合い言葉GG
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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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後追い日記1986年22・グールド家への電話(11月)

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#グールド家への電話

11月のある夜、電話帳で番号を調べるとグールド家に電話をかけた。
ヴェラ夫人が電話口に出た。

「弁護士のS氏から私のことをお聞きになったことがあると思いますが‥‥」と会話を始めた。ヴェラ夫人は大変用心深かったがグールド氏に代わるといった。
「グールド氏の死後、カナダに残り学校に行っています。ぜひお目にかかりたい。お宅に伺ってもよろしいですか?」と聞くと
「私もあなたに会いたいから、どうぞ」と言われ、又ヴァラ夫人に代わった。
「それにしてもあなたは本当に逢いにいらっしゃるだけなんでしょうね」とヴェラ夫人は不愉快そうに言う。そして「私たち、私たちに近付こうとする人をとても警戒して言るのですよ」とこわい声で続けた。
その言葉や様子から私は『グールド夫妻には寄付の依頼が多くてウンザリなさっているのではないかしら?』と思った。

しっかり者のヴェラ夫人は「念のため、あなたの電話番号を教えて」と言われ、
「0070番」と答えると「なんと奇妙な番号でしょう」と感想をもらした。私もいつもこの奇妙な番号を不思議に思っていたので初めてヴェラ夫人に人間味を親しみを感じた。 



その後のグールドの父上を訪問日記はこちら
GG生誕83年・没後33年を迎えて ーーR.H.グールド宅訪問記




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# by mhara21 | 2016-11-20 00:00 | 後追い日記86年 | Comments(0)

後追い日記1986年21・クバレックとの勉強(11月15日)

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#11月 15日クバレックとの勉強

クリスマスが近付くと恒例のグリンガス教室の学生コンサートがある。私は小さな子供たちの曲を丁寧に稽古した。アナと言うシンガポール系中国人の少女はバッハのト長調の曲と2フレーズの小曲を弾くとになった。私は時間が合わないのでアナの家まで言ってリハーサルをしようと思った。住所もウロ覚えで下宿を飛び出して1日中いろいろなことをして夜、エグリントンの駅から歩き、着いた家は違う家。親切なその家の人のお陰で歩きに歩いてようやく辿り着いた。「駅から歩いて来た」と言うと皆、目を回していた。

食事の仲間に入れていただいた後、リハーサルをした。アナに「ゆっくり弾け」と母親が言った。それに対して私は「音の質で早く弾いたように聞こえたのだから、アナ、こういう音で弾いてごらん」とピアノでその音を出した。アナはその真似をした。テンポは変わらなかったけど、今度は音の膨らみでゆっくり聴こえた。美しい音楽になった。母親はびっくりしていた。帰りはご主人が車で送って下さった。ご主人は何だか思い詰めたような顔をしていた。食事中バンクーヴァーで生ウニをどれだけ沢山食べたかとか話していたけれど食事中にまだ食べ物の話しをする健啖家であった。
後日C夫人は「主人は『マコが賄い付の下宿に暮らしているとは信じられん。あの痩せようは何だ。時々家に招いてご飯を食べさせてあげなさい』と言っているのよ」と話して下さった。

「子供の演奏者はいつヴァイオリンの弓を振り上げて弾き出すか分からないから気を付けなさい」とグリンガス夫妻に言われていたが、本当に同じことよく起こった。でも本番ではぴったりあった演奏が出来てホッとした。
 
どれもこれも楽しい仕事だった。この慎ましやかな仕事は音楽の喜びに溢れていた。「ぜひキワニスで私の生徒の仕事をしてください」と頼まれたが断わった。引っ越しも考えていたので、あれこれ手を出す気にはなれなかったのだ。


ピアノの生徒たちは主に台湾教会のある場所でレッスンしていた。
Mr.Kとの前期が終った。指使いも何も皆、楽譜に書き込んで下さるので嬉しかった。マリーナは『いい加減自分で考えたらどうなの?』という感じだったので、『先生を変わるのも悪くないなぁ』と思っていた。

