合い言葉GG
by mhara21
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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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後追い日記1986年20・新しい下宿(11月10日)

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#11月新しい下宿

ようやく新しい下宿を決めた。
Pと言う2度離婚した女性の家だった。私の荷物の状態は買い込んだ下らない品々の袋で、それはひどかった。友人に助けられて10月末に新しい地下室の部屋に移った。これが悲劇の始まりだった。

生きているうちに会える人は極少ない。
会っても共に食事をする人はさらに少ない。
ましてや1つの家に何か月も同居するご縁は余程縁の深いものであろう。わがままでいい加減、心の汚い女性との同居では幸せになれるはずがなかった。(食事付ということだった。)

まず夜遅く練習を終えて帰る私の玄関になる台所の入り口の電気を付けてあることがなかった。表の外灯も決してつけていなかった。
ところがある日、「娘がパーティーにいって遅く帰るから電燈は消さないように」と言われた。その上「それが礼儀ってもんでしょう?」とのたもうた。消そうにもスイッチのある場所など教えてもらってもいない。その夜、明々と表の庭の外灯も入り口の電気もついていた。
こんなに高い下宿代を払っているのにと思うと腹が立ったが何も言わなかった。この灯りの無さは彼女の人に対する思いやりのない闇の世界だった。

色のステキな犬がいた。夜遅く食事をしていると私の膝頭から股にかけて顔を突っ込んで食事が終わるまで、付き合ってくれるのでとてもかわいかった。ある晩帰って来ると毛糸の帽子が切られていた。私は笑いながら捨てた。家の中に動物がいる暮らしはとても楽しかった。

またある晩、練習して疲れ切って帰ってくるとテーブルの上に犬の食器にサラダが入れてあった。「あれ、これひょっとして犬の食器じゃない?」とびっくりしてしまった。しかし犬の食器はいつも自動食洗器でほかの食器と一緒に洗っていたし、「犬は家族の一員なのだから。これでいいのかしら‥‥?」と思ってサラダを食べた。でも心の中に電気の件と同じように何かがくすぶり続けた。

地下室には自分のお金で電話を取り付けるように言われたし、私が少し長く洗濯機を使うとわざわざ上から何を洗っているのか見に来た。食事の時は、油身の大い部分をわざと私にたっぷりつけていた。

最初の主人との子供は2人で大きくなっていた。1人は農夫になっている。2度目の主人との子供も2人。娘は家に居たし、息子は寄宿舎のある私立の学校にいて、時々家に帰って来ていた。

Pは私が子供を教えて1時間に$20、00取るのは高いと言い、一体ピアノなんざ弾いて何をする気か?と尋ねた。2度目の主人が子供と過ごすために子供を迎えに来ると彼女は顔をそむけて決して見ようとしなかった。私にやっていることは全てに人にしているんだなぁとガラス戸に映る歪んだ人間関係を食事をしながら見ていた。

Pのいじめは様々であった。私は家に寄り付かなくなり、電話で現状をアナウンスしてはウサを晴らした。その時得た私の電話番号は0070番という誠に奇妙な番号だった。


next 86年21・グールド家への電話 へ





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# by mhara21 | 2016-11-10 00:00 | 後追い日記86年 | Comments(0)

後追い日記1986年19・音楽院の不思議(10月30日)

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#日 記 音楽院の不思議

音楽院の不思議。
調律中のピアノを見た事がない。
ピアノの先生は、「音が狂っている」とい言う事はないけれど、
他の楽器の先生は「狂っている」という。
私は正直、狂っているかどうか気にならない。

母は一度も「絶対音感」という言葉を口にしなかった。
私はこちらでいう「Ear test」はよく出来る。
他の楽器でも、どの音かよく分かる。
だのになぜ狂っているピアノで音当てができるのだろう?
5年目に入った音楽院の不思議だ。
「天然音感」という言葉はないのだろうか?

ピアニストの演奏にはそれぞれ顔つきが違うように別の音感が感じられるのだ。
もっともこれは「音の感じ」ということだけど。


next 86年20・新しい下宿 へ







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# by mhara21 | 2016-10-30 00:00 | 後追い日記86年 | Comments(0)

Catch-up Diary 1982 (34)  An Intermission

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# An Intermission

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It is July 23, 1998.

