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13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
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不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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後追い日記81年21・教 会

後追い日記81年を1から読む

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#教 会

「あなたってピアノが好きな癖に、よく弾かなくて平気ね」と家主の梁夫人。
「子供の時から弾けないのよ。練習は体にはよくないの」

「弾きたいでしょう。この通りにピアノの先生が住んでいるわ。
教会の前辺りの家。行ってピアノを貸してもらえないか聞いてみなさいよ」

教えてもらったピアノの先生の家にはよく見ると看板が出ていた。 
マコが習いに来たのではなくピアノを借りたいのだと分かると、
「私のピアノは貸さないけれど、前の教会の人達なら貸すかもしれないわ。
電話番号を教えてあげる」

牧師さんは、「その用件ならボードンさん達にやってもらおう」と教会員の電話を教えてくれた。
「伝えておくから、今度の日曜日の礼拝が済む頃に教会においでなさい」

「自分の説教を聞きに礼拝に来なさい」と言わないところがハナハダご立派であった。



日曜日に教会に行くと美しい女性が、顔を見るなり
「マコ? マーサです。これは教会の入口の鍵です。週日の昼間ならいつ使ってもいいそうです。私はコーワンの東の通りに住んでいるの。よかったらそこまで一緒に帰らない?」

マーサのお腹もパンパンだった。
 トロントに着いてから男の子の母となる女性3人と知り合った。

「8月に生まれるのよ。あなたトロントで何をしているの?」 
「グールドって知っている?」 
「勿論よ」
そこでお決まりのお話をした。

ピアノができたので、次は楽譜だ。
電話帳をめくるが、事務系の頭を持たないマコは索引は苦手。
多分見当違いな部署だと思いながらトロント大学のどこかに掛けてみた。
電話に出た女性はこの上なく親切で「ここは楽譜の店ではないけれど‥‥」と言いながら楽譜専門店を教えた。

人間には大きく分けて2種類のタイプがある。
比較されるのは、モントリオールへ行く時、番号案内が分からずパンフレットに掲載されていたYWCAに電話をしてYMCAの連絡先を聞いたときのこと。

電話口の女性は「ここはYWCAでYMCAの電話番号を教えるところではありません」
と怒った。そしてツンケンと「YWCAにYMCAの番号を聞くなんてとんでもないことだ」と言った。
 
田中希代子のレコードで繰り返し聞いたドビュッシーの「ベルガマスク組曲」を買いに行く。ヤング通りの細長い店は、楽譜店カドヤを思い出させた。

そして大嵐の日、気味悪いながら教会に行く。母が亡くなってちょうど1年目の7月28日、練習を始める。
 
翌29日は、ロンドンからのロイヤルウエディングの生中継を夢中で眺めた。



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by mhara21 | 2006-04-30 12:58 | 後追い日記81年 | Comments(1)

グールドへのメール3 ブラジル映画

グールドへのメールを1から読む

2001.3.21 2:50AM

 チーズをかじりながら、書いています。
 昨夜は、映画を観に行って食料が少し足らなかったみたいです。
 ブラジル映画を3日間で6本観ました。

 いつの頃からか映画に行くと真っ先にグールドと一緒に楽しめる映画かどうか考える癖がついてしまいました。
 昔、「ジャック・ドゥミの少年期」を観た時は、どうして女流監督のアニエス・ヴァルダさんのような人に出会わなかったのかと残念に思いました。そうしたら、もっと写真・フィルムが残っていたでしょう。

 さて今回のネルソン・ペレイラ・ドス・サントス氏の作品「乾いた人生」はモノクロで、しかも犬が主人公といって差し支えないくらいに犬から見た風景、人間の姿が心に残りました。
 犬好きのグールド。映画ならカラーよりもモノクロ好き。この2つの好きなものが私にまで移ってきています。

 次の作品は、「監獄の記憶」。「乾いた大地」の原作者である作家、グラシリアーノ・ラモスの原体験を回想した作品。ここにユダヤ人の「ゴールドベルグ」姓の医師が登場します。
 「第三の岸辺」では私のようにサイケックに生まれついたニニーニャが登場。ニニーニャの霊力で現世利益的欲望を叶えようとする人々にニニーニャが「なるようになれ」と祝福を与えるところ、大笑いしました。

 「リオ40度」では、あなたにそっくりな男優が二人も。ロベルト・バタリンとジョセ・ヴァラダンで役柄は色男とならず者。二人共美形で、「男前」と感心されるグールドに出逢えた思いでした。とまあ、空腹(愛の)ゆえにグールドのちらし寿司を作って食べているような夜明け前の過ごし方です。

  映画会の2日目に時間があったので、1Fの会場に入ると、ゴルトベルクのサイトからその触覚的造形で知られる光島貴之さんがいらっしゃるではありませんか?

