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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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後追い日記81年19・オランダ生まれの天使

後追い日記81年を1から読む

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#オランダ生まれの天使

7月11日、オキーフセンターで「白鳥の湖」を見た後、待ち切れずにスミス家を訪問する。急に行くのは悪かったけれど、電話ではとても尋ねにくかった。裏のテラスで音がしていた。裏に廻ると出来上がったテラスの所に美しい女性がいた。

「こんにちわ」
「マコ?」
その声は既に何か安心していい響きがあった。
「あなたは奥さんですか?」
夫のほうを見やりながら「そうです」とフランシスは感慨深げに答える。
仲の良いご夫婦だと思った。

「グールドのお父さんに電話していただけましたか?」
「彼は病気で、電話を掛けた時に話を切り出せなかった」とロバート。

「私、これから家の中を見せてあげるわ。いらっしゃい」
と勢いよく立ち上がったフランシスは、大きなお腹をしていた。もうすぐ子供がこの世に生まれてくるのだ。

部屋の中は美しかった。慎ましやかな広さの部屋が秘やかに並んでいて、童話的なムードだった。階段が素敵。2階に行く。

「ここよ、ここがグレンの部屋だったのよ」
狭い部屋で、大きなグールドが、住んでいたとは思えなかった。横に1部屋あった。それから夫妻の寝室。その奥には勉強部屋。

「私たちは前にこの通りの南の家に住んでいたの。弁護士の主人はベッドルーム以外にもう1部屋、書斎が欲しかった。グールドさんも再婚してこの家を私たちに売りたがっていたから、それでこの家を買うことに。お父さんにしたら、全く知らない人には家を売る気にはなれないのね。
息子にあれだけのことをしている父親は、いないもの。この家は、息子との思い出でいっぱいよ」

「ご主人は弁護士なの?」
「ええクイーン通りの会社の弁護士よ」

「それで分かったわ。トロントに来る前ヴァンクーヴァーに1ヵ月半いたけれど、その頃からトロントに行ったら弁護士に会うと思っていたの」

「どうして?」 
「ただ感じていたの」

フランシスは優しく笑った。5人姉妹の下から2番目で人慣れしているせいか、利発で魅力的な女性だ。

「長いこと病気をして、グールドが私の生きがいだった。いつかカナダに来て彼と会うことを支えに生きて来たの」
相手はそれ以上聞かなかった。 

「お腹 重くない?」
「そりゃもう重いけれど、何より赤ん坊がよく動くの。もうすぐ生まれるわ」

階上の部屋の案内が済んだフランシスに思わず握手を求めた。握手というよりは手をつかみにいくような迫力だった。

「こんなによくしていただいてありがとう。お礼も言えない位に感動しています。ご親切をありがとう」

「どういたしまして。この家には高齢の父上が再婚した時に持って行けなかった彼の本やレコードがあるのよ。グールドは人嫌いではないけれど、ファンにまとわり付かれるのが煩わしいのよ。グールドのテレビ出演は、彼が恥ずかしがり屋でない証拠よ」

「それにしてもあの変わった人間関係の在り方は、一人っ子のせいではないかしらね」

言葉の問題が悔しい。母国語であれば楽しい話が出来る人達なのに、思っていることを表現出来ず、焦ってしまう。
日本語で話せても、相手が内容に興味がなければ話は通じないのだけれど‥。
マコの英語力では、グールドに会えてもコミュニケートは無理。

下の部屋にはピアノがあった。
「弾く? 彼の母親のフローラのピアノよ」


アクションの素晴しいピアノだった。勿論、グールドも弾いたであろう。
ピアノを弾きながら右手の本棚を見るとその一番上には、古ぼけた分厚いSPのアルトゥ−ル・シュナーベルのベートーヴェンピアノソナタ全集。

ラジオ放送でグールドのベートーヴェンソナタを聴いていた母が、「グールドはシュナベールの真似をしている。シュナーベルのファンに違いない」と笑い出したことがあった。
母の思った通りだった。このSPは母が10代の頃、台北でお兄さんと聴いたレコードと同じ。やはりこの家にあるのだ。