While I was writing my catch-up diary, it occurred to me I hadn’t made an offering to Gould of anything else but the coffee leftovers. I hastily made some black Jacaranda coffee from a Malaysian village of Bukit Merah as an offering for him, and an ice coffee for me.

I thought I heard him say: “Mako, I am happy your life at long last became so tranquil that you can finally make me an offering of a coffee.”

It takes certain courage to actually write down Gould’s words.

Since April 1991 – I was learning Korean hangul at that point – I hadn’t managed to make a contact with him.

When I was about to write my catch-up diary, I thought I would not be able to speak with him as before, and I tried to contact his spirit a number of times.

However, I would just get sleepy as a result.

Remembering Swedenborg who worked while slumbering, I decided to go to sleep in case I could hear Gould in my dreams.

Thirty years ago, almost no information about Gould travelled to Japan.
However, I know even the name of a woman he had been dating at the time.

There is a great number of books now in which fans from different countries wrote their feelings for and memories of Gould.
Among them is a person who can see colours in Scriabin’s sonata performed by Gould.

There is a person who points at the contradiction between Gould as “the last puritan” and his performances that dazzle our senses.

There are also swarms of people who claim that the gods who visited Gould were the same gods that visited Hölderlin.

The first scholar in Japan who conducted a research about Gould was a young Gould’s fan, Miyazawa Jun’ichi.

My feelings towards Gould are not those of love, but of a selfish infatuation.
I just want to say that, like a kawara nadeshiko(*) that is nothing but a yamato nadeshiko(**), there is a person here who remembers and thinks of Gould as well.



* kawara nadeshiko (Lat. Dianthus superbus), in Japan, one of seven autumn flowers.
Kawara means river banks. Therefore this wild flower stands for an ordinary common being.

**Yamato nadeshiko (Dianthus superbus longicalycinus) is metaphorically associated with traditional, idealized feminine beauty in Japanese culture.

* kawara nadeshiko
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           photos by Qwert1234 (from wiki)

Translated by Saiko  

next October 16, 1982 (35) Conversation with Gould  ( continued )

Japanese version of this page 休憩 1982 (34) is here




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# by mhara21 | 2016-10-16 00:00 | 後追い日記82年 | Comments(0)

Program of "In Memoriam Glenn Gould "October 15,1982 日本語のまま

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Top 
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p.1
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・前奏として「バッハの前奏曲とフーガロ短調BWV544 」
    https://www.youtube.com/watch?v=i3qWqAD3EA0 

・家族並びに司祭館の入場に合わせて参列者起立して歌う
・讃美歌「神への賛美」(詩編第百編)

    https://www.youtube.com/watch?v=mj9w7IUQ5AU

p.2
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・開会挨拶
・独唱 ブラーム作曲 モテットop110-1「されど我は惨めなる者」

    https://www.youtube.com/watch?v=Y6W3QFQ3DO4

・詩編150編 朗読
・独唱 バッハ作曲 モテットBWV227-3「イエスよ、わが喜び」

    https://www.youtube.com/watch?v=a4SKrGYMp7A

・伝道の書第44章1-9 朗読
・フルート演奏 バッハ作曲 フルートソナタBWV1020から「アレグロ」

    https://www.youtube.com/watch?v=EN2dfenkEAw

・マタイによる福音書第6章25−34 朗読

p.3
b0071688_22124338.jpg

・独唱 バッハ作曲マタイ受難BWV244から「主よ、憐れみ給え」
         Kathleen Ferrierの歌声をyoutubeからどうぞ。。。

    https://www.youtube.com/watch?v=VL4qmyAo8W0

・献辞 
・弦楽四重奏 ベートーヴェン作曲弦楽四重奏曲第13番第5楽章「カヴァティーナ」op130

https://www.youtube.com/watch?v=oO1ianfHOyk

・祈祷
・讃美歌 「Now Thank We ALL Our God」

https://www.youtube.com/watch?v=_Z2_JLqOjNY

p.4
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・祝祷
・ゴルトベルク変奏曲から「アリア・ダ・カーポ」

https://www.youtube.com/watch?v=I95v2Gi1fms

-----------------------------------------------
・司式関係者(聖ミカエル合唱団監督神父、英国国教会曲牧師、
     救世主教会牧師、ユダヤ教ラビ、救世軍大尉)

p.5
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・賛助演奏者
・セント・ポール英国国教会への謝辞
・グレン・グールド記念基金はトロント大学音楽部学長へ