マリーナとクバレックの先生としての違いは、すぐにわかった。マリーナの明敏さがクバレックにはなかった。クバレックはその頃夫人との別居に踏み切ることで、相当辛い時期を送っていたと思う。
ベートーベンのバガテルを弾くように勧めてくれたことには感謝しているが、それによって私の体力には余分な重荷となり体がつぶれたことも事実だった。このあたりの読みがマリーナと違い不的確であった。

マリーナほど、優れた教師はいなかった。
1年目はできないことは全く要求せず、2年目はただただ生徒を鍛え上げた。そして3年目になるとひたすら生徒が自立するようにハッパをかけた。
『指使いは書き込まないのよ。プロとはそういうものよ。プロの楽譜って何も書いていないのよ。』私が指使いを書くのすら、ダメだと言っていた。

グールドの楽譜は書き込みが多いようだ。
彼にとって楽譜など録音の際の『見取り図』にすぎなかった。ギーゼキングと同じでフォトグラフィックメモリーの持ち主で、弾く前に楽譜が頭に入るタイプであった。

私も阪神大震災の前は、フォトグラフィックメモリーがあった。ご丁寧に指使いや書き込みまで頭の中に出てくるコチコチタイプだった。指使いの数字を覚えているだけで音符を忘れない自信すらあった。

グールドとクバレックには奇妙な話がある。クバレックからグールドのプロデュースによってコルンゴルトのピアノソナタを録音した話は聞いたことがない。ところが、グールドのプロデューサーだったカズディンの本には、グールドが自分がプロデューサーになった時の感じをしゃべっている個所がある。
その録音は今はCDで聞ける。
おおよそ、グールドの好みの音楽とは思えない。
勿論、CDでもグールドがプロデュースしたことになっている。グールドのライナーノーツもある。でもクバレックの口から、「グールドに会ったことはない」と聞いているので、どういう事情だろうと考えてしまう。

何はもあれ、下宿で、心に愛のないわがまま、気まま、チャランポランの痴女とはいかなるものか、もう2ヶ月勉強しなければならなかった。
11月に「教会のクリスマスコンサートにブラームスを弾いてくれませんか?」と顔見知りのドイツ人に頼まれていた。
ブラームスを弾くのはほぼ初めてだった。

12月のコンサートで、本場ドイツの人々から大拍手を浴びた3人の音楽家。演奏後、お祝いの言葉をいただいた。
私は密やかにグールドがどんなに喜んでいるだろうと思った。
あれこれピアノのレッスンをこなし、場所を貸してくださる人から「疲れ切っているよ」と心配されたけど、大した仕事をしているとは思わなかった。
何もかも結局はフル回転の1年だった。
音楽で高揚しつつも、すぐに疲れで体が壊れてしまう。その両極端の学生の生活。5年目の2/3の学期が終わろうとしていた。


86年のクリスマスもニューヨークで過ごした。一度も行ったことのないエンパイアステイトビルディングを遠目から、眺める毎に
——いつかきっと偉い音楽家になるのだ ——
という闘志が燃え上がるのを感じた。



86年23・グールド家訪問(12月1日) へ






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# by mhara21 | 2016-11-15 00:00 | 後追い日記86年 | Comments(0)

訃 報 Marina Geringas

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私にとってグールド並みの巨星だったトロントでの恩師マリーナ・ゲリンガス先生。
彼女が今年6月20日逝去されたことを知った。
トロント大学音楽部のウォルターホールで偲ぶ会が行われ、
映像作家の一人息子エリックさんが司会する動画を見た。

