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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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カテゴリ:後追い日記83年( 31 )

後追い日記83年31・クリスマス

後追い日記83年を1から読む
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#クリスマス
 
クリスマスが近づいて、ハーモニーのクラスで歌を歌うことになった。
「おい誰か、ピアノを弾いてくれ。」とキーツ先生。
「ハイ」迷わず名乗る。
「オォ、マコ!」

レガートが美しく弾けるようになったのでピアノを弾くことが怖くない。マリーナに習うようになってから、心が落ち着いてピアノを弾けるようになっていた。

「ベツレヘムの小さな街で・・・」と全員が歌う。レガートが弾けず先生に怒鳴られて、ノイローゼになっている学生はもういなかった。歌の調べに合わせて、レッスンしたレガートが弾ける幸せな音楽学生がいた。
「いい音だねェ」とキーツ氏が誉めてくれた。

その年の最後のピアノレッスンは、モーツァルトのソナタの1楽章。その前に弾いていたモーツァルトの2楽章では、腕の緊張が抜けにくく、やはりモーツァルトはショパンより難しい。

「来年はバッハを始めましょうね。」とクリスマス休暇をブラジルで過ごす予定のマリーナ先生は明るい声でおっしゃった。
「いつも疲れ切ったひどい顔をしてレッスンに来るから、顔を見ないようにして教えていたのよ」

数日後、クリスマスをヴァンクーヴァーで過ごすために、マコはトロントから西に飛び立った。


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by mhara21 | 2006-10-20 09:38 | 後追い日記83年 | Comments(0)

後追い日記83年30・女性歌手

後追い日記83年を1から読む

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#女性歌手

 ヨーク・ヴィルは贅沢な衣類を並べている店が多く、マコはきれいな物が好きだったので、学校の空き時間に気分転換に遊びに行くのだった。
 寒さ地獄が解決して、寒い外を歩いていても、怖くない日々である。
街は美しく、クリスマスには雪が似合う。マコは自分に似合いそうもない、永井荷風が「ゆでダコのような」と形容するハンドバックを見て歩く。

——グールドが生きていたら私のようなタイプの女性を好きになるはずがない——
 この信念は少女の頃の体験から来ていた。

 マコが10代の頃好きだった日本の作家(谷崎潤一郎と佐藤春夫)は、千代という女性を話合いの末、潤一郎から春夫に譲り渡した。その奥方が前橋出身の花柳界の「くろうと」芸妓さんと知った。芸術家は水商売の女性が好きなんだ。グールドも物事にこだわらない、キップのよい人が好みだろう。マコが好きになる男性はマコのようなタイプは好まないはず。

 ヨーク・ヴィルを歩く。高級品店街のヨーク・ヴィルは、昔はヒッピーのたまり場だった。
マコの好きなジョニ・ミッチェルは、ヨーク・ヴィルで唄っていたことがある。
「Both sides, now」は、日本語では、「青春の光と影」に訳されている作品で、ミッチェルの若い頃の細い透き通るような声が似合う。他の女性歌手では、ジャニス・イアンの「17才」がゾクゾクする。

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 グールドは、ストライザンドや晩年の恋人と言われるウクライナ人のロクソラ−ナ・ロザァック、他にはペトラ・クラークを好んだ。なんと神経の太そうな女性を選んだことだろう。
生きていたらマコと女性歌手の一件で、ケンカをしたかもしれない。



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by mhara21 | 2006-10-18 15:06 | 後追い日記83年 | Comments(0)

後追い日記83年29 ・窓からの花

後追い日記83年を1から読む

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#窓からの花

イ−トン百貨店で、大きな冷蔵庫、台所用具を見てまわる。なんともわびしい、お茶さえ沸かしにくい屋根裏部屋。電気コンロで、簡単なスープを作ると難民になった気持ちがする。家に住みたい。小さくていいから台所が好きな時に使える生活がしたい。

トロントは美しい街で、美しさの秘密は住宅街にある。
余程のスラム地区でない限り、どの区画も理路整然とお伽の国のような外観。
住宅地を散歩すると、こんな家に住めたらと小さなデュプレッツ(ニ戸一住宅)の寄り添った家ですら、夢のまた夢に思えるのだった。

