「なぜやろ、粒子にするとあの色になるんやな」と。
 それだ! と私は思わず叫んでしまった。粒子、微粒子、微塵粉、どこかで質が変る。粒子にまでこまかくなった時、色は生のものではなくて、別の物質の色に変るのではないか。科学者でもない私か無茶苦茶なことを言うようだが、たしかにここにある緑は変らない。私が思う緑は瞬時にして消える緑である。たとえ十日でも二十日でも保っている緑は、茶葉の精妙な製法によってもう一つの新しい物質としての色を誕生させているとしか思えない。その秘密は粒子にあるのではないか。微粒子になると質が変るとか。
  

     お茶は不思議な木  志村ふくみ著 「白夜を紡ぐ」から
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by mhara21 | 2009-02-26 00:00 | 田中希代子 | Comments(0)

後追い日記84年5・志村ふくみさんのように

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#志村ふくみさんのように 

楽曲の一節を思い、生から解放されるように、苦しい時は、気に入った詩句を思い出すのが一番だ。
ところが、学校で練習する音楽は、詩と音楽の役目を果たさない。

日本画家の加山又造は、「精神もテクニックで表せる」と言う。しかしマコは練習することとテクニックの状態が良くなって音楽を奏でる道に至るまでのギャップが理解出来なかった。

マコは10才になる前にモーツァルトのソナタの楽章を、3日あればうっとりするように弾いていた。生絹(すずし)のような美しい糸の音。立て型のピアノだったせいかもしれない。それは志村ふくみさんの次のような文章のピアノといっていい。

「生絹(すずし)」
繭から糸をつむぎ出す坐繰り(ざぐり)の手法を教えられたとき、
糸をとることがこんなに楽しいものであるということをはじめて知った。
すべて、ものをつくり出す根元の仕事は、単純な繰りかえしの操作であるが、
深いよろこびを伴うものである。

白く美しい形をした繭が、湯の中で一斉にトウシューズのようにつま先立って糸を吐く。
蚕はすでに繭の中で永い眠りに入っているが、こんどは人の手でそれを数十本に束ね、
1本の輝く透明な糸として繰り出すのである。

蚕が無心に頭をふって糸を吐く息遣いそのままの、ふるえののこる糸である。
蚕が身をもってこの世にのこしていった贈りもの、天の糸。
それが生絹(すずし)である。

 すずし、こころよい響きである。
それはまだ誰の手もふれていない、きよらかな領域のもののみのもつひびきである。
その透明なひとすじの糸の中には、天然繊維のみにあたえられた空洞があり、
人の肌のぬくみや湿りけをたもち、風をとおす大切な役目をしている。

撚りや練りの手を加えてない生まれたままの糸はかたくななまでに清く、
織ると布はさらさらと透けている。

『源氏物語』の夕顔の巻に
「黄なる生絹の単袴(ひとえばかま)、長く着なしたる童のをかしげなる」
とあるのを思い出して、生絹の糸をくちなしの黄に染め、
袖口のところだけ紫の繧繝にして織ってみた。

着物は蝉の羽のようにかるく透けていて、はたして着用に耐え得るかと危ぶまれ、
しばらく手もとにおいていたが、ある佳人にたってと所望されて、
私の手もとから消えていった。
      ---------志村ふくみ著「色を奏でる」から


マコは、自分を含めて、音楽院や音楽会では、本当に聴きたい音楽を聴けないと思いだしていた。

もうひとつのマコの欲求不満は、料理がしにくい事。料理が好きだから長時間台所を使いたかったが、それでは家主の家族とぶつかりあう。
台所も自由に使えない状況で、マコは徐々に普通の生活を忘れつつあった。



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by mhara21 | 2006-12-20 11:17 | 後追い日記84年 | Comments(0)

グールドへのメール25 モーツァルト

グールドへのメールを1から読む

 2001.4.25

 おはよう。お元気ですか? 
 今日は何のお話をしましょうか?

 TVでは、手芸でウサギを作っています。ウサギは形として、かわいく愛嬌があるので手芸の世界ではよく登場しています。
 トロントに住んでいた時、ある日突然に能の衣装を思い出して、それからはそのことだけにホーム・シックになりました。日本古来の植物から出された色の中に私の日本人としてのアイデンティティがあったのでしょう。

草木の精の中に溶け込む世界は、志村ふくみさんの文で表現されています。志村さんは紫式部が、なぜ「紫上」に「紫」の色の名を与えたかの一文を書いておられて興味深い。私は「9」の数字に「紫」を感じてなりません。「9」が表す事柄は「慈悲・精神・宗教・哲学・病気・心理」などの「intangible , vague 」な世界のことです。

 グールドが二度録音したものには、ゴルトベルク、イタリア協奏曲、モーツァルトのソナタ第10番k.330のハ長調、ハイドンのソナタ第59番変ホ長調Hob.XVI:49がありますが、あのモーツァルト最初の録音はすごいですね。デリケートで、全く持って処女の匂いがします。私はk.205のニ長調のソナタが大好きなのに誰もそのことを言わないので淋しいです。特に2楽章のポロネーズはグールドならではの名演と思っています。

 モーツァルトの話となると徹夜になりそうです。あなたはモーツァルトの哲学にどのピアニストより、よく共鳴していらっしゃいます。つまり、この世で一番優美なことは、ウンチがよく出ることという彼の幸福論に賛同していらっしゃる。そんなひびきが溢れていて、笑ってしまいます。

 モーツァルトの音楽が、こんなに愛されるのはモーツァルトを聴けば、人間の心に愛がどんなものか感じ取る力が与えられるからではありませんか?

 彼のスカトロジーは母親ゆずりだそうですが、これまで書かれている人間の幸福論の中で、「人間は得るものより出すものによって、はるかに幸せになれているはずだ」ということを、彼程、堂々と無邪気に公言した人物がいるでしょうか?

 気のいいグールドさんは、無意識の内にもモーツァルトを生理的に弾いたのでは?純度の科学テストにも見事にパスする、モーツァルトをありがとう。

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by mhara21 | 2006-11-25 10:06 | グールドへのメール | Comments(1)