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13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


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不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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サリーホームズ  田中希代子さん19回忌に寄せて byマサコ

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「ひびきのなかにすむ薔薇よ」と敗戦前の異色の詩人、大手拓次は歌います。
この呼びかけが相応しいピアニストは、バラの茎や葉にも似たプロポーションを持ち、
その深く重なり合う思考も一重の花びらにした田中希代子さんの音楽のような気がします。

そんなバラにようやく出逢えました。
日本では、まるで人気のないバラでしたが、2012年第16回世界バラ会議で一重咲き品種で初めて殿堂入りした「サリーホームズ」。
サリーホームズの魅力は、バラの原種である一重の花が、しなやかな長い枝先に大輪の花がたっぷり咲き、くす玉のような風景になる事です。

田中希代子さんのピアノは「茶の間の音楽だ」とアンチ田中派からけなされたこともありますが、私には家庭で聴くことの出来る「真実」の芸術です。

日本で見かけることはほとんどないサリーホームズですが、田中希代子先生亡き後、サリーホームズが咲くように、いつか世界中の田中希代子ファンに出逢えたらと願うものです。
そして一人一人と集い、いつかサリーホームズのような「くす玉」となり、その香しい香りに、田中先生をお偲びできればと。

「サリーホームズ」を合い言葉に、田中先生の芸術を愛する方々に、江里佐代子さんの遺作となった京都迎賓館の「截金(きりがね)」にも似た輝きのキヨコ・タナカの音楽精神を次代に引き継いでいただきたいと祈っています。

夜空に金星が輝く時、あの星で田中希代子先生が、今もピアノを弾いていらっしゃるように思えてなりません。

田中先生、「永遠なるもの」をありがとうございました。

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身近にサリーホームズがないので、写真は緑の館バラ図鑑から拝借しました。





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by mhara21 | 2014-02-26 00:00 | 田中希代子 | Comments(0)

ファン・ジニ --- 田中希代子さんを偲んで

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人生は思い通りにならないけれど、思いもかけない事が起きる。
起きる事はすでに決まっているけれど、知らない事が多い。

「ファン・ジニ」は韓国演劇史上の最高ドキュメンタリー、ノンフィク ション劇場だ。
「神,細部に宿り給う」の詩情が溢れる輪郭の鋭い、24回からなる妓生の生涯を描いた作品。
観客には,骨身にこたえる永遠性が与えられ、辛くて観るのを止めようかと思う迫力がある。

初期恋愛の相手男性を演じるのは、チャン・グンソク。
バッハに恋して夢中でピアノを弾いていたグレン・グールドの妖精のよう。
生粋の韓国人というよりは、明らかに中央アジアとの混血を思われるエキゾチックな初々しさが、私には少年グールドの生き写しに思われる。
チニ(主人公の名。名のみ読む時は初頭の「チ」は濁らない)への愛ゆえに、殉死した少年を演じる。
グールドの最初のゴルトベルク演奏のように暴走族のオートバイには乗っていないけれど、美しい音の衣装を着て、表情で若草色のゴルトベルクを弾いている。

結局、チニは両班(ヤンバン)の心の美しい男性に愛される。男性も命がけで慕われる。   
チニは普通の人が当たり前に持つ恋愛感情を抱くことすら許されない。
神さまは、残酷なのだ。
物語は,芸、芸妓、芸術に対する筋の通った価値観で覆われている。

中盤から、チニを演じる主演女優のハ・ジウォンさんそのものが、田中希代子さんに思えて来る。

韓国のドラマは、添えてある音楽の選曲と量にセンスの良さが光ることが多い。主題歌の詩、メロディー、歌手のチェ・ヘジンさんの並々ならぬ歌唱力とこの歌へ の思い入れが、ドラマ作品に引けを取らない。

チニは最後は民衆の中で躍り、ドラマはチニの笑顔で終わる。
この笑顔こそ田中希代子さんの微笑みだ。
田中希代子さんの面影を宿した世界を探そうと思った日から、こうも早く続々と見つかるとは思いもかけないことだった。

田中希代子さんは,ごく少数の人々から、思いを寄せられる方のようだ。
この世に生まれた私たちが、神韻に耳を傾けることはまずないかのような、その空間に生きていらした。
もしもグールドが田中希代子さんの演奏を聴いたら、なんと評しただろう。


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最近、池内紀著「恩地孝四郎」の評伝で、恩地孝四郎が投稿された大手拓次の詩を知っていたであろう事実を知った。
他人を理解することがどれだけ難しいことか。
芸術を通してその人の全部を知ることはできなくても,回りの出来事や、その人を慕っている人々に よって100年も経てば、本当の像は描かれるのではないだろうか?