偲ぶ会の様子 1時間40分のビデオ
Marina Geringas: A Celebration of Life


懐かしい夫君のヤコブさんの写真がなかったことが気になった。
マリーナの交友は世界各地に広がっている。
かつての教え子、友人が語るマリーナ像は、どれも私が知っている先生だった。
先生は以前、
「どうして日本人は助け合わないの? 
 ユダヤ人ならあなたのような音楽家をもっと助けるわよ」
と言われたことがある。
その言葉を思い出す度、いつも田中希代子さんがユダヤ系だったらどんなに守られたかと思う。

幼き日、サンクトペテルブルグから移住してきた室内楽演奏家のヴァディームは
彼は彼女のことを「マリーナおばさん」と呼び「、ロシア語を習っていた」と聞いて羨ましかった。
「あんなに美しくロシア語を話す人はいない」と言っている。
先生のロシア語は、自然界や宝石が光るようだった。

今年5月の最後の電話では、77歳の英語の美しさに圧倒された。
多くの人の「彼女のリリカルな声」にしみじみ、
「あの声は人に愛を与えていたのだ」と思った。

In Memoriam of Marina Geringas



49人の友人知人のメッセージ
This Guest Book will remain online permanently courtesy of Karen Quinton. - See more at: http://www.legacy.com/guestbooks/thestar/marina-geringas-condolences/180440713#sthash.WeA1onwB.dpuf


記事
MARINA GERINGAS
Obituary

http://www.legacy.com/obituaries/thestar/obituary.aspx?pid=180440713

Marina Geringas nurtured talent of Canada’s young elite pianists


Teacher of elite pianists played last concert for Music in the Afternoon in 1982.


Friends and Colleagues Pay Tribute to an Exceptional Teacher
(Royal Conservatory)


Marina Geringas 写真

facebookにもこんなページが。。。
Remembering Marina Geringas

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# by mhara21 | 2016-11-11 13:03 | エッセイ | Comments(0)

後追い日記1986年20・新しい下宿(11月10日)

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#11月新しい下宿

ようやく新しい下宿を決めた。
Pと言う2度離婚した女性の家だった。私の荷物の状態は買い込んだ下らない品々の袋で、それはひどかった。友人に助けられて10月末に新しい地下室の部屋に移った。これが悲劇の始まりだった。

生きているうちに会える人は極少ない。
会っても共に食事をする人はさらに少ない。
ましてや1つの家に何か月も同居するご縁は余程縁の深いものであろう。わがままでいい加減、心の汚い女性との同居では幸せになれるはずがなかった。(食事付ということだった。)

まず夜遅く練習を終えて帰る私の玄関になる台所の入り口の電気を付けてあることがなかった。表の外灯も決してつけていなかった。
ところがある日、「娘がパーティーにいって遅く帰るから電燈は消さないように」と言われた。その上「それが礼儀ってもんでしょう?」とのたもうた。消そうにもスイッチのある場所など教えてもらってもいない。その夜、明々と表の庭の外灯も入り口の電気もついていた。
こんなに高い下宿代を払っているのにと思うと腹が立ったが何も言わなかった。この灯りの無さは彼女の人に対する思いやりのない闇の世界だった。

色のステキな犬がいた。夜遅く食事をしていると私の膝頭から股にかけて顔を突っ込んで食事が終わるまで、付き合ってくれるのでとてもかわいかった。ある晩帰って来ると毛糸の帽子が切られていた。私は笑いながら捨てた。家の中に動物がいる暮らしはとても楽しかった。

またある晩、練習して疲れ切って帰ってくるとテーブルの上に犬の食器にサラダが入れてあった。「あれ、これひょっとして犬の食器じゃない?」とびっくりしてしまった。しかし犬の食器はいつも自動食洗器でほかの食器と一緒に洗っていたし、「犬は家族の一員なのだから。これでいいのかしら‥‥?」と思ってサラダを食べた。でも心の中に電気の件と同じように何かがくすぶり続けた。

地下室には自分のお金で電話を取り付けるように言われたし、私が少し長く洗濯機を使うとわざわざ上から何を洗っているのか見に来た。食事の時は、油身の大い部分をわざと私にたっぷりつけていた。