 「作品の中にゴルトベルクの音楽が入っていますよ」とのこと。
  全盲の作家で作品は皆、手で触れていいとのことでした。去年の12月1日、脳梗塞で倒れて入院。その時のことを作品になさっておられて、なんと点滴のチューブのところにゴルトベルクのアリアが録音されていて聴けるのです。
アッと思ったら、やっぱりグールドの新録音でした。本当はエトヴェシュのギターを入れたかったのですが、この機械では音がきれいに入らずあきらめたとのこと。

  実は、数分前、アパートで、光島さんのプリントを眺めていて、「この人だったら友達になりたい」「どうやって創るのかしら?」と考えていたので、びっくりしてしまいました。
 「グールド大好き」とおしゃっいましたよ。

 先日も別の映画会場で、隣に座った方と話していたら、グールドファンの方でした。
 こんな風に亡くなった後も私が淋しくないように守って下さって、ありがとう。

 その時、観たのは「事の終わり」原作グレアム・グリーン。監督ニール・ジョルダン。レイフ・ファンズ、ジュリアン・ムーア、スティブン・レイ主演の映画。女性主人公の言葉が今の私が考えている小説の筋にぴったりで考えさせられました。

 濃厚で素敵な愛欲シーンがある、この映画のテーマは愛・神・宗教・友情でした。
 筋は、夫との性生活がない妻が浮気をする。女性が死に至る病の時、夫とその愛人は女性の看病を共にする。原作は読んでいないのですが、1つの出来事をそれぞれの人物の視点から描写されていて手法もおもしろかったです。

 子供の頃から、そして今もなぜ、あなたのことがこんなに想えるのか?不思議でたまりませんでした。 でも、書かない方が良さそう。

 あなたは昔、昼寝て夜中起きていらして、淋しかったのか、好きな時間に電話をかけて相手の方を面食らわせていらしたそうですね。

 この手紙、テレパシーではそちらに通じていますか? 
 眠れないとき、世界のどこかで今、あなたの音楽をかけて、人生を励ましている人がいると思うことにしています。
 今日は春分の日。お彼岸ですね。
 こんな便りを書かなくていい、そちらに行ってみたい。 ではまた。

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by mhara21 | 2006-04-29 14:30 | グールドへのメール | Comments(0)

<21世紀の追記>

<21世紀の追記>

トロントのグールド参りに今や世界中から人が押し寄せる。
ファンはもうあのサウスウッド32番地の家に入ることはできない。
トロント時代のあの家は、まるで音楽の神話のように思えた。
よく、まわりを歩いて散歩もした。

1980年代のグールドの生家では、フランシスのやさしい笑顔が私を迎えてくれた。
2001年に日本のTV番組で沖縄の方言で「pureな人」という意味の「ちゅらさん」が放送された。
その主題歌は、kiroroの歌った「Best Friend」。
その歌詞を書いてフランシスへの「感謝の気持ち」を伝えたい。

「Best Friend」 作詞・作曲 玉城千春
  もう大丈夫心配ないと  泣きそうな私の側で
  いつも変わらない笑顔で  ささやいてくれた
  まだまだまだ  やれるよ  だっていつでも輝いている
  時には急ぎすぎて  見失うこともあるよ  仕方ない
  ずっと見守っているからって笑顔で
  いつものように抱きしめた
  あなたの笑顔に  何度助けられただろう
  ありがとう  ありがとう  Best Friend



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by mhara21 | 2006-04-23 11:28 | 後追い日記81年 | Comments(1)

後追い日記81年20・グールドハウス

後追い日記81年を1から読む

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#グールドハウス 

7月26日ロバート・スミス氏から電話。
「1週間前男の子が生まれた。とても幸せだ。今から遊びに来ませんか?」

フランシスは産後7日目で、彼女の実母ケイが手伝いに来ていた。

マコにはグールドハウスに入れるだけでも喜びだった。
裏庭でマトンを焼く。完成したテラスの上で夕食だ。
ロバートは家の中でかいがいしく働く。食事の用意、子供の世話などフル回転だった。
デザートは家の中で頂く事になった。小さなアイスクリームに生の桃が添えてある。スミス家らしい知的なデザート。