大手拓次さんは、人に理解されるには、あまりにも大き過ぎる。
詩というものは、活け花と同じで置いている場所によって、全く異なる存在になる。
で、いつ、誰が、どこに置くかで印象が違う。
それが縁というものなのだろうけれど、大手さんの才能に気づかなかった恩地孝四郎を少し淋しく思う。

何はともあれ、長年のこだわりであった、果たして恩地孝四郎は同時代人である大手拓次の詩を目にしていたのだろうか?が解決された。

生きることは、すべて繋がること。
この繋がる楽しみが、晩年には増えてくるみたいだ。


        追記  
 ところで、池内さんの著書、p75にこうあった。
〜〜〜
『大正14年1月の読売新聞に、新進彫刻家高村光太郎が「自刻木版の魅力」と題した熱っぽい版画賛歌をのせた。光太郎はまた『詩と版画』第十輯に詩「首狩」を発表。同輯には大手拓次の「十六歳の少年の顔」と並んで、恩地の詩「あかるいところ」が掲載されている。「遠いところに何かあかるいことがある」という出だし。

  おまえのあたたかいこころを
  私のこころの上においておくれ
  いとしい子よ

何がこれをつくらせたのかはわからない。あいまいな、とりとめのない、心をかすめる予感のようなもの。それが仮に言葉であればこのようになる、といった見本のようなものだろうか。

  しづみ、うかみ、とろけて了つてる
  遠いところ
  たれもかれもかがやいて
  とけあったもののうちに
  何かあかるいところがある

詩はほかにも「月の出」、「実在」、「失はれたるもの」,「八月」を発表している。

    池内紀著の「恩地孝四郎」〜一つの伝記より
          幻戯書房 2012年5月11日出版
〜〜〜

恩地孝四郎は,詩人でもあり、俗な言葉でいえば、総合アーティスト。
大手さんもデザインやその他のことで、活躍された。



      主題歌  貴方を想い 
作詞 カン・ウンギョン / 作詞曲 チェ・ウジン
 
    毎日貴方を想います
    過ぎ去った日を思い出します
    目を閉じて呼べば まるでそばにいるようで
    貴方は私を笑顔にしてくれます
    覚えていますか 
    悲しいほど 美しかったあの頃を
    叶わなかった私たちの愛を

    貴方 見てください
    愛しさを花びらに刺繍しますから 見てください 
    ある美しい春の日に 花が舞ったら
    貴方を忘れられずにさまよう
    私の心だと思ってください 貴方

    覚えていますか 
    悲しいほど 美しかったあの頃を
    叶わなかった私たちの愛を

    貴方 見てください
    涙で空に詩を書きますから 見てください 
    ある青い夏の日に 雨が降ったら
    貴方が恋しくて 声を上げて泣く
    私の心だと思ってください

    私のために悲しまないで 見てください 
    私の愛を葉に染めますから 見てください 
    ある乾いた秋に 紅葉が色づいたら
    貴方を想い 赤い傷になった
    私の心だと思ってください

    貴方 見てください 
    風の便りで私の無事を伝えますから 見てください 
    ある冷え込む冬の日 雪が舞い降りたら
    どこかで元気でいるという
    挨拶だと思ってください 貴方


     그대 보세요

    매일 그댈 생각합니다  
    지난 옛일 추억합니다.
     눈을 감고 부르면 곁에 있는 듯
    그댄 나를 웃게 합니다
    기억하고 있나요
     슬프도록 아름답던 그 시절
    못다했던 우리 사랑

    그대 보세요     
    그리움 꽃잎에 수 놓으니 보세요  
    어느 고운 봄날 흩날리거든 
    그대 못 잊어 헤매어도는  
    내 맘 인줄 아세요 그대  

    기억하고 있나요
    슬프도록 아름답던 그 시절     
    못다했던 우리 사랑  

    그대 보세요 
    눈물로 하늘에 시를 쓰니 보세요
    어느 푸른 여름 비 내리거든
    그대 그리워 목놓아 우는
    내 맘 인줄 아세요