最初の主人との子供は2人で大きくなっていた。1人は農夫になっている。2度目の主人との子供も2人。娘は家に居たし、息子は寄宿舎のある私立の学校にいて、時々家に帰って来ていた。

Pは私が子供を教えて1時間に$20、00取るのは高いと言い、一体ピアノなんざ弾いて何をする気か?と尋ねた。2度目の主人が子供と過ごすために子供を迎えに来ると彼女は顔をそむけて決して見ようとしなかった。私にやっていることは全てに人にしているんだなぁとガラス戸に映る歪んだ人間関係を食事をしながら見ていた。

Pのいじめは様々であった。私は家に寄り付かなくなり、電話で現状をアナウンスしてはウサを晴らした。その時得た私の電話番号は0070番という誠に奇妙な番号だった。


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# by mhara21 | 2016-11-10 00:00 | 後追い日記86年 | Comments(0)

後追い日記1986年19・音楽院の不思議(10月30日)

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#日 記 音楽院の不思議

音楽院の不思議。
調律中のピアノを見た事がない。
ピアノの先生は、「音が狂っている」とい言う事はないけれど、
他の楽器の先生は「狂っている」という。
私は正直、狂っているかどうか気にならない。

母は一度も「絶対音感」という言葉を口にしなかった。
私はこちらでいう「Ear test」はよく出来る。
他の楽器でも、どの音かよく分かる。
だのになぜ狂っているピアノで音当てができるのだろう?
5年目に入った音楽院の不思議だ。
「天然音感」という言葉はないのだろうか?

ピアニストの演奏にはそれぞれ顔つきが違うように別の音感が感じられるのだ。
もっともこれは「音の感じ」ということだけど。


next 86年20・新しい下宿 へ







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# by mhara21 | 2016-10-30 00:00 | 後追い日記86年 | Comments(0)

Catch-up Diary 1982 (34)  An Intermission

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# An Intermission

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It is July 23, 1998.

While I was writing my catch-up diary, it occurred to me I hadn’t made an offering to Gould of anything else but the coffee leftovers. I hastily made some black Jacaranda coffee from a Malaysian village of Bukit Merah as an offering for him, and an ice coffee for me.

I thought I heard him say: “Mako, I am happy your life at long last became so tranquil that you can finally make me an offering of a coffee.”

It takes certain courage to actually write down Gould’s words.

Since April 1991 – I was learning Korean hangul at that point – I hadn’t managed to make a contact with him.

When I was about to write my catch-up diary, I thought I would not be able to speak with him as before, and I tried to contact his spirit a number of times.

However, I would just get sleepy as a result.

Remembering Swedenborg who worked while slumbering, I decided to go to sleep in case I could hear Gould in my dreams.

Thirty years ago, almost no information about Gould travelled to Japan.
However, I know even the name of a woman he had been dating at the time.

There is a great number of books now in which fans from different countries wrote their feelings for and memories of Gould.
Among them is a person who can see colours in Scriabin’s sonata performed by Gould.

There is a person who points at the contradiction between Gould as “the last puritan” and his performances that dazzle our senses.

There are also swarms of people who claim that the gods who visited Gould were the same gods that visited Hölderlin.

The first scholar in Japan who conducted a research about Gould was a young Gould’s fan, Miyazawa Jun’ichi.

My feelings towards Gould are not those of love, but of a selfish infatuation.
I just want to say that, like a kawara nadeshiko(*) that is nothing but a yamato nadeshiko(**), there is a person here who remembers and thinks of Gould as well.



* kawara nadeshiko (Lat. Dianthus superbus), in Japan, one of seven autumn flowers.
Kawara means river banks. Therefore this wild flower stands for an ordinary common being.

**Yamato nadeshiko (Dianthus superbus longicalycinus) is metaphorically associated with traditional, idealized feminine beauty in Japanese culture.