グールドは、ノースヨークのドンミルズ一帯を辺りがまだ農場だった頃を知っていて、都市計画の成功を喜んでいる。

日本の狭苦しい、出たり入ったりの無秩序な家の並べ方は、マコが散歩をする気になれない理由の一つ。マコは、ほとんど「テクシー」で過した。
歩くことがマコのトロント生活のわずかな健康を支えていた。
毎日2時間歩くと、マコのようにのぼせやすい頭の血のめぐりも足に降りて、バランスが取りやすい。

カナダのリンゴは、寒さのせいか小さく、品種改良されていないのか、日本のように種類がない。雪の中を歩いて食料品店の樽に入れてあるリンゴを眺めると、白秋の短歌、
「君帰す朝敷石さくさくと 雪よ リンゴの香の如く降れ」
が思い出されるのであった。

マコは対人関係が下手だ。
グールドの死後、フォックス夫人を訪ねて、グールドの思い出話を聞くなり、あるいは自分の近況報告で音楽院の事を話せるのに。
「あなたがおっしゃったとおり、順調にやれています」と。

夜、眠る時は、アドミラルから近い、グールドのアパートの事を思った。

いつかグールド家の窓から、アパートの前の花壇(の花)がどう見えるか見てみたいとしきりに思う。グールドは亡くなる年の春には、花を見ている暇もない程、オーケストラを雇って指揮をしていたそうだけど。

「駐車場で待ち伏せしたら?」
「アパートの玄関の所で、逢えないかしら?」
「邪魔されて立腹したグールドに追い払われるなんて思い出が残ったら、大変」
「人の嫌がる事はしないでおこう。美しい思い出のために」
とグールドが生きていた頃のマコは、ストーカーと誤解されるあらゆる行動は慎んでいた。


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写真:記憶とは少し違うアパート前の花壇。



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by mhara21 | 2006-10-16 10:37 | 後追い日記83年 | Comments(0)

後追い日記83年28 ・歴史のテスト

後追い日記83年を1から読む

#歴史のテスト

12月7日、歴史のテストの日が来た。雪が美しく降る。学校に行く道に雪の精が童話の中のように生きていた。 
答案用紙が配られると何1つ迷うことなく書いた。3時間のテスト中、1時間は完全に時間を持て余し、持て余しついでに答えを書き直すことにした。

ロシアの作曲家5人組のうち、下記の名前から当てはまる人に丸をつけなさいという問題。「ボーリス・ゴドナウ」。オペラの作品名をBorisと言うロシア名につられて、先に書いた答えを直した。
「消すんじゃないよ」とグールドの声。
「いいのよ、誰にも指図されたくないし、自分で正しいと思った通り書きたいから」
「そう思うなら仕方がない。でも前の答えが本当は正しいからね」
テストが終って調べるとグールドの言ったとおり。

翌日、石油の大缶を買うためにカナディアンタイヤに出向いた。
タクシーに乗ると運転手が「どこから来たの?」と尋ねる。
「日本よ。あなたは?」
「ハンガリーだ」
「昨日音楽史のテストがあって、ベラ・バルトークのことを書いたわ」
「バルトークは我々の宝さ」

午後はチャイナタウンでお米を買う。どんなに気が立っていたかは7㎏の米袋をスパダイナ駅から歩いて30分位かかる下宿まで抱えて歩いたことからもわかる。疲れれば疲れる程、気が立って、無理を重ねるやり方。

まずは暖かさと基本食料を確保したマコにルームメイトは
「石油と米の買い出しなんて正に日本の主婦だ」
と朗らかに笑っていた。



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by mhara21 | 2006-10-15 12:49 | 後追い日記83年 | Comments(0)

後追い日記83年27 ・敏さん、そしてストーブ

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#敏さん、そしてストーブ

 台湾教会の敏さんは下宿に来て、ビニールを隙間風防止のために張って下さった。花と食べ物を持って、下宿の玄関に立っておられた敏さんの姿は、神様か天使のように見えた。暖房のある学校に、出来るだけ遅くまで残り、守衛さんに促されて寒い下宿に戻る。学校に泊まりたいと思った。

 極めつきは、兄が空輸してくれた石油ストーブ。純度の低い外国の石油でも充分使える様に石油の浄化装置のついたストーブのお陰でそれ以降は、寒さ地獄に震えることはなかったが、悪条件のため体は壊れてしまった。11月の第2週からピアノのレッスンは中止。石油ストーブを燃やしても、1度肺炎になった体はなかなか元に戻らなかった。