    나를 위해 슬퍼 말아요 보세요
    내 사랑 잎새에 물들이니 보세요
    어느 마른 가을 단풍 들거든
    그대 생각해 붉게 멍들은
    내 맘 인줄 아세요

    그대 보세요
    바람 곁에 안부 전해두니 보세요
    어느 시린 겨울 눈 내리거든
    어디에선가 잘있노라는 
    인사 인줄 아세요 그


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by mhara21 | 2012-07-30 09:22 | 田中希代子 | Comments(0)

2人のGへ 

木枯らし的な寒さに見舞われていると、
この2人の音楽家に早めのクリスマスプレゼントを贈りたくなりました。


パーシー・グレインジャーへ

声に出して読んだら、ブルブルッと来ました。
骸骨を愛し、音楽の中に骸骨のダンスと骨が香る動きを撒き散らすグレインジャーにふさわしいと思いつつ。


 骸骨は踊る
          大手拓次

 ぺき ぺき ぺき と
 うすい どうんよりとした情景につれてをどる
 いつぴきの しろい骸骨が、
 ぬしの知れない ながい舌がふらりと花のやうにたれさがり
 蕭蕭と風をあふるのだ。
 ふくらみきつた夜の胴体のまんなかに
 しろい ふにやふにやした骸骨は、
 蛍のやうな魂を手にぶらさげて
 きやらきやらと をどりまはるのだ。




グレン・グールドへ


この2つ詩、原子朗先生の本の中に2つ並んでいました。

グレンチェックは靴下で知っていました。
スーパーでグレンがついた大好きなクジラのベーコンを見つけました。
着色料が怖くて、買わなかったけれど。
今日もグレンの音楽がお金となって、殺される犬たちを救っています。
耳と犬がキーワードでこの詩を選びました。
今年のクリスマス,多くの人々に神さまのお恵みが降り注ぐように祈ってやみません。


 野を匍ひ歩く耳 
            大手拓次

 葡萄のふさのやうにふんわりと ころもをきてうごき
 金色の木の実をうめて竪笛を吹きならす
 この 旅路のなかに明滅する悲しい生きものよ、
 うすい帽子の かすかにうかぶ
 忘却のはてしない風景に
 わたしの耳は 犬のやうにはひあるくのである。



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by mhara21 | 2009-11-30 15:46 | エッセイ | Comments(0)

77才、おめでとう!

77才、おめでとう!

七夕さまの日付け。「7」が2つ。

グールドは車好きで、多分、傘はささなかったでしょうね。
「腕がだるい」とか「傘が重い」とか言って。

傘の詩、気に入っていただけるかしら?



      傘

 大空は不思議な傘をかざし、
 さくら色の雨をふらす。
 あつたかい、あつたかい、
 ふくらむやうな雨をふらす。
 小鳥も雨にぬれ、
 わたしの嘆きも雨にぬれ、
 病気でねていゐるわたしの床には
 やさしい花がひらく。

        ------大手拓次


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by mhara21 | 2009-09-25 17:13 | エッセイ | Comments(0)

26回目のご命日    by マサコ

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今日はグールドさん26回目のご命日。

深い感謝と共に、大手拓次さんの詩を捧げます。



   母韻の秋
            大手拓次

  ながれるものはさり、
 
  ひびくものはうつり、
 
  ささやきとねむりとの大きな花たばのほとりに
 
  しろ毛のうさぎのやうにおどおどとうづくまり、
 
  宝石のやうにきらめく眼をみはつて
 
  わたしはかぎりなく大空のとびらをたたく。



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by mhara21 | 2008-10-04 00:18 | エッセイ | Comments(1)

お誕生日おめでとう! (トロント時間で)

76才のお誕生日おめでとう!


