合い言葉GG
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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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チアーニとポリーニ

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チアーニはアルフレッドコルトーが激賞したピアニストである コルトーが心の底から認めたピアニストたちは特別な人たちだと思う

チアーニの弾くものはどれも美しい高品質であって決して人を押さないが飽きさせもせず全ての要素を備えながらも世界各国の欠点のない演奏を集めたような要素がある

1フレーズの中の起承転結更にはそのフレーズが遂行する大フレーズへの起承転結にも恵まれている

チアーニの数学の世界は馥郁たる音楽の香りに恵まれ爽やかな大気に満ちている
音符に関して量ったような正確さが、生徒に無類の清潔を教えている。
ドイツ的でありながらドイツ人の頑固で融通の利かない野暮がない
イタリア人でありながら余分な装飾がない
数字の美しさを思い存分知ることのできる男性の演奏である

このような存在が早く世を去った 返す返すも残念でたまらない

それに引き換えお金の匂いしかしない 心の冷たい演奏家が日本人には、受ける
なんとなくチアーニが政治を語ったらどんな世界になるのかと この世から想像している






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by mhara21 | 2016-06-23 23:07 | エッセイ | Comments(1)

後追い日記1986年12・コンサートに向けて(7月)

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#7月 コンサートに向けて

6月は、グズグズ暮らしていたが、7月に入ると何かをしたくなった。学校の交差点の所で「真砂子さん!」と声をかけて下さったF子さんに「元気そうね」といわれた。「8月に音楽会をしたいわ」と答えた。

子供の頃弾いたモーツァルトのソナタハ長調はすぐ弾けた。それにバッハのイタリアンコンツェルトを付けて、後は歌手の男の子に声をかけてジョイントリサイタルにすることにした。チャイコフスキーの「四季」からも数曲弾こうということで、又楽しい練習が始まった。

ニューファンドランド島のハリファックスからニールという男性がよくサマースクールに来ていた。84年にARCTの準備をしている時に初めて知り合い、2人でトロントの街を歩いた。

学生センターに入って、話していると居合わせたインドのご婦人から手相を見てあげましょうと言われた。
「とても芸術的な方です。お身体が弱いですね」
ニールも見てもらった。
「同じピアノを弾くのに芸術的と言われなかった」とニールはこぼしていた。
「マコは悲しそうな目をしているぞ」とも言っていた。そのニールに再会し、おおらかなカナダ人の3人の子持ちのパパから「今晩は君の所に行っていい?」と聞かれた。「私は屋根裏部屋に住んでいてルームメイトがいるわ」と答えた。でも何となく身体をひっつけるとニールは「こんなガリボシでまぁ!」と感心していた。
後腐れのないニールとラブホテルに行っていれば「不倫」が成立していただろう。もっともニールは晩飯のことだけ考えていたのかもしれないけれど。
夜遅く年若いドイツ人の男の子が「これから僕の所にレモンパイを食べに来ない?」と誘ってくれても、「明日練習に行くからダメ」と断わっていた。

何事も1つのことを息もつかずにズドーンと集中的にやるのが好きだった。1度に沢山の事をして気が散るのが嫌だった。しかしこの気質は気分転換の下手さにもつながるのだ。

1人暮らしをしていると身辺に今考えていることのおかしさやしていることに疑問を投げかけて食い止めてくれる人がいない。1人暮らしはバランスのとれた安定した心の持ち主以外、かなり危険な事だと思った。家族がいれば防波堤になる。外敵からも身を守りやすい。他人に迷惑をかけるのも防げる。この条件がなくて、しばしば悔いの残る行動をした。夏時間になった時や、練習スケジュールを変えた時、時間を間違えて夜遅く、友人の家に電話をしてしまった。今でも心に残る思い出は、白いプリーツスカートの小さなキズを気にしてL夫人に一筋取って下さいとお願いした事だった。L夫人はお忙しいのに一筋取って下さり、しかも前後がわからないスカートだからと後ろに「B」と刺繍をいれて下さった。