「戦後、ヨーロッパの人は新しい国へ行きたいという気持ちを強く持つようになりました。私たちもそうだったの。夫も私も一言も英語が話せないのに、子供4人と移住して来たの。夫は毎日、『仕事はありませんか?』と工場を廻り続けて‥‥」

ケイの話に「あー、又あの話か‥‥」とスミス夫妻は表情を作った。

「日本人がグールドのレコードを1番買っていると読んだことがある」
「最初の頃は一部の人にしか認められなくて、レコードはよく廃盤になりました。66年に録音したストコフスキーの指揮でベートーヴェンの「皇帝」が日本で発売後、1968年頃、一般に知られ、ようやく人気が出ました」

「グレンはとてもお母さんに近くて、お父さんは再婚すべきではないと強く思っていた。それで父親が再婚してから仲が悪くなり、いつも一緒に食べていたクリスマスディナーも止めてしまった。食べるといっても生活の時間帯が違っているからグレンは、何も食べないディナーだったそうよ」

グールドの父親が再婚したから、マコは今、このスミス一家と話をしているのだ。
トロントに着いた日の事からサウスウッドに来た日の事まで説明する。

「最初、乳母車を見た時、グールド家は引っ越したのだと思った。赤いシャツの女の人を見た時はグールドのお姉さんかと思ったの」
「あれはロバートのお母さんよ」

ロバートは話術に優れ、マコに質問を浴びせかけた。
「日本での離婚は?」
「日本の経済は?」
おぼつかない英語で答え、気が付くとテーブルクロスをクルクル廻し、左へ引っぱっていた。フランシスは勢いよく曲がりを直した。

3人はマコがキャラバンに行ったと聞いてびっくり。
「マコはインディペンダントだ」
「キャラバンで世界を旅行したのね」
 (キャラバンに行くと世界50以上の民族のパビリオンが見られる)
「なんでも積極的に自分からこなそうとするのね。 グールドに会えたら、本当にいいのに」
「それにカメラを持っていない日本人なんて私は初めてよ」
「全くグールドに会いにきたのに」
「マコはきっと、頭で写真取って、覚えているのよ」とフランシスの母親ケイ。
「グールドに会えたら、何を証拠に人に会えたと言うの?」

「私は人に話すのが目的でグールドに会いに来たのではないわ」
マコは、不器用で人がなんでもなく出来ることができなかっただけ。カメラは、面倒臭かった。第一、持ち歩くのが邪魔だ。ケイの言うとおり、頭は、詰め込みすぎで重い。ノイローゼの大家。

フランシスが生まれたての次男を抱いて2階から降りて来た。
まずロバートが抱いて、愛情一杯の挨拶を赤ん坊に送る。
フロアースタンドのそばで新生児に母乳をあげるフランシスと寄り添う長男は、フェルメールの名画。

何を見ても、どの空間も、旧グールド家のざわめきや生活状況がダブってしまう。グールドは母乳で育ったのだろうか?
グールドハウスはギリシャ神話の音楽の神様の童話的神殿だったのだ。そこには、ギリシャ神話のような音楽の伝説と神々に祝福されたピアノを弾いた音楽家を生んだ女性のピアノがある。
グールドの母親のチッカリングは、音の粒の揃った、鍵盤が重過ぎも軽過ぎもせず、弾き易いピアノだった。

「私、2階に上がります。又、遊びに来てピアノを弾いてね」
 2代目のグールドハウスの持ち主も幸せ一杯の人達のようだ。

 涼やかに風の鳴る坂道サウスウッドを下る。
グールドも見慣れた木の葉が、ペパーミントのきらめきをマコの肌に送っている。病気の人でカナダに来たいという夢を持っている人がいるなら、カナダに来れるようにと祈ってあげたい。

 映画のシーンのようなサウスウッドでの数時間、顔も姿も悪い女優が、ピアノも英語も下手なのに、シナリオと舞台セットは最高の日を終えた。



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by mhara21 | 2006-04-23 11:24 | 後追い日記81年 | Comments(0)