  ふかみゆく秋
            大手拓次

 とほくおとなひの手をのぞかせて、
 あらはにもさびしさをのべひろげる秘密の素肌、
 あしおともかろくながれて空の虹をいろどり、
 砂地のをかにもみぢする木の葉をみおくり、
 ちからのないこころのとびらをあけて、
 わたしは、ふかみゆく秋のねにききとれる。

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by mhara21 | 2008-09-26 09:41 | エッセイ | Comments(0)

ゴルトベルク第11変奏

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第11変奏は蝶々のよう。
この曲を弾くときは、様々なシーンに包まれる。

上行下行のモティーフを蝶の羽のように感じる。
羽を広げ、羽を閉じ、休んだり軽く翔ぶ様子に
水撒きをすると直ぐに飛んでくる蝶々たちを思う。

大手拓次は「4月の顔」の詩の最後を
「うすい絹のおもてにうつる青い蝶蝶の群れ咲き」
で表わしているけれど、
詩人の感性とこの曲は合体している。
あるいは、ナボコフがジッと蝶々を見つめている。



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by mhara21 | 2008-07-22 10:58 | エッセイ | Comments(0)

フランス旅行   ただし共感覚で

 
父が残してくれた財産の多くは全集ものであった。中でも昭和38年に第1回の「フランス」が配本された「世界の文化地理シリーズ」は私の宝物である。写真が美しく、ていねいな地図がついているので、子供でも世界旅行ができる。

 私はヨーロッパにまだ一度も行ったことがないが、文学作品や紀行文で、その場に連れて行ってくれる文章に出会うと、魔法のじゅうたんに飛び乗るように地球をまわる。

 7年暮らしたトロントでは「キャラバン」という移民のお祭りがある。ロシアからの独立を主張する民族のパビリオンでの食べ物の味を思い出しながら、読むロシアものも楽しい。

 共感覚者の書いた書物は、共感覚者でない読者を魅了することは稀であるような気がしている。共感覚とは、匂い(嗅覚)、音(聴覚)、色(視覚)、味(味覚)、手触り(触覚)等の感触が入り乱れて、その人独特の感じ方を創るものである。

 ナボコフは、20世紀3大文学作品にプルーストの「失われた時を求めて」とジョイスの「ユリシーズ」、ベールイの「ペテルブルグ」を挙げている。ナボコフの愛読書である三冊の書物には共感覚的な要素を感じることがある。

 ジェースキント著「香水—ある人殺しの話」は、嗅覚の恐ろしく発達した人物を主人公に度がはずれた物語が展開する。フランスの香水の調合師たちは、選びに選び抜かれた嗅覚の持ち主で、結婚する時も鼻の血統を調べ抜くといわれる。

 共感覚は遺伝する。たとえばプルーストの母親も共感覚者であると思う。「ボードレールは半分だけ好き」と言う彼女の言葉はボードレールは共感覚者でないと感じたから、出て来たものだろう。
 共感覚者は、記憶に優れ、想像力が豊かである。仏詩人ならランボー。日本の詩人なら、谷川俊太郎と大手拓次が思い浮かぶ。

 日本人に共感覚者は極めて少ない。それは人と同じであることを求める文化土壌が、理解出来ないものを認めない傾向が強く、人と変わった表現をする共感覚者を暖かく育てられないのだと思う。
 日本の文学者には、音を聴いて色を感じる人等、いないように思うし、音楽家で色聴のある、フランス人ならメシアンのような作曲家もいない(私がまだ探し当てていないのかもしれない)。
 色にうるさいフランス人、グールドの一生と芸術を己れの哲学的解釈の中に埋め込んだ作家シュネデールは共感覚者で、それゆえに「ママン」という、プルーストの両親の話まで含めた名著を出版した。ヨーロッパの文化が日本と違って共感覚者の花盛りなのは、とてもうらやましい。

 あの長い「失われた時」(ちくま文庫・井上究一郎訳)から、私の好きなところを抜き書きする。旅行以上の旅行ができるから——。

 あすになったらすぐ1時22分のあのゆったりとした、りっぱな汽車にのりたい、と私は思った。鉄道会社の広告や、周遊旅行案内に出ているこの汽車の発車時刻を、私はいつも胸を躍らさずには読むことができないのであった。その時刻は、その日の午後の正確な1点に、興味をそそる切れこみ、神秘な目じるしをつけているように思われた。この1時22分という時刻からそれてゆく時間は、なるほどさらにその夕方へ、そのあくる朝へとつづいていた。
 しかしわれわれがその夕方や朝をむかえるのは、パリではなくて、汽車が通ってゆく町々の一つ、汽車がわれわれに選ばせてくれる町々のどれか一つにおいてであろう。なぜなら、汽車はバイユーに、クータンスに、ヴィトレに、ケスタンベールに、ポントルソンに、バルベックに、ラニヨンに、ランバルに、ブノデに、ポン=タヴェンに、カンペルレに停車しながら、満載しているそれらの数々の名を私のまえにさしだし、堂々と前進していったからであり、私はそうした名をどれも選択からもらすわけにはいかず、どれを選びだせばよかったかわからないのであった。——
中略——