 この命の恩人のようなストーブとは一緒に帰国し、震災で少し痛んだけれどまだ使っている。兄の決断に心から感謝している。今でもあの大雪と素晴らしい紅葉の景色は、寒さへの恐怖と共に思い出される。あの頃は「神様、私を苛めないでください」と泣くことが多かった。

 しばらくの間、ピアノの練習を休み、注意深く料理を作って食べた。
「体力が回復しなければ死んでしまう」
 声楽のレッスンは長期にお休みし、ピアノのレッスンも11月に2度、12月に1度だけ。抜けられないクラスには這うようにして出かけた。

 指圧に行くと先生に「最後の力を振り絞って生きている」と言われた。どの指圧師も押すのがしんどいのか、すぐ鍼にかえたりもぐさでお灸を使用とする。「商売人は自分の体力を失わないように生きている」と病的なマコは解釈した。いずれにしろ楽になればいいのだ


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by mhara21 | 2006-10-11 09:55 | 後追い日記83年 | Comments(0)

後追い日記83年26 ・寒さ

後追い日記83年を1から読む

#寒さ

ピアノの新しい勉強法と歴史のテストの準備に生活は厳しく、その疲労は目に表れた。 目が真っ赤に腫れ上がり、目医者さんからスペシャリストに回された。 勉強できる喜びに浸りながらもストレスはかなりなもの。

「せっかく東洋人の女性が家族に加わったのだから、早く仲良くなるために、お互いの話し合える場を作ろう」という発案で持ち回りの夕食会をすることになり、食事の準備にも時間を取られた。学校を続けながら6,7人分の食事を準備するのは容易なことではなく、他の人もだんだん忙しくなり、インターナショナルディナーは中止。

狭い台所でトロット家の人とかち合わない様に時間的な工夫をしていたが、とうとう外食するようになった。
 
アドミラル通の10月の樹々の紅葉は素晴らしい。まるで国立公園の中に住んでいるよう。

そして11月に入ってのドカ雪が寒さの始まり。夜中、唸り声を上げて体に突き刺さってくる寒さに起こされた。部屋中に隙間風が入って来るのだ。下宿全体の電気配線の容量が小さくて電気ストーブをつけるとすぐにヒューズが飛び、その度に夫人が張り上げる金切り声もたまらず、なるべくストーブはつけないようにしていた。

トロット家の言い分は、「この家は借家であり、いくら暖房設備の修理改善を頼んでも、変わり者の家主は何もしてくれないで20年が過ぎている」

カナダの法律では室温21℃以上でなければ払わなくてもよく、また役所に訴えることも出来るそうだ。そんなことを知ったのは後のことである。

夜半から朝にかけての寒さは想像を絶するものだった。あらゆる衣類で体を覆い、寒さを防いだが、夜中には泣いてしまった。医者通いに寒さ、勉強のきつさ、日本の家族も心配して羽毛のヤッケに寝袋、西ドイツ製のアンゴラの下着上下などを送ってくれたが、荷物が届くと、学校の時間の合間に税関に取りに行く。



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by mhara21 | 2006-10-11 09:51 | 後追い日記83年 | Comments(0)

後追い日記83年25 ・学生2年目

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#学生2年目

9月末までに、ハーモニーⅣ、歴史Ⅳのクラスが始まり、専門にした声楽のレッスンや各クラスの準備で忙しい時が始まる。

2年目の音楽院での生活は、1年目とまったく違う。ピアノ伴奏のクラスを取っていたので、そのルートから、歌手志望の人達や楽しみで歌う人と知り合う。音楽院では、受け付けで誰がどこで練習しているのか判る。練習中に訪ねてくる人が増えた。どちらも下手同士であったが、1人きりの学生生活で、人との交流があるのは楽しい。また知らない西洋の歌と出会うのは何よりの喜びだった

ソルフェージュの教授法のクラスは生徒が集まらなかった。音楽院には、海外から学生ヴィザで来ている生徒の他に、一般の人々が好きなクラスを選んで入学しており、広い範囲で生徒集めに成功していたが、クラスは最低でも生徒2、3人が集まらなければキャンセルされた。

一般の人々の多くはア・ラ・カルト的にクラスを採り、テストも受けずに済ませていたが、マコのようなフルタイムの学生は必ず学年末に採ったコースのテストを受けなければならなかった。