ロバートはテラス作りの仕上げをしていた。先月はご主人に、そして今回は夫人に最高のもてなしを受けた。

「あのピアノはグレンの母親のものだよ」
「奥さんからお聞きしました」

「お父さんが、この家を売る時に持っていけなくて、買わないかと声をかけたんだ」
「あれはチッカリンですね」
「そう。この家にはグールドさんたちの残したものが、かなりある。また見にいらっしゃい。ピアノなかなかいい音がしていたよ」



「よいテラスになってきましたね」
お別れの挨拶をして、一層膨らんだ夢と共にサウスウッドの丘を下った。
 
下宿に戻ると、なぜか強烈にグールドの母のフローレンスさんのことばかり思い続けた。
−3歳よりアマチュア・ピアニストの母にピアノを習い−  というレコードのジャケット裏の文が目の前に出てくる。
 −あの家なの?グールドが修行したのは?−
なぜかフローレンスさんとフランシスが重なる。

フランシスは、1953年オランダ生まれの女性。家族の夢と共にカナダに渡って来た。カナダ行きの船に乗っている賢そうな子供の時の写真を見せてもらったことがある。

快活でお話が好きで、後の付き合いの中で時々、「あなたはさっきから私の話をよく聞いていないわね。今、私が何と言ったか、最後の所言ってごらん!」とまるで姉妹の会話のようであった。



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# by mhara21 | 2006-04-23 11:21 | 後追い日記81年 | Comments(2)

後追い日記81年18・モントリオール旅行

後追い日記81年を1から読む

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#モントリオール旅行

7月1日から7日までモントリオールに出かけた。
観光バスの中でアメリカからきた婦人が親しく話しかける。
フランスから来た3人の女性も親切だった。
でも観光の仕方が悪かったのか、どこにいっても大した感動はなかった。 

今日は七夕様と思いながら帰りの汽車に乗っていると、キングストンから乗ってきた太った女性が「横に座っていいか」という。
「私はお昼にロブスターを食べてきたばかりなの。
 ねぇちょっと、歯の間にロブスターが挟まっていないかよく見てくれない?」
と思い切り口を横に広げる。
たまげたけれど「何も挟まっていません」と教えてあげた。

ラテン系かと思うようなこのイギリス女性は、夫と共にカナダ旅行中とのこと。それからトロントのユニオン駅まで60前後のこの女性のお喋りに付き合うことになった。

アングロサクソン、イギリス人は日本でいうと京都人に近いということ、本音と建て前が同じでないことにおいて。
イギリス人の二面性、「『ドラキュラ』が流行るのは、イギリスだから」とか、「『ジキル氏とハイド氏』だってアメリカの小説では考えられない」とか。

この夫人は例外なのか、あけっぴろげだった。
わがままな人で話から東洋人のみならず、自分以外は皆バカにしている感じだった。  
でも無邪気でかわいいのだろう、「あそこに主人が座っているわ」と指差し、「トロントに着いたら会ってってね」と楽しそう。

ユニオン駅に降り立つと、生き仏のようなご主人が手早く頼んだ赤帽と沢山の荷物と一緒に待っていた。
「私、汽車の中でずっとこの人と話していたの」

陰陽合体の観音様のような夫と無邪気な妻。カップルにポカンと見とれる。
この先マコにはどんな男性が現われるのかしら?