後追い日記81年19・オランダ生まれの天使

後追い日記81年を1から読む

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#オランダ生まれの天使

7月11日、オキーフセンターで「白鳥の湖」を見た後、待ち切れずにスミス家を訪問する。急に行くのは悪かったけれど、電話ではとても尋ねにくかった。裏のテラスで音がしていた。裏に廻ると出来上がったテラスの所に美しい女性がいた。

「こんにちわ」
「マコ?」
その声は既に何か安心していい響きがあった。
「あなたは奥さんですか?」
夫のほうを見やりながら「そうです」とフランシスは感慨深げに答える。
仲の良いご夫婦だと思った。

「グールドのお父さんに電話していただけましたか?」
「彼は病気で、電話を掛けた時に話を切り出せなかった」とロバート。

「私、これから家の中を見せてあげるわ。いらっしゃい」
と勢いよく立ち上がったフランシスは、大きなお腹をしていた。もうすぐ子供がこの世に生まれてくるのだ。

部屋の中は美しかった。慎ましやかな広さの部屋が秘やかに並んでいて、童話的なムードだった。階段が素敵。2階に行く。

「ここよ、ここがグレンの部屋だったのよ」
狭い部屋で、大きなグールドが、住んでいたとは思えなかった。横に1部屋あった。それから夫妻の寝室。その奥には勉強部屋。

「私たちは前にこの通りの南の家に住んでいたの。弁護士の主人はベッドルーム以外にもう1部屋、書斎が欲しかった。グールドさんも再婚してこの家を私たちに売りたがっていたから、それでこの家を買うことに。お父さんにしたら、全く知らない人には家を売る気にはなれないのね。
息子にあれだけのことをしている父親は、いないもの。この家は、息子との思い出でいっぱいよ」

「ご主人は弁護士なの?」
「ええクイーン通りの会社の弁護士よ」

「それで分かったわ。トロントに来る前ヴァンクーヴァーに1ヵ月半いたけれど、その頃からトロントに行ったら弁護士に会うと思っていたの」

「どうして?」 
「ただ感じていたの」

フランシスは優しく笑った。5人姉妹の下から2番目で人慣れしているせいか、利発で魅力的な女性だ。

「長いこと病気をして、グールドが私の生きがいだった。いつかカナダに来て彼と会うことを支えに生きて来たの」
相手はそれ以上聞かなかった。 

「お腹 重くない?」
「そりゃもう重いけれど、何より赤ん坊がよく動くの。もうすぐ生まれるわ」

階上の部屋の案内が済んだフランシスに思わず握手を求めた。握手というよりは手をつかみにいくような迫力だった。

「こんなによくしていただいてありがとう。お礼も言えない位に感動しています。ご親切をありがとう」

「どういたしまして。この家には高齢の父上が再婚した時に持って行けなかった彼の本やレコードがあるのよ。グールドは人嫌いではないけれど、ファンにまとわり付かれるのが煩わしいのよ。グールドのテレビ出演は、彼が恥ずかしがり屋でない証拠よ」

「それにしてもあの変わった人間関係の在り方は、一人っ子のせいではないかしらね」

言葉の問題が悔しい。母国語であれば楽しい話が出来る人達なのに、思っていることを表現出来ず、焦ってしまう。
日本語で話せても、相手が内容に興味がなければ話は通じないのだけれど‥。
マコの英語力では、グールドに会えてもコミュニケートは無理。

下の部屋にはピアノがあった。
「弾く? 彼の母親のフローラのピアノよ」


アクションの素晴しいピアノだった。勿論、グールドも弾いたであろう。
ピアノを弾きながら右手の本棚を見るとその一番上には、古ぼけた分厚いSPのアルトゥ−ル・シュナーベルのベートーヴェンピアノソナタ全集。

ラジオ放送でグールドのベートーヴェンソナタを聴いていた母が、「グールドはシュナベールの真似をしている。シュナーベルのファンに違いない」と笑い出したことがあった。
母の思った通りだった。このSPは母が10代の頃、台北でお兄さんと聴いたレコードと同じ。やはりこの家にあるのだ。

ロバートはテラス作りの仕上げをしていた。先月はご主人に、そして今回は夫人に最高のもてなしを受けた。

「あのピアノはグレンの母親のものだよ」
「奥さんからお聞きしました」

「お父さんが、この家を売る時に持っていけなくて、買わないかと声をかけたんだ」
「あれはチッカリンですね」
「そう。この家にはグールドさんたちの残したものが、かなりある。また見にいらっしゃい。ピアノなかなかいい音がしていたよ」