さすがのグールドさん。
キリスト教(カトリック、英国国教会、プロテスタント、救世軍)にユダヤ教のラビまでが司式に。。。。
彼の音楽の元、みんなが感謝の思いを一つにした追悼式だったのですね。



                           Tranlated by Saiko



Catch-up Diary 1982 (34)  An Intermissionへ 


Japanese version of this page October 14, 1982 (33)






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# by mhara21 | 2016-10-15 00:00 | 後追い日記82年 | Comments(0)

一目惚れ

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小林多喜二の作品は一字も読んでいない。
武満徹の音楽は聴かない。
だけど、このお二人は私の永遠の恋人。
最初は写真に一目惚れした。

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3年前、米リーグ・ミネソタツインズのマウアーに一目惚れ。
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続いて女子バレーのキム・ヨンジョンに一目惚れ。
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何の情報も知らず、すべて顔と身体から流れ出ている「気」のようなものに、
今でもノックアウトされる。

1970年、「行為と芸術」という本が出版された。
武満さん目当てに買ったけれど、ほとんどの内容がわからなかった。
今ならもう少し理解できるかも知れないあの本。
どこへ行ったのかしら。

2000年頃、横尾忠則と草間弥生さんの対談を読んだ。
お話の中身はよくわからないけれど、
横尾さんが草間さんを全く理解していないことだけはわかった。
草間さんは日本では虐められるぞと思っていたら、
やはりS字結腸社にやられていた。

この頃は声とお話の仕方で、相手がどんな方か的確にわかるようになった。
永井荷風は、声が美しいけれど、多喜二の声はもうどこでも聴けないだろう。
治安維持法で特高に虐殺された多喜二は、多分、キリストだったと思う。 
昔、NHKに唯一大好きな女子アナがいた。
ショートカットの声も話し方も感じのよい方。
今でも名前を知りたいと、時々思い出す。

キリスト教国のはずのアメリカが、
マニング上等兵をなぜ「キリスト」と思わないのだろう。
ペテン裁判の判決を受けて車に乗り込むマニングさんの小柄で細い身体から、
白い光が見えていた。
私はどうも「白い光」が出ている人が好きみたい。

今や各国首脳は、多国籍企業の傀儡と言われ、福祉国家のスウェーデンすら、
企業の税金がどんどん安くなっているとのこと。
こうして善人が処罰される時代が押し寄せてくるのだろう。


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富岡多恵子【行為と芸術 十三人の作家】美術出版社
13人の顔写真がずらり(本の内容はなし)

http://blog.livedoor.jp/mongabooks/archives/4476117.html

13人の名前はここで、ただし中国語
http://www.flickr.com/photos/futari-issue/2257811758/

見えるものと観えないもの—横尾忠則対話録  (草間弥生さんの対談)
ここの最初のレビューがいい。
http://www.amazon.co.jp/見えるものと観えないもの―横尾忠則対話録-ちくま文庫-横尾-忠則/dp/4480032142


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# by mhara21 | 2016-10-14 19:59 | エッセイ | Comments(1)

October 14th, 1982 (33)

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Diary Entry ; October 14th

Gould has been here the whole day today as well.
All the time, everywhere, we are together.
He has been observing me steadily, and as I am standing in the shower
taking my last shirt off, I am wondering if he would still be standing
there even when I am naked.

There is nothing in particular happening between us, and he looks happy like
a father watching over his newborn child.

Gould looks much younger and happier than when I saw him in
January this year.

I guess the Akashic records, the mother computer of the entire
universe, contains the record of Gould’s and my past as well.

In my free time I was watching the setting sun from my bed.
I was imagining, “If only now Gould’s black car would stop here.”

This imagination may have been caused by that unique energy of the
universe.
Why is this awkward thing happening now when I finally got hold of
a decent student life?

I wrote down what I heard last night.
I don’t think this is something I can tell other people.

During the last lesson I saw him in the air, engulfed in laughter.
“I don’t want you to enter my body and play the piano.”
I was sad because for a long time my piano practice hadn’t been proceeding
as I hoped it would.
I want to develop my skills as far as possible by my own efforts.