1人で暮らしていると人間の愛に飢えて、結局、他人に愛や自分への気遣いを求めていくようになるのだなぁとしみじみ思った。トロントの生活は愛深いL夫人によって多く支えられていた。
お宅にお邪魔した時、帰り道バス停まで行く時に1本道をバスが走ってきた。すぐ私を追い越して走っていく。私は運転手が私の姿を見ているから待っていてくれるだろうと期待して走り続けた。気付かなかったけれど反対の通りを何とL夫人も全速力で走って下さっていた。やっとバスに乗り込んだ私はバスのすぐそばのL夫人の特別の笑顔に送られて何だか勿体ないと思った。こんな親切な方にはなお甘えて、我がままが出て迷惑をかけてしまう人間の本性は悲しい。

昔一緒に生活した霊能力のある婦人が私のことを「ともかく、夢中になる物がありさえすればいい人」と評していたとおり、私には対人以外に打ち込める物がありさえしたらよかった。




next86年13・ コンサート本番 (8月) へ












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by mhara21 | 2016-06-15 11:53 | 後追い日記86年 | Comments(0)

田中希代子を聴く

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田中希代子さんのモーツァルトピアノソナタ第11番イ長調を聴いた。
子供の頃から「ピアノピースアルバム」でトルコ行進曲だけ耳にしていたので、
全楽章の田中さんの解釈に触れたのは初めてだった。

その個性、タッチの変化、
微妙なハーモニーの浮かび上がらせ方、
田中芸術の個性である激しい気迫、
田中希代子芸術の全ての元がちりばめられていた。

あまりに個性的なので、グールドを思い出した。
そして彼がこの演奏を聴いたら、なんというかしら?と思った。
「女性にはかなわないよ」 かな。

聴き慣れたトルコ行進曲より、2楽章のメヌエットとトリオをこよなく愛する私は、
その美が私の理想とする弾きたかった音楽そのままだったので、感激した。 

このCDをネットで知る直前、心の中に田中さんのサンサーンスのピアノ協奏曲5番の一節が流れていて、どうしたのかと思っていた。
その理由は知らなかった彼女の演奏を知るまえぶれだったと思う。

田中さんは、グールドと同じで体が弱い方である。
体力的に厳しい現実を抱えて、ピアノを弾いていらしたと思う。
その現実は、しばしば愛聴する私をも脅かせてしまう。

精神力が旺盛(病弱の人の方が精神が研ぎ澄まされ、強いことがある)で
通常、鈍くて大まかな常人が持つ神経とは全く異なる世界に住んでおられる。

今日のビジネス英語で「harsh reality(厳しい現実)」が出た。
この「harsh」には思い出がある。
私自身、手が痛んでいる時のレッスンでは、先生に「harsh, harsh !」(耳障り)と言われていた。

こういう厳しい現実の中で純粋な音楽を求め続けた田中先生の精神の世界は、
かえって耳障りに聴えてしまい、あまり一般受けしないのではないだろうかと考えた夕べだった。

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by mhara21 | 2016-06-09 10:51 | 田中希代子 | Comments(0)

キーシンとトリフォノフ



リストの作品は、ブレンデルが弾いたものしか好きでない。
が、リスト編曲のロマン派作品は大好き。
古くは田部京子さんの「歌の翼に」(メンデルスゾーン曲)とか、いろいろ楽しかった。

今朝は、シューマンの「献呈」の編曲をまずキーシンで。
続いてトリフォノフで聴いた。
前者は、家柄を誇り、才能と容姿に自信たっぷりのブランド演奏。
何もかも計算して弾いてあり、すばらしかった。
トリフォノフは、家で弾いてくれたらどんなに嬉しいかという演奏だった。


話が飛んでしまうが、ニーチェの「ツァラトストラ」は難解で理解できる人はいないと思う。
そのツァラトストラと思える人に私は16才の冬、激痛の中に
「最大の弱者のためにピアノを弾くのだからね」とおだてられた。
その事でいつも苦しんだ。50代後半に差し掛かる頃だったかにやっと
「あなたが他の人について弾けば済む事でしょ」
とこのややこしい16才からのお荷物担ぎにようやく決着をつけた。