「よいテラスになってきましたね」
お別れの挨拶をして、一層膨らんだ夢と共にサウスウッドの丘を下った。
 
下宿に戻ると、なぜか強烈にグールドの母のフローレンスさんのことばかり思い続けた。
−3歳よりアマチュア・ピアニストの母にピアノを習い−  というレコードのジャケット裏の文が目の前に出てくる。
 −あの家なの?グールドが修行したのは?−
なぜかフローレンスさんとフランシスが重なる。

フランシスは、1953年オランダ生まれの女性。家族の夢と共にカナダに渡って来た。カナダ行きの船に乗っている賢そうな子供の時の写真を見せてもらったことがある。

快活でお話が好きで、後の付き合いの中で時々、「あなたはさっきから私の話をよく聞いていないわね。今、私が何と言ったか、最後の所言ってごらん!」とまるで姉妹の会話のようであった。



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by mhara21 | 2006-04-23 11:21 | 後追い日記81年 | Comments(2)

後追い日記81年18・モントリオール旅行

後追い日記81年を1から読む

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#モントリオール旅行

7月1日から7日までモントリオールに出かけた。
観光バスの中でアメリカからきた婦人が親しく話しかける。
フランスから来た3人の女性も親切だった。
でも観光の仕方が悪かったのか、どこにいっても大した感動はなかった。 

今日は七夕様と思いながら帰りの汽車に乗っていると、キングストンから乗ってきた太った女性が「横に座っていいか」という。
「私はお昼にロブスターを食べてきたばかりなの。
 ねぇちょっと、歯の間にロブスターが挟まっていないかよく見てくれない?」
と思い切り口を横に広げる。
たまげたけれど「何も挟まっていません」と教えてあげた。

ラテン系かと思うようなこのイギリス女性は、夫と共にカナダ旅行中とのこと。それからトロントのユニオン駅まで60前後のこの女性のお喋りに付き合うことになった。

アングロサクソン、イギリス人は日本でいうと京都人に近いということ、本音と建て前が同じでないことにおいて。
イギリス人の二面性、「『ドラキュラ』が流行るのは、イギリスだから」とか、「『ジキル氏とハイド氏』だってアメリカの小説では考えられない」とか。

この夫人は例外なのか、あけっぴろげだった。
わがままな人で話から東洋人のみならず、自分以外は皆バカにしている感じだった。  
でも無邪気でかわいいのだろう、「あそこに主人が座っているわ」と指差し、「トロントに着いたら会ってってね」と楽しそう。

ユニオン駅に降り立つと、生き仏のようなご主人が手早く頼んだ赤帽と沢山の荷物と一緒に待っていた。
「私、汽車の中でずっとこの人と話していたの」

陰陽合体の観音様のような夫と無邪気な妻。カップルにポカンと見とれる。
この先マコにはどんな男性が現われるのかしら?


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by mhara21 | 2006-04-23 11:19 | 後追い日記81年 | Comments(0)

後追い日記81年17・イミグレーション

英語版1981年日記  ← クリックすると一覧が出ます。
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後追い日記81年を1から読む

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#イミグレーション

6月23日イミグレーションには1人で行った。

「白人に付いて行ってもらうとちがうのよ」
と聞いていたけれど、必要を感じなかった。
係官には相当な嘘をついた。
嘘をつく必要のない日本時代に比べ、
カナダでは嘘をつくことが多かった。例えば
「私は学校を終えると(学歴なし)、姉の法律事務所で秘書になりました」
「姉は忙しく、私は大変有能であったので(まるで無能)、代りの人がいないまま、殆ど休みも取らずに働き通しました(具合が悪くてほとんど寝ていた)」

「今年、長期の旅行を計画して休みを取りました。まずカナダからヨーロッパに回るか南米に行きたいと思っていましたが、カナダでこの国に恋をしました(移民官がにっこり笑う)」
「せっかくなのでもうしばらくいたいのです。英語学校にも通っています」

「それに私がカナダにいると日本から友人が沢山観光に来るのです(誰もまだ来ていない)。これはカナダにとっても収入面でいいことでしょう?」 

どこまで口が回るのか自分でも見当がつかないが、一般には海外では喋りすぎで怒られることはない。でも殊勝に

「英語だからよく説明できないのですが ‥‥」
「よく出来ていますよ」

「帰りの航空券も買ってあります」
 こうして飛行機の出発日10月3日までのヴィザが降りた。

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英語で一番困ったのは銀行での会話。全く喋れなかった。
ラジオの英会話のテキストに出てこなかったので覚えて使える言い回しがなかったのだ。下宿近くのドミニオン銀行に口座を開きに行った時にはパニックで全身汗をかいた。