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# by mhara21 | 2006-04-23 11:19 | 後追い日記81年 | Comments(0)

後追い日記81年17・イミグレーション

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#イミグレーション

6月23日イミグレーションには1人で行った。

「白人に付いて行ってもらうとちがうのよ」
と聞いていたけれど、必要を感じなかった。
係官には相当な嘘をついた。
嘘をつく必要のない日本時代に比べ、
カナダでは嘘をつくことが多かった。例えば
「私は学校を終えると(学歴なし)、姉の法律事務所で秘書になりました」
「姉は忙しく、私は大変有能であったので(まるで無能)、代りの人がいないまま、殆ど休みも取らずに働き通しました(具合が悪くてほとんど寝ていた)」

「今年、長期の旅行を計画して休みを取りました。まずカナダからヨーロッパに回るか南米に行きたいと思っていましたが、カナダでこの国に恋をしました(移民官がにっこり笑う)」
「せっかくなのでもうしばらくいたいのです。英語学校にも通っています」

「それに私がカナダにいると日本から友人が沢山観光に来るのです(誰もまだ来ていない)。これはカナダにとっても収入面でいいことでしょう?」 

どこまで口が回るのか自分でも見当がつかないが、一般には海外では喋りすぎで怒られることはない。でも殊勝に

「英語だからよく説明できないのですが ‥‥」
「よく出来ていますよ」

「帰りの航空券も買ってあります」
 こうして飛行機の出発日10月3日までのヴィザが降りた。

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英語で一番困ったのは銀行での会話。全く喋れなかった。
ラジオの英会話のテキストに出てこなかったので覚えて使える言い回しがなかったのだ。下宿近くのドミニオン銀行に口座を開きに行った時にはパニックで全身汗をかいた。

日本ではピアノのみならず、英語を学んだ期間も殆どなかった。
やりたくてもピアノと同じ位にしか関われない高嶺の花の勉強の類いは、頭がのぼせて発作によくなかったし、痛みはきつくて事柄に集中できなかった。

トロントで1ヵ月過ごしたある日、痛みが薄らいでいることに気付いた。
うっすらではあるが生きて行くのが楽になった。湿度のせいだろう。

秋の木の葉の状態を比べるとすぐ分かる。
トロントでは敷石や土の上に落ちる葉は乾いていて、蹴ると四方に飛び散った。
ところがヴァンクーヴァーでは晴れの日でも見るからにペチョっとしていて、
木の葉同士が湿気のためにへばりついていた。
トロントの地面からは磁場というのか、グーとエネルギーが足の裏から伝わってくる。



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# by mhara21 | 2006-04-23 11:14 | 後追い日記81年 | Comments(3)

後追い日記81年16・ハンザ

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#ハンザ

ヴィザを得るためではあったが、ローズデイル駅近くの英語学校ハンザへ真面目に通う。
テストがあるとなると精一杯やるのは性分だったのでよく勉強した。

先生のデンマーク人は気さくな人だった。
「マコ、いつも東洋の神秘の微笑みとやらをありがとう。 
ところでグールドのどこが、そんなにいいのかい?」
「グールドは、とてもセクシーです」

「あの男がセクシーだって。 もしそうなら僕はおよそセクシーに対する概念を変えないといけないなあ」

「ところでマルセイラはさっきから何をそんなに笑っているの?」
「だって、さっきのキス小屋の話。マコは『どこにキスするの?』なんて聞くのよ。 唇よと教えてあげたけど、私は、笑いが止まらなくなってしまった」

「全くマコは、何を考えているのか?」
「だって日本には、お祭の時に『キス小屋』なんかありません。どこにするのかと思っただけ」

「・・・・・・(すごいカマトトめ)」
先生は唇を指さして、ダマレとテレパシーを出した。



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# by mhara21 | 2006-04-23 11:09 | 後追い日記81年 | Comments(0)

後追い日記81年15・キャラバン

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これはモニカさんの1984年のパスポート

#キャラバン

梁夫人が「もうすぐキャラバンが始まるわ、是非行くといいわよ」と教えてくれた。
キャラバン委員会に電話をする。
「Where are you located ? 」
「 located の意味がわかりません 」
「一番近くのパビリオンの行き方を教えたいの。
そこで全パビオリオンに出入り自由なパスポートが買えますよ」

初日はオデッサ・パビリオンからスタートした。
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キャラバンは移民のお祭りで、民族間の相互理解を、お互いの歌や楽器、踊り、食べ物を知ることから深めようという趣旨で始められた。