                         Translated by Saiko



next Program of "In Memoriam Glenn Gould " Oct.15,1982 


Japanese version of this page October 14, 1982 (33)









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# by mhara21 | 2016-10-14 00:00 | 後追い日記82年 | Comments(0)

私的グールド・フェスティヴァルを終えて

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 初瀬山
  かたぶく月も
  ほのぼのと
  霞にもるる
  鐘の音かな
         風雅和歌集 春上30  藤原定家
         

  ほのぼのと
  霞の袖の紅を
  くくるはしろき
  和歌の浦波
         拾玉集2191 詠み人知らず


  秋の田の
  穂の上に霧らふ
  朝霞
  いつへの方に
  我が恋やまむ
         万葉集・巻2ー88  いわのひめのおおきさき


毎年9月10月はグールドのことで忙しく過ごしている。
今年はカラフルに楽しむことが出来た。
SNSではグールドに関する新鮮なコメントをいただけて、感謝だった。

これからはグールドを過去のピアニストとして知る人々が主役となって、
グールドを盛り上げていくかなぁとしみじみ思う。

ご挨拶かたがた、短歌を紹介させていただいた。



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# by mhara21 | 2016-10-13 21:48 | エッセイ | Comments(0)

田中希代子さんの文章

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田中希代子さんは母上が亡くなられた後、病状が悪化の一途を辿る時に、
フランスから両親に書き送った手紙etc..を全部焼いておしまいになった。

「アルプスの少女」の作者ヨハンナ・シュピリも同じことをしている。
 この慎ましい女性二人は、ご自分にまつわる資料を残して、
後世に名前を残したいと思わなかったのだろう。

ファンとしてはいつも、「田中先生の文章があればどんなに良かっただろう」と思わずにはいられなかった。

先日チュエボーさんのブログで、嬉しい田中先生の記事が2つアップされた。
母上との写真とご本人の文章。そして珍しいカステラの広告写真とつぶやきだ。

文章の内容にも田中先生の知性がそこはかとなく漂っている。
またカステラの甘さに寄せた彼女の芸術的信念には、やはり「少女」という言葉があった。

〜〜〜〜〜〜〜〜

ママと一緒に東京から廿(20)時間汽車にゆられて遠いH市に行った時の事です。
大きな河に面した所に宿をとりました。
お部屋のガラス窓一杯に、秋の日が差し込んで来ます。
籐椅子に凭れて(もたれて)旅の疲れを休め乍ら外を眺めると、田舎の風景がいかにものんびりと、目に映ります。
海も近いのでしょうか、朝夕潮の満干につれて、もやい船が、上に行ったり、下に流されたりしているのも、山の手に住む私には、もの珍しく感じられます。

向う岸では、赤ん坊を背負った人がゆっくりと鍬を動かして居ます。
宿の裏庭の日溜りで、”ちゃんちゃんこ”を着たお婆さんが、筵の上に坐り、一日中根気よく薪を割って居ます。
その単調なリズムが、長閑さを一層増して居ます。
子供がはしゃぐ声が聞こえるので見ると、手前の岸のひたひたと波の寄せる石畳の所で、十才位の男の子が二人面白そうに遊んで居ます。
其所に繋いである小舟に、飛び乗って見たり、船が岸からすうっと離れる所を逆に石の上に伸び映ったりして喜び騒いで居ます。
これも間もなく厭きたと見えて一人が船底に大の字になってねそべってしまいました。
一人は仕方なしに舟縁を覗いて、竹の棒で水を掻き廻して居ます。
楽し相に、見ように依っては
退屈相に時間を過ごして居ます。
都会の私共には考えられない様なこの長閑な環境。

”こんなに暢気に暮らせたらいいなぁ”とふと羨ましくなりました。
でもすぐ一方に”これでいいのかしら? このような人世ではあまりにつまらない”といふ何か物足りない淡い淋しさが心のそこにしみじみと感じられました。

田中希代子

〜〜〜〜〜〜

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  甘さをおさえて弾いてみる
  私は少女に還る
  カステーラファンタジー

      ピアニスト 田中希代子



   チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ



・ショパン・エチュードop25-8
田中希代子 1932-1996

https://www.youtube.com/embed/TFngVxlM30k

・Kiyoko Tanaka – Nocturne in F major, Op. 15 No. 1 (1955)
 1955年ショパンコンクールライブ録音

https://www.youtube.com/watch?v=Ivs28P9CvZQ

・The V Frederic Chopin International Piano Competition 1955
表彰式

https://www.youtube.com/watch?v=0k_EzoytdZ8

・サンサーンスの第5番の協奏曲エジプト風

https://www.youtube.com/watch?v=6ihmN7Bh06Q

・美智子皇后陛下が愛された天才ピアニスト

https://www.youtube.com/watch?v=1-30pCXinDA








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# by mhara21 | 2016-10-10 14:08 | 田中希代子 | Comments(0)

Talking with Gould (part1), October 8, 1982 (32)

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The Beginning

Gould :
“Yes! It’s me. Hello! You noticed me after all. I trusted you would.
I’ve been so excited ever since I came over here. I am satisfied
because telepathy and spiritual world are as I believed them to be.