大きな気掛かりは歴史のテストだった。
中世から現代音楽までの広い範囲で、英語は文法も出来ず書くことは苦手であった。1年生の時はピアノのグレードⅩ受験のゴタゴタで受験を免除してもらっていた。

夏休みには、日本に教科書を持って帰ったけれど何も出来なかった。
歴史のテスト合格へ向けて作戦をたてた。学校の本屋で古いテストを買い集め出題傾向を調べる。次に本の中から解答になる文を選び出し、知らない単語を辞書で引いて意味を調べそれぞれの文章を丸覚えする。

作曲家1人1人やその作品の内容に興味や愛情を感じたり、記録の中に飛び込んで行けた時よく覚えられたように思う。知らない曲についてはトロント大学の視聴室でレコードを聞いて曲全体のムードをつかんで、本の中で表現されている文や単語を覚え易くした。

新しい単語の発音は、発音記号で軽く知っておくしかなかったけど、翌年2月には87点の合格通知が来た。

しかしピアノの練習は、1指1音の稽古に2時間、4曲になったショパンのプレリュードの練習に2時間かかることがあり、体力は限界で、ピアノだけでオーバーヒートしていた。一時的にせよ、ピアノを日に4時間弾くことは自殺行為にも等しかった。



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by mhara21 | 2006-10-07 14:11 | 後追い日記83年 | Comments(0)

後追い日記83年24 ・マリーナのレッスン

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#マリーナのレッスン

マリーナとの勉強は9月16日に始まった。2年目はピアノを専門にする程体力がなかったので、声楽を主な学科としていたため、ピアノは1回30分。
バッハのプレリュードとフーガからBWV852を一人で選んで試験用の曲目にしていた。
マリーナは最後まで聴くと、マコがレガートで弾くことが出来なかった16連音符の所を「もっとレガートで弾くように」。
カチンコチンの固い手でレガートを弾こうとするが、音は沈まないでボコボコ浮き上がっていた。

「あなたはレガートが弾けないの?それとも弾き方がわからないの?」
「どうやって弾いたらいいのかわかりません。何か簡単なレガート奏法の練習方法がありませんか?」
「ええ、ありますよ。」

マリーナは、ピアノの前に座ると「1、2、3、4」と数えながらタイミングを合わせて手首を上げ、カウント4で次の音を打鍵する時に手首を落とし、また1234と数えた。その形で1オクターブを1本の指だけで上がったり下りたりする練習だった。

マリーナと変わりばんこにピアノの前に座り、手首が落ちる時の様子と落とした時の音、指で突いた時の音の違いについて学んだ。必ず黒鍵の近くを弾くようにとのことだった。
最後にこう言われた。

「ショパンのプレリュードを弾きましょう。今度楽譜を持っ来て下さい。私のやり方以外で練習しないで下さい。どうやって練習するか言います」
「何故、レガートが弾けないのですか?」
「肘に緊張があるからです。」

マリーナの答えにびっくり。誰もそんなこと教えてくれなかった。
バッハは、肘の緊張が取れるまでおいておくことになる。
1週間丹念に単調な練習を繰り返す。
時々やり方が正しく合っているか、ちゃんとしているのか心配になったが、とにかく日に2時間、1本の指につき20分かけた。母さん指、兄さん指、姉さん指を使った。

次のレッスン日。
マリーナは、マコの肘をめまぐるしく突ついたり、引っ張ったりする。テンス(緊張)のない肘は、打鍵していない時は、ちょうどあやつり人形の紐がゆるい時の様になっていて、肘を引っ張られても必ず元に戻って、ダランとしているとのことだ。 
マリーナに静止しているマコの肘を引っ張られたり腕を揺すられると、腕に空気が入って来るみたいで気持ちがいい。マリーナはマコの右側に付きっきりで腕を抱え込むようにして教えていたため、マコの肘先でマリーナの胸を突つくことがよくあった。ピアノのレッスンというよりはバレーのレッスン。

ショパンのプレリュードから20番のCマイナーが選ばれ、手首を思い切り返す方法で練習するように指示される。
ピアノから流れ出る激しい黒のようなマリーナの音色に感銘を受ける。子供の時からショパンに惹かれることはなかったけれど前奏曲(プレリュード)は全曲聞き覚えていた。

また1週間、あきもせず単調な練習を繰り返す。ピアノを弾く時に良い気を流す1番適当な腕の中の道筋を探そうと懸命であった。納得するまで練習するといつも必ず2時間かかった。抱かえていた問題が解決されそうだとわかった時、目から熱い涙がこぼれ落ちた。