 私の健康がかたまるとしたら、そしてバルベックに滞在しに行くことはかなえられないまでも、せめて一度ノルマンディかブルターニュの建築と風景に親しむために、あんなにたびたび想像のなかで走らせたあの1時22分の汽車に乗ることを両親がゆるしてくれるとしたら、私はもっとも美しい町に真先におりてみたいと思った。しかしもっとも美しい町を割りだそうとしても、それは虚しかった。たがいに置きかえられない個性的な存在のなかから、どうしてほかよりもすぐれたものを選びだすことができよう?

 ——たとえば、赤味をおびた高貴なレースをまとってあんなに背が高い、そしその建物のいただきが最後のシラブルの古い黄金に照らされている バイユーBayeux、
そのアクサン・テギュが黒木の枠で、古びたガラス戸を菱形に仕切っているヴィトレVitre、
黄色いたまご殻色から、パールグレーにおよんでいる一帯の白色のなかの、やわらかなランバルLamballe、
その脂っこい、黄ばんだ、端の二重母宇が、バターの塔を戴冠させているノルマンディの大聖堂のクータンスCoutance、
ひっそり閑とした田舎の静けさに、蠅がつきまとう駅馬車のひびきをつたえるラニヨンLannion、
詩趣ゆたかな水郷の道のほとりにちらばっている白い羽と黄色いくちばしの、ほほえましい、素朴な、ケスタンベールとポントルソンQuestambert、Pontorson、
川がその藻のまんなかへひっぱりこもうとしそうに見えるのに、あやうく岸につながっている名のブノデBenodet、
運河のみどりの水にふるえながら映ると見るまに、白く、またばらいろにさっととびたつ、軽快な羽かざりの婦人帽をつけたポン=タヴェンPont-Aven、
中世このかた、小川の流と流のあいだにますます深く根をおろし、一方いぶし銀のねたば寝刃になってしまった日の光がステーンド・グラスの窓の蜘蛛の巣越しに描きだす薄墨色の淡彩画のなかで、せせらぎの音をひびかせ飛沫の真珠を「まきちらし(サンペルレ)」ているカンペルレQuimperle、
 以上のような町々のなかから、どれを選びだすことができよう?



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by mhara21 | 2007-04-02 15:13 | エッセイ | Comments(0)

後追い日記84年6・ヘビ

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# ヘ ビ

ある晩、マコは猛烈に勉強していた。
集中力はいい方だから一心不乱である。
その時、部屋の隅から大きな緑のヘビが出て来た。
色はきれいで、図体は大きいけれど、やわらかそうだった。
それでマコは恐怖心を持たなかった。

「わたしたちは日本から来た『因縁』なの。
どうかわたしたちが日本に帰れるように祈って下さいませんか?」
「はい。日本のどこからいらしたの?そして、どこに帰りたいのですか?」
「大きな湖のあるところから来ました」
「帰るって、随分大勢みたいだけど、個人のお家に帰るの?」
「いいえ。とにかく故郷に帰りたいので、あなたの祈りが欲しいのです」
「その県のことならよく知ってる。ある神社にお参りしたことがあるの。
『土山町』の田村神社。あそこは伊勢神宮へのお参りの道。
そこに行かれたら心が落ち着くかもしれないわね」

日本食料品店に買い物に行く。
お酒。お煎餅。かんぴょうとなんでも懐かしいものを1袋ずつ求めた。
帰ると部屋の片隅に、にわか作りの祭壇を作り、時間を決めてお祈りをする。
ヘビはそれきり現れなかった。