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1国家多民族の場合はそれぞれにパビリオンがある。
旧ユーゴスラビア、旧ソビエトだけでも驚く程多い。
自前のコミュニティーセンターを持たない民族は、期間中には映画館、図書館を借りてパビリオンとする。

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パビリオン巡りをすると、トロントの郊外のドデカい広さや、高級住宅地の自然の景観に圧倒される。
CNタワーの近くから出ているキャラバンのスペシャルバスで、5つのコースが選択出来る。コース毎に違うパビリオンを回れて、遠方に行くには欠かせないシステムだった。キャラヴァンのルートバスを利用出来れば良かったが、それでは限られた期間内に自分の行きたいパビリオンを回れない。
車を持たないマコは普通のバスを利用する。そのルートを探すのもトロントに来たばかりのマコにはなかなか大変だ。

そしてこっぴどい目にあう。

日本パビリオンはトロントの立派な日本文化センターだった。
そこで次のリガパビリオンへの行き方を聞いたが、誰も相手にしてくれない。
それどころか最後には「 いったいこの人は何なの ?」と言い出す。
会場の外で野菜を売っている男の子たちにも聞いたが知らん顔。
自分の国のパビリオンの準備や運営に忙しいのだろう。
でもすぐ近くにある他民族のパビリオンに興味がない様子にはがっかりだった。

エグリントンイーストのバスに乗り、バスの運転手さんに地図を見せたが彼も知らなかったようで、
降ろされたところはビクトリアパークの近く。
東京パビリオンからリガパビリオンまでは、2つぐらい先のバス停だったのに。
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あるバス停留所に日系の初老の婦人に出会った。
バスを待つ間、私は婦人になぜ日本から来たのか、カナダで 何をしたいのかを話した。
親身になって聞いてくださった婦人は、 ご自分のことを話してくださった。

私たちは戦時中、敵国の人間として強制的にキャンプに送られました。
 日本の敗戦後、解放されて新しく住む場所を考えた時、
 二度とバンクーバーには戻れないと思い、
 多くの日本人がカナダ東部に新天地を求めたのです。
 バンクーバーでは日本人は固まって住んでいたので、あんな風に一網打尽にやられてしまった。
 だから東部ではバラバラに離れた場所で暮らそうと決意しました」

静かな声で語ってくださる婦人の美しいお顔を眺めながら、想像を絶する一世のご苦労のお陰で、我々new comerは大きな顔してトロント歩いているのだとしみじみ思った。 だが何も言えず、ただ拝聴していた。
日本人が固まらないでバラバラに暮らすことや、 東部の方がいろいろな民族が来ていることが日系人ばかりが目の敵にされない。
日本人特有の猛烈な頑張りが、のんびり暮らしたい他の民族にとって脅威であったこと。その他多く話を7年のカナダ滞在中に知っていったが、その根底にはしずしずと話しを聞かせてくださった婦人の思い出があった。

どの会場でも「おいしかった? 楽しかった? 何か食べたの?」と話しかけられるが、そんな時いつもグールドの話をする。こうしていれば何時、彼の友人に出会えるかもしれないと思っていたから。

カナダに来てグレン・グールドへの夢を語る時、人々は好意的だった。
こちらも相手の顔つきや雰囲気を選んで喋っているせいかもしれない。
「こんな小さな女の子がたった1人で日本から来たの ?」
「応援するわ。 あなたの夢が叶いますように」
こうして私はますます夢を育むくようにトロントで育って行った。

キャラバンに夢中な人には、この期間は夢のような時間だ。
ショーの時間を調べて効率よく、できるだけ多くのパビリオンを回る。
当然、好き者同士、あちこちの会場で何度も出会うことになる。

ある会場で知り合った女の子とも、また別な会場で出会った。
展示物に夢中の二人はお互い気づかず、展示物を遠目近目に眺め回していて、
お尻をぶっつけ合うことに。
その衝撃に驚いて振り向き、「 またあなただったの !!! 」
しばし二人とも笑いが止まらなかった。