* kawara nadeshiko
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           photos by Qwert1234 (from wiki)

Translated by Saiko  

next October 16, 1982 (35) Conversation with Gould  ( continued )

Japanese version of this page 休憩 1982 (34) is here




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# by mhara21 | 2016-10-16 00:00 | 後追い日記82年 | Comments(0)

Program of "In Memoriam Glenn Gould "October 15,1982 日本語のまま

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Top 
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p.1
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・前奏として「バッハの前奏曲とフーガロ短調BWV544 」
    https://www.youtube.com/watch?v=i3qWqAD3EA0 

・家族並びに司祭館の入場に合わせて参列者起立して歌う
・讃美歌「神への賛美」(詩編第百編)

    https://www.youtube.com/watch?v=mj9w7IUQ5AU

p.2
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・開会挨拶
・独唱 ブラーム作曲 モテットop110-1「されど我は惨めなる者」

    https://www.youtube.com/watch?v=Y6W3QFQ3DO4

・詩編150編 朗読
・独唱 バッハ作曲 モテットBWV227-3「イエスよ、わが喜び」

    https://www.youtube.com/watch?v=a4SKrGYMp7A

・伝道の書第44章1-9 朗読
・フルート演奏 バッハ作曲 フルートソナタBWV1020から「アレグロ」

    https://www.youtube.com/watch?v=EN2dfenkEAw

・マタイによる福音書第6章25−34 朗読

p.3
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・独唱 バッハ作曲マタイ受難BWV244から「主よ、憐れみ給え」
         Kathleen Ferrierの歌声をyoutubeからどうぞ。。。

    https://www.youtube.com/watch?v=VL4qmyAo8W0

・献辞 
・弦楽四重奏 ベートーヴェン作曲弦楽四重奏曲第13番第5楽章「カヴァティーナ」op130

https://www.youtube.com/watch?v=oO1ianfHOyk

・祈祷
・讃美歌 「Now Thank We ALL Our God」

https://www.youtube.com/watch?v=_Z2_JLqOjNY

p.4
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・祝祷
・ゴルトベルク変奏曲から「アリア・ダ・カーポ」

https://www.youtube.com/watch?v=I95v2Gi1fms

-----------------------------------------------
・司式関係者(聖ミカエル合唱団監督神父、英国国教会曲牧師、
     救世主教会牧師、ユダヤ教ラビ、救世軍大尉)

p.5
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・賛助演奏者
・セント・ポール英国国教会への謝辞
・グレン・グールド記念基金はトロント大学音楽部学長へ



さすがのグールドさん。
キリスト教(カトリック、英国国教会、プロテスタント、救世軍)にユダヤ教のラビまでが司式に。。。。
彼の音楽の元、みんなが感謝の思いを一つにした追悼式だったのですね。



                           Tranlated by Saiko



Catch-up Diary 1982 (34)  An Intermissionへ 


Japanese version of this page October 14, 1982 (33)






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# by mhara21 | 2016-10-15 00:00 | 後追い日記82年 | Comments(0)

一目惚れ

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小林多喜二の作品は一字も読んでいない。
武満徹の音楽は聴かない。
だけど、このお二人は私の永遠の恋人。
最初は写真に一目惚れした。

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3年前、米リーグ・ミネソタツインズのマウアーに一目惚れ。
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続いて女子バレーのキム・ヨンジョンに一目惚れ。
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何の情報も知らず、すべて顔と身体から流れ出ている「気」のようなものに、
今でもノックアウトされる。

1970年、「行為と芸術」という本が出版された。
武満さん目当てに買ったけれど、ほとんどの内容がわからなかった。
今ならもう少し理解できるかも知れないあの本。
どこへ行ったのかしら。

2000年頃、横尾忠則と草間弥生さんの対談を読んだ。
お話の中身はよくわからないけれど、
横尾さんが草間さんを全く理解していないことだけはわかった。
草間さんは日本では虐められるぞと思っていたら、
やはりS字結腸社にやられていた。