 みどり色の蛇   大手拓次

  仮面のいただきをこえて
  そのうねうねしたからだをのばしてはふ
  みどり色のふとい蛇よ、

  その腹には春の情感のうろこが
  らんらんと金(きん)にもえてゐる。

  みどり色の蛇よ、
  ねんばりしたその執著を路ばたにうゑながら、
  ひとあし ひとあし
  春の肌にはひってゆく。

  うれひに満ちた春の肌は
  あらゆる芬香にゆたゆたと波をうつてゐる。

  みどり色の蛇よ、
  白い柩(ひつぎ)のゆめをすてて、
  かなしみにあふれた春のまぶたへ
  つよい恋をおくれ、
  そのみどりのからだがやぶれるまで。

  みどり色の蛇よ、
  いんいんとなる恋のうづまく鐘は
  かぎりなく美の生立(おひたち)をときしめす。

  その歯で咬め、
  その舌で刺せ、
  その光ある尾で打て、
  その腹で紅金(こうきん)の焔を焚(た)け、

  春のまるまるした肌へ
  永遠を産む毒液をそそぎこめ。

  みどり色の蛇よ、
  そしてお前も
  春とともに死の前にひざまづけ。




next84年7へ



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by mhara21 | 2006-12-26 11:24 | 後追い日記84年 | Comments(1)

グールドへのメール16 医療過誤  

グールドへのメールを1から読む

 2001.4.8

 おはよう
 コンピューターが壊れているのではないのですか? 夢でも会えなくなっています。それとも作戦ですか? 私は淋しくてたまりません。

 この頃は、「ゴルトベルクとシャーマニズム」の文を友人に送っています。この世にあなたの新旧ゴルトベルクを聴かずに死ぬ人のなんと多いことでしょう。
 日曜日なのに仕事に行く姉(自宅が神戸市になって数年間こういう生活をしています)にお弁当を2つ作って土日くらいは一人きりになりたい。しかし、2万6000円の靴を買ってもらったので、そうもいえないでしょう?

 事務所の名は、「まりあ法律事務所」、キリストの母親の名前です。あなたのお母さんの名はフローレンス。グレインジャーのママはローズ。両者とも花に関係した名です。

 花と言えば、私はもう生花は買わないことにしたので、気が楽になりました。
 事務所は、部屋が2つで、片方の事務室には防音室の中に小ピアノが入っています。どうぞお弾きにいらして下さい。
もうひとつの部屋は昨日、絨毯が赤くなって、ピンクのブラインドと共にもう花は要らないムードです。その訳を言うと北側の窓2つからは、山々の美しさが眺められて、風景に事欠かないので。
一度お遊びにいらっしゃればよろしいのに。

 菌だらけの大学病院もよく見えます。人としての心に愛と情けのない医者の存在と企業体質の病院と営利主義の製薬会社のトリオで医療に関するトラブルは増える一方です。
「これは儲かるぞ」で勉強不足の弁護士たちが医療過誤事件に手を出そうとしています。病気したことのない、医療への願いもない、土日は遊んで過ごしたい人々に一体、何ができるのでしょう。人の幸せの役に立つより、お金儲けがしたい人たちの世の中は悲しいです。

 明日から、また新しい一週間が始まります。
 裁判所にお使いに行く度に、訴えるにせよ、訴えられるにしろ、こういう場所にはご縁がありませんようにと祈っております。

 今日はトサカに血が登っているので、ノイローゼ文です。
 あなたは、脳溢血で倒れて、わずか7日間の入院で亡くなりました。以前、あなたのことを易の人に占っていただきましたら「ヨットの帆が風をはらんで、追い風だけで進んでいくような人生だ」と言われました。50才での死を思う時、あの八卦見の言葉を思い出さずにはいられません。

 「生きている間に認められる人は天才ではない」説があります。大手拓次、カフカも死後、認められました。自分から売り込まなかったのは、本業がちゃんとあったからでしょう?

 その点、グールドは、キャリアの面でも八卦見の言うとおりです。
 そして、私は自分だけしか読めない文に、グールドへの虚しい気持ちを込めて、毎日メールを送るのです。

 今日は佐藤春夫さんの誕生日でもあります。
 グレインジャーよりは10才年下、1892年の生まれで、壬辰です。彼の詩才の鋭さ、豊かさ、バイタリティはすばらしい。事に漢詩からの訳もうなるものが多いです。

 中学校の先生を退職したもう一人の姉(兄の奥さん)が、次姉にピアノを習うことになりました。明日はピアノを買うのにつきあいます。

 さっきから頭がガンガンしてやりきれません。もう肉体がないから、こんな苦しみはない世界にいるのでしょう?近所にはピンクのボケがきれいです。「食いボケ」「色ボケ」年を取るのも芸のうちだそうです。
 50才で死ねたグールドが、うらやましい。


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by mhara21 | 2006-10-23 17:20 | グールドへのメール | Comments(0)