Also, I am so grateful that my last moments in this world were
quite sudden.
Just imagine… me... a person who hated people touching me,
living prostrated in a hospital bed. I am more free now than I was
when I was alive. It was so liberating to discard that broken body
of mine that I had tried to control with medicines.
I’ve received heartfelt messages from people all over the world.”

Masako:
“Mr. Gould, thank you. There are no words to express how much
encouragement I received through your music.
I hope with all my heart you will rest peacefully in paradise.”

G as Gould :
“More people than I imagined is bearing me in their mind. I was happy
while I was alive, but I am happy now that I left the Earth as well.
I can go now wherever I want to. A moment ago I thought about
my house in Southwood.
That moment I found myself in my living room. There was a phone call
from you from the conservatory.
I remembered then I heard about you from my father.
I was not much interested in you, but I signed 5 records and sent them.

It was so much fun watching you. You were heartily talking about
Nietzsche, is that right?”

M as Masako:
“I am afraid I was thinking about you too much and that my thoughts
may have killed you.”

G: “Oh, no, not at all. Love can never hurt people.”

M: “I can’t call these feelings love.”

And so went this strange exchange.

G: “I thought you a nice person,” he said.

“But it seems you’re not happy at all about me trying to contact you.
At times you would pretend you couldn’t hear me, and at times you
would shake your head. Why is that? I thought you would be happier.

I decided to follow you after you went back to the conservatory to practice.
It is vexing to see you lamenting my death as if “the sun would never shine
on Toronto again” even though I’m by your side like this…

You’re coming to my memorial service on the 15th, right? I am deeply
happy you are thinking of me. ”

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G: “Sorry, but follow me till your house. I want someone to talk to.
And you are the only one who can hear my voice.”

M: “Mr. Gould – if you are really Mr. Gould – thank you for coming to me.
However, I do not appreciate being made fun of by a spirit. I have a feeling
as if some lonely soul who has no one to tend its grave is impersonating
Gould and is saying half-truths.

I know from your records and the TV that you speak quickly.
However, that also can be imitated, isn’t that right?
I am sorry but I am very tired. Would you mind coming to meet me
again tomorrow?”



This is how Gould’s and my relationship started.
For a while, Gould’s glittering soul watched out for my life with love and affection.

However, this was a period of abrupt and radical change in my life
since becoming a student at the conservatory of music.

These conversation was a burden for me now that I was absorbed in my studies.
I have felt Gould’s warmth since I heard his first record.
And now that he is coming in the form of a spirit, I still feel his presence as “warmth”.

When I went to bed in the evening, I tried and asked him:

“Mr. Gould, were you used to like coffee? I can leave you some of mine when I am drinking it, if you’d like.”

What a meager and rude offering for the repose of his soul it was,
but that much I could manage. I think I gave such a strange suggestion
because he was an easy-going person and I managed to loosen up
around him.

From then onward, whenever I drank coffee, I would always leave
some and offer it to Gould. And ordinary soul would maybe get angry,
saying, “Don’t make a fool of me!” But Gould was kind and tolerant.

                         Translated by Saiko



next October 14, 1982 (33)

Japanese version of this page 1982年32・グールドの言葉その1 はじまり



↓You can see the program of "In Memoriam Glenn Gould "
Program of "In Memoriam Glenn Gould "Oct.15,1982  








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# by mhara21 | 2016-10-09 00:00 | 後追い日記82年 | Comments(0)

Canadian news articles about Gould’s death

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There were a number of news reports about Gould’s death in Canada at the time. I decided to upload them here.

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                           Tranlated by Saiko



next Talking with Gould, Octorber 8, 1982 (32)

Japanese version of this page 「グ−ルド死す」カナダでの報道記事










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# by mhara21 | 2016-10-08 12:00 | 後追い日記82年 | Comments(0)