日本ではピアノのみならず、英語を学んだ期間も殆どなかった。
やりたくてもピアノと同じ位にしか関われない高嶺の花の勉強の類いは、頭がのぼせて発作によくなかったし、痛みはきつくて事柄に集中できなかった。

トロントで1ヵ月過ごしたある日、痛みが薄らいでいることに気付いた。
うっすらではあるが生きて行くのが楽になった。湿度のせいだろう。

秋の木の葉の状態を比べるとすぐ分かる。
トロントでは敷石や土の上に落ちる葉は乾いていて、蹴ると四方に飛び散った。
ところがヴァンクーヴァーでは晴れの日でも見るからにペチョっとしていて、
木の葉同士が湿気のためにへばりついていた。
トロントの地面からは磁場というのか、グーとエネルギーが足の裏から伝わってくる。



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by mhara21 | 2006-04-23 11:14 | 後追い日記81年 | Comments(3)

後追い日記81年16・ハンザ

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#ハンザ

ヴィザを得るためではあったが、ローズデイル駅近くの英語学校ハンザへ真面目に通う。
テストがあるとなると精一杯やるのは性分だったのでよく勉強した。

先生のデンマーク人は気さくな人だった。
「マコ、いつも東洋の神秘の微笑みとやらをありがとう。 
ところでグールドのどこが、そんなにいいのかい?」
「グールドは、とてもセクシーです」

「あの男がセクシーだって。 もしそうなら僕はおよそセクシーに対する概念を変えないといけないなあ」

「ところでマルセイラはさっきから何をそんなに笑っているの?」
「だって、さっきのキス小屋の話。マコは『どこにキスするの?』なんて聞くのよ。 唇よと教えてあげたけど、私は、笑いが止まらなくなってしまった」

「全くマコは、何を考えているのか?」
「だって日本には、お祭の時に『キス小屋』なんかありません。どこにするのかと思っただけ」

「・・・・・・(すごいカマトトめ)」
先生は唇を指さして、ダマレとテレパシーを出した。



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by mhara21 | 2006-04-23 11:09 | 後追い日記81年 | Comments(0)

後追い日記81年15・キャラバン

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後追い日記81年を1から読む

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これはモニカさんの1984年のパスポート

#キャラバン

梁夫人が「もうすぐキャラバンが始まるわ、是非行くといいわよ」と教えてくれた。
キャラバン委員会に電話をする。
「Where are you located ? 」
「 located の意味がわかりません 」
「一番近くのパビリオンの行き方を教えたいの。
そこで全パビオリオンに出入り自由なパスポートが買えますよ」

初日はオデッサ・パビリオンからスタートした。
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キャラバンは移民のお祭りで、民族間の相互理解を、お互いの歌や楽器、踊り、食べ物を知ることから深めようという趣旨で始められた。

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1国家多民族の場合はそれぞれにパビリオンがある。
旧ユーゴスラビア、旧ソビエトだけでも驚く程多い。
自前のコミュニティーセンターを持たない民族は、期間中には映画館、図書館を借りてパビリオンとする。

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パビリオン巡りをすると、トロントの郊外のドデカい広さや、高級住宅地の自然の景観に圧倒される。
CNタワーの近くから出ているキャラバンのスペシャルバスで、5つのコースが選択出来る。コース毎に違うパビリオンを回れて、遠方に行くには欠かせないシステムだった。キャラヴァンのルートバスを利用出来れば良かったが、それでは限られた期間内に自分の行きたいパビリオンを回れない。
車を持たないマコは普通のバスを利用する。そのルートを探すのもトロントに来たばかりのマコにはなかなか大変だ。

そしてこっぴどい目にあう。

日本パビリオンはトロントの立派な日本文化センターだった。
そこで次のリガパビリオンへの行き方を聞いたが、誰も相手にしてくれない。
それどころか最後には「 いったいこの人は何なの ?」と言い出す。
会場の外で野菜を売っている男の子たちにも聞いたが知らん顔。
自分の国のパビリオンの準備や運営に忙しいのだろう。
でもすぐ近くにある他民族のパビリオンに興味がない様子にはがっかりだった。