6月16日、下宿の梁夫妻に男の子が生まれた。
家の中で新生児の泣き声を聞くのはとても楽しい。
しかし何といっても気掛かりはサウスウッドからの返事。
何の連絡もないまま、キャラバン巡りで疲れたのか風邪を引く。

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# by mhara21 | 2006-04-23 10:56 | 後追い日記81年 | Comments(2)

後追い日記81年<休 憩> 1998.8.9

 ダイアナ妃が亡くなって今夏(1998年)ちょうど1年。
 人の運命の不思議さの説明が出来る人がいるだろうか?
 殊に人の生き死にについて‥‥。 

 女性の中で最高に幸せのはずの結婚をした20才の女性が、
 16年後には様々なスキャンダルと共にこの世にはいない。

 シンデレラコンプレックスの固まりのような女性が50才を前にしみじみ1人暮らしを楽しんでいる。この私の明日の生命も生活も今は分からない。
20年近く前のことを振り返ると余計なことを多く考えすぎる自分自身の姿に出会う。ピアノは驚く程弾いていない。

 グレン・グールドには日本茶をお供えする。
「もしよかったらお盆の頃には、ここにいらして下さいませんか?
 庭にはジンジャーの花が咲き乱れていますよ」

 後追い日記を綴ることは老後の備えと、人生が天の配在によって成されているかを確認する作業。
「神、与えたもう」「いつも喜んでいなさい。絶えず感謝し続けなさい」の聖句を胸に刻んで、進んで行こう。







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# by mhara21 | 2006-04-21 17:44 | 後追い日記81年 | Comments(1)

グールドへのメール 2 お雛様

グールドへのメールを1から読む

  2001.2.27

  日本は今から弥生を迎えます。
  これから桜が咲くまでの日本、特に関西の気候は、その微妙さでは天下一。
  梅と水仙の花の香りのブレンドや、ある日空気が「春」を奏でるのが毛穴から入ってくる。3月3日、女の子のお祭りがやってきます。TVでは各地に飾られている雛人形のニュースが絶えません。なかでも京都の名匠が100年前に作った雛人形が圧巻です。

食い入るように見つめていると、なぜか81年盤のゴルトベルクの演奏を思い出しました。
 永遠なる名工の不死鳥を宿した芸術作品はジャンルを超え、洋の東西があっても感じる人には同じエネルギーを与えているのかもしれません。

  ピアノを美しく弾くには100人の奏者が要ると考える人がいます。お雛様を作るには職人100人の手間がかかるそうです。グールドのレベルはまさに100人の職工の芸術の工芸品のような音楽なので、これをしのぐ名演奏はもうでないといわれるのでしょう。

  あなたは、日本や中国に惹かれていらしたそうですが、子供の時から「グールドは東洋的だなぁ」といつも思っていました。
 特に好きな演奏の中に如来像、菩薩像、ある時は明王と種々な仏さまに出会うこともグールドの演奏を聴く魅力の1つ。手工芸力の魅力もさることながら、不滅の精神エネルギーに恵まれて若き日々を過ごせたことは、今尚、感謝で一杯なのです。

  現実的な話題をしましょう。
今、有明海の「のり」の被害で漁民がお上に対して怒っています。またタオル製造者が国に輸入制限をするように申し入れています。日本企業が安い労働力を求めて外国で生産し、自分の国に持ち込んでいるそうです。1人の人間の100人分の富のために、1人が100人殺してもいいことになっている。こんな話、株で儲けることが楽しみだったグールドに話しても、おわかりになるでしょうか?
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 次は映画のお話です。
  音楽会はお嫌いでも、映画館なら人混みでも何とか我慢できたグールド。それでもあなたが映画館でフィルムを鑑賞なさったことは、稀なことのような気がします。勿論、お一人でモノクロ作品「砂の女」(1964年勅使河原プロダクション制作)を百何十回も見ておられたそうで、びっくりしました。偏執狂のグールドならではのエピソードですね。