そして、ラジオでトリフォノフを聴いた時、
「ツァラトストラさん、やったねーー!!」と思った。

トリフォノフは、日本男子バレーでいうと石川と柳沢選手を合わせて二等分したようなピアノを聴かせてくださる。
神戸のリサイタルでは会場で、グールドが嫌わないタイプのご夫婦と隣り合わせた。
トリフォノフのベートヴェンソナタ32番が終わると「まだ若いな」と感想が聞こえた。





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by mhara21 | 2016-06-03 11:37 | エッセイ | Comments(0)

後追い日記1986年11・ピピンとエイプリル(6月)

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#6月 ピピンとエイプリル

いつ帰っても屋根裏部屋はガランドウ。S家に引っ越して来て丸3年になろうとしていた。家の中にはピピンというとても臭い犬がいた。大きな茶色の犬だった。S夫妻とは、殆ど交流がなかった。たぶん語学力のせいだろうが、込み入った話等も出来なかった。
一家に子猫が来た。新しい家族だった。白と黒の配分が美しく、顔も特別の美形だったその猫は4月生まれだった事から「April」と名付けられた。
下宿に帰ってくると子猫を探してベッドの上に乗せて、それは楽しい一時を過ごしていた。動物によってここまで孤独が慰められ、ストレスの解消になると思ったのも束の間、エイプリルはピピンに殺されてしまった。

「それは事故で、故意ではなかった」とウィルバーは説明した。
「『エイプリル』の登場でピピンが不安定な状態になっていたが、ピピンは殺そうと思ってやってのではない。ピピンが水を飲んでいるとエイプリルも真似をして一緒に水を飲もうとした。ピピンはうるさがって前足でエイプリルを払い除けようとした。それが運悪くエイプリルのアゴを割くほどに強い力となってしまった。とにかく近くにいて一部始終を見ることが出来てよかった。でないと僕は一生エイプリルはピピンが嫉妬で殺したと思い続けることになったろう。それではピピンに気の毒だからね。しかし残念なことだった」

エイプリルはトロントの春の夢のような美しい猫だった。猫といえば日本の家の近所のノラ猫が色気づいた春の聞くに耐えない大合唱とか臭いウンチしか思い浮かばない私にとって、佳人薄命のままで竹久夢二の絵の世界にすむエイプリルは数日とはいえトロントの妖精だった。エイプリルが似合う女性は黄八丈を着た彦乃ではなかったろうか?
(ココに夢二の彦乃の絵を入れる)
今や学業が無事に済み、全てが満足のいく状態であるはずの私には心の空洞が広がっていた。それは私の神経質性と人生に必要のないどころか与えられたらあるいは入手すれば直ちに厄介になるかもしれないものを欲する心だった。
異国での7年間にどれだけ自分のために生まれてきた男性に巡り会えることを望んだろうか?
帰国した日本には三高という言葉があった。背が高く、学歴が高く、収入が高いことが女性からの結婚の条件という。ならばどうして男性からの結婚の条件はなんだろう? 世間一般の基準では、男性の求める女性とは、病気せずに働いて一家の収入を支え、病気しない子供を産み育てることでしかないとしみじみ人類を見てきて思ったのだ。

ところがこの私は電磁波汚染に鋭敏に反応し、今や銀行の自動現金払い機や電子レンジ使用からもアレルギーのために逃げ回っている。
その一方では人の先祖のした悪いことのために犠牲者の苦悶を引き受けるシャーマンでもある。しかし働きがお金に換算されなければ世間の人は価値があるとか実力があるとか認めないのであるから、こんな無償の行為は新興宗教の教祖の偽善と変わらない。濡れ手にアワでお金が集まるアチラに比べ、我がシャーマン稼業は布団の上の乞食にもならない。こうした現実につきあえる赤の他人が何人いるか?
しかも私の個の確立のためにはこうした特異性を自ら認め、受け入れることが必要で、そのことによって完全に支えられて幸せになれたのだから。

今になって思えばトロントでの伴侶が出て来ない悩みなどは全く無意味だったのだ。




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by mhara21 | 2016-06-01 00:00 | 後追い日記86年 | Comments(0)