この頃は声とお話の仕方で、相手がどんな方か的確にわかるようになった。
永井荷風は、声が美しいけれど、多喜二の声はもうどこでも聴けないだろう。
治安維持法で特高に虐殺された多喜二は、多分、キリストだったと思う。 
昔、NHKに唯一大好きな女子アナがいた。
ショートカットの声も話し方も感じのよい方。
今でも名前を知りたいと、時々思い出す。

キリスト教国のはずのアメリカが、
マニング上等兵をなぜ「キリスト」と思わないのだろう。
ペテン裁判の判決を受けて車に乗り込むマニングさんの小柄で細い身体から、
白い光が見えていた。
私はどうも「白い光」が出ている人が好きみたい。

今や各国首脳は、多国籍企業の傀儡と言われ、福祉国家のスウェーデンすら、
企業の税金がどんどん安くなっているとのこと。
こうして善人が処罰される時代が押し寄せてくるのだろう。


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富岡多恵子【行為と芸術 十三人の作家】美術出版社
13人の顔写真がずらり(本の内容はなし)

http://blog.livedoor.jp/mongabooks/archives/4476117.html

13人の名前はここで、ただし中国語
http://www.flickr.com/photos/futari-issue/2257811758/

見えるものと観えないもの—横尾忠則対話録  (草間弥生さんの対談)
ここの最初のレビューがいい。
http://www.amazon.co.jp/見えるものと観えないもの―横尾忠則対話録-ちくま文庫-横尾-忠則/dp/4480032142


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# by mhara21 | 2016-10-14 19:59 | エッセイ | Comments(1)

October 14th, 1982 (33)

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Diary Entry ; October 14th

Gould has been here the whole day today as well.
All the time, everywhere, we are together.
He has been observing me steadily, and as I am standing in the shower
taking my last shirt off, I am wondering if he would still be standing
there even when I am naked.

There is nothing in particular happening between us, and he looks happy like
a father watching over his newborn child.

Gould looks much younger and happier than when I saw him in
January this year.

I guess the Akashic records, the mother computer of the entire
universe, contains the record of Gould’s and my past as well.

In my free time I was watching the setting sun from my bed.
I was imagining, “If only now Gould’s black car would stop here.”

This imagination may have been caused by that unique energy of the
universe.
Why is this awkward thing happening now when I finally got hold of
a decent student life?

I wrote down what I heard last night.
I don’t think this is something I can tell other people.

During the last lesson I saw him in the air, engulfed in laughter.
“I don’t want you to enter my body and play the piano.”
I was sad because for a long time my piano practice hadn’t been proceeding
as I hoped it would.
I want to develop my skills as far as possible by my own efforts.

                         Translated by Saiko



next Program of "In Memoriam Glenn Gould " Oct.15,1982 


Japanese version of this page October 14, 1982 (33)









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# by mhara21 | 2016-10-14 00:00 | 後追い日記82年 | Comments(0)

私的グールド・フェスティヴァルを終えて

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 初瀬山
  かたぶく月も
  ほのぼのと
  霞にもるる
  鐘の音かな
         風雅和歌集 春上30  藤原定家
         

  ほのぼのと
  霞の袖の紅を
  くくるはしろき
  和歌の浦波
         拾玉集2191 詠み人知らず


  秋の田の
  穂の上に霧らふ
  朝霞
  いつへの方に
  我が恋やまむ
         万葉集・巻2ー88  いわのひめのおおきさき


毎年9月10月はグールドのことで忙しく過ごしている。
今年はカラフルに楽しむことが出来た。
SNSではグールドに関する新鮮なコメントをいただけて、感謝だった。

これからはグールドを過去のピアニストとして知る人々が主役となって、
グールドを盛り上げていくかなぁとしみじみ思う。

ご挨拶かたがた、短歌を紹介させていただいた。



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# by mhara21 | 2016-10-13 21:48 | エッセイ | Comments(0)