 安部公房原作のこの映画については、横田庄一郎さんが「『草枕』変奏曲」の中で綿密に語っておられます。この著書の構成もまるでゴルトベルク変奏曲と同じですね。「変奏」こそついていませんが、「砂の女」の章は「第25」です。そこに「孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きのことなのである」と原作より「孤独」について鋭い引用がなされています。

「孤独」については、いつか話すことにして、「映画」を見るようになって、今までに「あなたと一緒に見たかった」と思う作品がありました。この「一緒に」がさぞかし背筋がゾォーっとする言葉でしょうが、今日のあなたは、こんなおバカのファンに支えられているのですから、少しは辛抱なさるように。
「一人で見て、一方的にemailで語る失礼をどうかお許し下さい」

 さてと、こんなに気を遣ったら、一体どの映画の話をしたらよいか分からなくなりました。
  もう疲れましたし、姉の事務所にバイトに出かける時間です。

  第二の「宮部みゆき」をめざして、縁起をかついで法律事務所に遊びに行くのです。
  FAX、コピー、コンピューターと、電気アレルギーの私には拷問部屋のようなところです。

  お供えの静岡の「やぶきた茶」は、おいしかったですか?
 お返事は不要。(実は返事が欲しい時にこう書くそうですが、今日のお手紙には質問はなかったのでした。)
 ごきげんよろしゅう。

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# by mhara21 | 2006-04-18 16:23 | グールドへのメール | Comments(0)

後追い日記81年14・マコの日記

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#マコの日記1981年6月6日

 今日という日は何という日でしょう。
 サウスウッド32番地の家があんなに小さく見えるのは周囲が森のような木立だから?
 ひょっとしたらご両親にお目にかかることになるかしら?と思いながら出かけたら、土建屋のおじさんみたいな人と話すことになった。

 今日の私は、オンタリオ湖のキラキラ光る太陽の光線のよう。
 のぼせた顔をして湖畔にすわっていると
「あんた、中国人?」とさもバカにしたように小さな女の子が問う。ほとんど裸の格好をしている。なんとなく、疎まし気に私を見つめる中年女性もいた。グールドは常に「スコットランド出身だの、アングロサクソン系」と言っているから、ワプスの居住地なのかもしれない。



「それで、グールドの家は大きかった?」
「小さいわよ。グールドの父親を知っている人が住んでいて、話して下さるそうよ」
「まあ!なんという気の狂った変わった女の人が日本から来ていると思うだけよ」
「なんにもないよりいいでしょう?」
「グールドってお金持ちなの?」
「家を4軒も持っているそうよ」

 ああ、それにしてもうまく私の気持ちが伝わるかしら? 今度は、スーツを着て再訪しなくっちゃあ。あの家の中に入ってみたい。

 病気の中学生のころ、家に母の手作りの大きな枕があった。学校に行かれないことや体の苦しさやら、将来への不安の思いで夜中に枕を抱いては「グールドの赤ちゃんごっこ」をして遊んだ。
 「これは、あの人の大切な子供なのよ」そう思うと心が平和になった。
 私のグールドへの思いは一体、何なのだろう。グールドも思われたくもない人から勝手に思われて、さぞやかし、迷惑なことだろう。

 もしも一緒にピアノを弾くことになれば・・・。あー足がガクガクする。
 でももうわかっている。母の言葉。
「世界の偉大な人が、あなたのような人を相手することはないのよ。そういうところが全く子供なのだから、母さんは、あきれてるの」
「そんなことは行って、頼んでみないとわからないわ」
 多分、そう。母さんのいっているとおり。
 ここまで押し掛けて来て行動に出ると現実がどんなものかわかる。
 それに、私は自分自身のグールドへの感情が自分でもわからない。



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# by mhara21 | 2006-04-15 12:33 | 後追い日記81年 | Comments(4)

後追い日記81年13・ロバートさん

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photo from Google May 2014


#ロバートさん

帰ろうとして坂を下った。
その時、大きな力が肩をつかんで北に向きを変えると「さあお行きなさい」とでもいうように家の方に押し上げた。その勢いで駆け足になって家に近付き、前庭に出入りしていた女性を家の横壁の所で捕まえた。