10月半ばショパンのプレリュードの4曲を、レガートそして暗譜で弾けるようになった。
「同僚の先生が、新しい生徒が来て1ヵ月でこれだけのことを成したと言っても私は信じない。私は実際自分の眼の前で起こった事だから信じられるのよ。あなたは特別難しい曲を除いて、この前奏曲のほとんどを完全に弾ける人だわ。今までどうしていたの? ピアノを弾いていたの? 弾いたことはあったの?」
「病気だったから、よく弾けなかったのです」



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by mhara21 | 2006-10-07 14:09 | 後追い日記83年 | Comments(0)

後追い日記83年23・アドミラル通の下宿

後追い日記83年を1から読む

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#アドミラル通の下宿

学校へは歩いて7分位。3年後に引っ越しするまで、歩くことを楽しんだ。大きな樹々が多く、素敵なお屋敷町だった。大きな家々は、維持費がかかりすぎるのか、1家族以上で住んでいるところが多く、建て直しの時には、必ずといっていいほど、二戸一、三戸一住宅になるよう。

下宿の台所は狭い。それもトロット家の人々と共有なので、時間を気にして、ぶつからないように使うのは大変。だんだん外食が多くなる。後に、夜、学校で練習してからブルーア通をマーカム通まで地下鉄に乗り、コリアンレストランで食事をして、歩いて下宿に戻る生活が長く続いた。

 
トロット家では夫妻にティーンエイジャーの男の子レイモンドが住んでいた。独立した他の子供達もよく出入りしていた。心の暖かい、教養溢れるトロット家では寒さ以外は何の嫌な体験もなく過ごした。家にはピピンという犬がいた。

 「アドミラル」という英語は「海軍大将」とか「提督」という意味だ。マリーナは「海」。マリーナとの幸せな3年間もアドミラルでの3年間もうまく平行してマコのトロント滞在中最も実りの多い時期となった。
 
ARCT習得、卒業、その合間に聴き歩いた有名無名の数々のコンサート。7年間のトロント滞在中、7回下宿を変わったが、アドミラル通り92番地が1番楽しかった。86年の10月に転居するトロット夫妻と別れるまでに、ラフマニノフ自身が弾く、他のどのレコードとも違った奇跡的としか言いようのない「トロイカ」のレコードを聴くことができた。
トロット家の思い出は、何物にも替え難い。



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by mhara21 | 2006-10-06 09:57 | 後追い日記83年 | Comments(1)

後追い日記83年22・ブリギッタ 

後追い日記83年を1から読む

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#ブリギッタ 

屋根裏部屋の東側には、ブリギッタが住んでいた。住み出して早々に、マコをお使いに使う。チラシの安い買い物に印を入れたものやメモをお金と一緒に渡して言う。

「あなたには時間があるけれど私は昼間働いて、夜は日本語の勉強で忙しいのよ」
お金とメモやチラシを返して、「私も時間がなかったの」とやれば何でもなかった。

マコは、学校近くのドラッグストアの中にある郵便局の長い行列にブリギッタのための切手を買うために並んだ。ある時は、安売りの缶詰の重さにヘトヘトになりながら歩いた。
度重なると、なぜこんなことをしなければならないのか?と思う。でも異国の一人暮らし、また何かの時にお世話になることもあるからと頑張った。母親から、人間としてチャランポランに生きてはいけない無言の教育を受けたせいもある。

通常の人間関係に慣れていなかったので、このルームメイトの要求が、自分勝手とは思えず、コントロールされていた。人をこんなに使う人が、どんな人柄なのかもピンと来ないままに奉仕していた。

マコが7年間のカナダ滞在中、友人にスーパーへお使いを頼んだのはただの1回切り。病気になると、起きられるまで、飲まず食わずで寝ていた。誰の助けも自分からは呼ばなかった。

9月のある日、学校へ初めてピアノの練習に行く時、キャラバンのオーストラリアンパビリオンで求めた青と緑の貝の指輪をして行った。外して練習し、そのまま忘れて帰ってきた。翌日、学校のスタジオではリングは見当たらない。

ガックリしたが、「そうだ、私はピアニストなのだから指輪は、はめないでおこう」



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by mhara21 | 2006-10-05 09:41 | 後追い日記83年 | Comments(0)