エグリントンイーストのバスに乗り、バスの運転手さんに地図を見せたが彼も知らなかったようで、
降ろされたところはビクトリアパークの近く。
東京パビリオンからリガパビリオンまでは、2つぐらい先のバス停だったのに。
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あるバス停留所に日系の初老の婦人に出会った。
バスを待つ間、私は婦人になぜ日本から来たのか、カナダで 何をしたいのかを話した。
親身になって聞いてくださった婦人は、 ご自分のことを話してくださった。

私たちは戦時中、敵国の人間として強制的にキャンプに送られました。
 日本の敗戦後、解放されて新しく住む場所を考えた時、
 二度とバンクーバーには戻れないと思い、
 多くの日本人がカナダ東部に新天地を求めたのです。
 バンクーバーでは日本人は固まって住んでいたので、あんな風に一網打尽にやられてしまった。
 だから東部ではバラバラに離れた場所で暮らそうと決意しました」

静かな声で語ってくださる婦人の美しいお顔を眺めながら、想像を絶する一世のご苦労のお陰で、我々new comerは大きな顔してトロント歩いているのだとしみじみ思った。 だが何も言えず、ただ拝聴していた。
日本人が固まらないでバラバラに暮らすことや、 東部の方がいろいろな民族が来ていることが日系人ばかりが目の敵にされない。
日本人特有の猛烈な頑張りが、のんびり暮らしたい他の民族にとって脅威であったこと。その他多く話を7年のカナダ滞在中に知っていったが、その根底にはしずしずと話しを聞かせてくださった婦人の思い出があった。

どの会場でも「おいしかった? 楽しかった? 何か食べたの?」と話しかけられるが、そんな時いつもグールドの話をする。こうしていれば何時、彼の友人に出会えるかもしれないと思っていたから。

カナダに来てグレン・グールドへの夢を語る時、人々は好意的だった。
こちらも相手の顔つきや雰囲気を選んで喋っているせいかもしれない。
「こんな小さな女の子がたった1人で日本から来たの ?」
「応援するわ。 あなたの夢が叶いますように」
こうして私はますます夢を育むくようにトロントで育って行った。

キャラバンに夢中な人には、この期間は夢のような時間だ。
ショーの時間を調べて効率よく、できるだけ多くのパビリオンを回る。
当然、好き者同士、あちこちの会場で何度も出会うことになる。

ある会場で知り合った女の子とも、また別な会場で出会った。
展示物に夢中の二人はお互い気づかず、展示物を遠目近目に眺め回していて、
お尻をぶっつけ合うことに。
その衝撃に驚いて振り向き、「 またあなただったの !!! 」
しばし二人とも笑いが止まらなかった。


6月16日、下宿の梁夫妻に男の子が生まれた。
家の中で新生児の泣き声を聞くのはとても楽しい。
しかし何といっても気掛かりはサウスウッドからの返事。
何の連絡もないまま、キャラバン巡りで疲れたのか風邪を引く。

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by mhara21 | 2006-04-23 10:56 | 後追い日記81年 | Comments(2)

後追い日記81年<休 憩> 1998.8.9

 ダイアナ妃が亡くなって今夏(1998年)ちょうど1年。
 人の運命の不思議さの説明が出来る人がいるだろうか?
 殊に人の生き死にについて‥‥。 

 女性の中で最高に幸せのはずの結婚をした20才の女性が、
 16年後には様々なスキャンダルと共にこの世にはいない。

 シンデレラコンプレックスの固まりのような女性が50才を前にしみじみ1人暮らしを楽しんでいる。この私の明日の生命も生活も今は分からない。
20年近く前のことを振り返ると余計なことを多く考えすぎる自分自身の姿に出会う。ピアノは驚く程弾いていない。

 グレン・グールドには日本茶をお供えする。
「もしよかったらお盆の頃には、ここにいらして下さいませんか?
 庭にはジンジャーの花が咲き乱れていますよ」

 後追い日記を綴ることは老後の備えと、人生が天の配在によって成されているかを確認する作業。
「神、与えたもう」「いつも喜んでいなさい。絶えず感謝し続けなさい」の聖句を胸に刻んで、進んで行こう。







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by mhara21 | 2006-04-21 17:44 | 後追い日記81年 | Comments(1)