「サウスウッド通り32番地に行きたいのですが」  
「ここですが‥‥」

「このお宅はグレン・グールドさんのお宅でしょうか?」
「彼は昔住んでいましたが、彼の父親が私の息子にこの家を売りました」

「私は彼のファンです。3週間前にトロントに来ました。
 もし可能ならグールドさんにお目にかかりたいのですが。
 そして一緒にピアノを弾きたいのです」
「息子は彼の父親を知っています。今裏庭にいます。会って話をしてご覧なさい」

裏庭からは大きな音が聞こえていた。
男性2人が木のテラスを作っていた。
そばには乳首をくわえた男の子が遊んでいた。
 
自己紹介の後、用件を伝えた。
「日本の住所とトロントのあなたの電話番号を教えて下さい。
彼の父親にあなたの話をしましょう」

ロバート氏は自分の名前と電話番号を紙に書き、マコに渡した。
「グールドは家を4軒持っています。
  1つはセントクレアのアパート
  2つはエグリントン・イーストのイン・オン・ザ・パークのスタジオ
  3つは、ベイビューの上の方の一軒家
  4つは、どこだったかなぁ。
ファンが来ると、見つけるや否や、逃げ出して、避けているのですよ。
 会うのはとてもむつかしいと思いますよ。
 父親が去年再婚してから、それが気に入らなくて大変だそうです。
 この話がうまく息子の方に伝わるかどうかもわかりませんがね。
 それにしても、なんていう勇気のある人でしょう。
 いいお天気でしょう。トロントを楽しんでください。またね。」

興奮して転がるように坂を降りて湖岸に向かう。
心はキラキラしている湖のように大きくなる。
湖は初夏の青さを映してどこまでも真青だった。
遂にやったんだ。グールドの父上に話してもらえるかもしれない。第一歩が作れた。
人々や犬を眺めて半日近くをそこで過ごした。
お昼のデザートに果物とお菓子を食べる。
湖岸がグールドのかつての散歩道であることは想像出来た。

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(上の写真では大きな家のようですが、グールドの生家はこの写真の部分だけです)


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# by mhara21 | 2006-04-15 12:30 | 後追い日記81年 | Comments(1)

後追い日記81年12・サウスウッド32番地

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後追い日記81年を1から読む

 
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#サウスウッド32番地

6月6日日曜日。ズック袋にお弁当。パンツルックにスニーカーで市電に乗る。快晴。市電はヤング通りを越えるとスラム街に入って行く。都市部に随分広範囲に貧しい地区がある。徐々に中流地区があり、降車地のリー通りの辺りはしっかりしている。

右手に濃い緑の向こうに青々とした湖の色を映した絵葉書のような公園がある。見覚えのある風景は、松の緑が松食い虫で枯れていない駅の南に見える幼稚園時代の通園風景だった。

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ヒマラヤシーダーの大樹。今よりも水面が岸にはるかに近いキューガーデンの絶景は、懐かしい。

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リー通りを上がるとグールドの通った学校が見える。そこを右に曲がるとサウスウッド通り。北に上がって歩を進める。心臓はポンプのように活動して飛び出しそう。

何と小さな家並み。大きな家とばかり思っていたのに。
屋内がシックな作りであることは外からでも分かった。
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あの家だ。
乳母車が見える。 残念!!  
赤いシャツの女の人がチラチラ見える。
もしかしてグールドのお姉さんかしら。
きっとご両親は引っ越しされたのだ。
1978年9月、グールド夫妻気付で誕生日カードを送った事がある。

感無量だった。グールドが住んでいた家。
あの2階のどこかに少年時代を過ごした彼の部屋がある。

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その人が奏でた音楽によって慰められた私の夢が叶って今、その家の前に立っている。

通りの向こうから、あるいは家の少し上の所からと私は場所を変えて家を眺め、物思いにふける。最後にもう1度だけよく見よう。私の旅はこれで終わったのだ。



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# by mhara21 | 2006-04-13 11:58 | 後追い日記81年 | Comments(1)