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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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カテゴリ:後追い日記81年( 69 )

後追い日記81年9・琴美さんに会う

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#琴美さんに会う

タクシーから見るトロントはしとやかなたたずまいの町。ヴァンクーヴァーのような野趣は、空港のまわりの風景からしてない。走る車の窓から突然、オンタリオ湖が見えた。湖が静かに出迎える。

「お帰りなさい」
「ただいま」

家に辿り着いた。グールドが録音を続ける我が街に遂に帰れた。

中国人には「池」と思われるような穏やかな瀬戸内海の風景に親しんきたマコにとって、水との対話は朝夕のできごと。
運転手さんは中国人で、神戸に住んでいたことがあると話した。

琴美さんの下宿に到着。
家主が「彼女は空港なんかに行っていない。友人と遊びに行った。家の中には入れない。荷物もここに置くな。そこにレストランがあるからそこで待っていろ」
とすごい剣幕。

運転手は事の成り行きを見ていたが、首をすくめるとトランクからスーツケースとボストンバッグを取り出してレストランまで運んでくれた。冬物を詰めた大きい方のスーツケースはヴァンクーヴァーに置いてきたので受難がまだ軽い。

レストランではラジオの英語講座で丸ごと覚えた食事の注文の仕方が全部使える。お陰で日本では飲んだことがないシェリー酒を飲み、 rare medium を使いたいがために頼んだステーキで食事が終わった。まだ牛肉アレルギーが始まっていなかった。

「家主は私を家に入れないといっている。今夜の宿を捜さなくては」と店の人に聞くと Four Seasons Hotel の電話を教えてくれた。ホテルの予約もラジオ英会話で覚えていたのでうまくできた。1泊$100だったのには驚いたけれど。 

車を待っていると写真でよく見知った顔がニコニコ顔で現われた。
「だめじゃないの。インフォメーションを頼んで、その場を離れたら。私も今まで空港に人を迎えに行ったことがなかったからはっきりと場所を決めなければならないことにピンと来ていなかったのだけど‥‥」

「車が来ました」と店長。
「でも友人と逢えたので、ゴメンナサイ」

下宿に戻ると家主の罵声が飛んで来る。
「あの女を家に入れてはいけない」
「数時間だけだ」

夕食が済むと琴美さんは
「友人の所に頼んであるから」
と市電を2度乗り換えて、今晩の宿泊所に向かう。夜のトロントは暗かった。
これから続く私にとって訳が分からない人生のように。

グールドに近しい人に逢えるのか?
ヴィザはいつまで獲得出来るのか?
闇の中から答が返ってくることはない。

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by mhara21 | 2006-04-13 11:50 | 後追い日記81年 | Comments(4)

後追い日記81年8・opportunity 

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#opportunity    

飛行機の隣の女性は、ナイアガラフォールズ市に住むルイーズ。
息子のフィリピン人のお嫁さんに「私はあなたと結婚したのではない」とやられたとこぼす。「グールドは背の高い人で青白い顔をしている」と教えてくれた。
母方の祖母の話しは、普通に話しても自慢になるものだが、自分の英語力でも無理なく話せるので話題にした。

「祖母は何でも出来たの」
「あなたもそう見えるわ」
外人との会話が日本人と違うところは、彼らが積極的で人を誉めるところだ。
「沢山の”opportunity”があるといいわね」

”opportunity”という意味が分からないマコにルイーズは説明をしてくれた。
”opportunity”には人の、家庭環境、学歴、身体的条件に関係なく、平等に「機会」が与えられ、努力の成果をみる事が出来る。同じ「機会」でも「chance」では、運や、ツイているという意味合いが強い。

”opportunity”は北米の文化の土壌を表わしたような言葉でトロントでの運命を象徴したものだった。

カナダは日本の社会文化の中で育まれることがなかったマコを、先祖がカナダの建設に寄与することもなかったのに、迎え容れ、豊かな文化で伸ばしてくれたのである。
 マコは英単語の知識は乏しいが、この”opportunity”とカナダで知った”self - identity”には深い感謝と感動を覚える。

「アイデンティティ」は日本語として定着した。日本語に該当する言葉がなかったのではないか? さすがにセルフはつかないけれど。
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 トロントに近づくにつれ、不安が襲う。
 知人のお姉さん、琴美さんとは日本にいた時から文通をしていた。ところがヴァンクーヴァーからの最後の電話で空港のどこで待ち合うかを決めていなかったのだ。
「うまく会えるかしら?」

心配はトロント空港の人ごみのなかで本当のものとなった。ルイーズはオロオロする私のそばにしばらくいてくれたけれど
「ナイアガラフォールズ行きのバスは本数が少なくて‥‥」
と別れた。

案内所に行き、事情を話してアナウンスをしてもらうことにした。
そこで急に「イミグレーションを出た所で待っているのではないか」と探しに動いてしまう。イミグレーションにはいない。
  そしてマコの次の行動は・・・。
 琴美さんを呼ぶアナウンスが空港中に流れているのを聞きながら、「彼女は空港には来ていない」と思い込む。そして案内所に戻らないで、下宿までタクシーで行くことに決めてしまった。

人にはそれぞれの性癖がある。
ヴァンクーヴァーからかけた初めての電話で、琴美さんの低い声にトロント来訪はあまり歓迎されていないと思い込んだこと。
「自分の生活だけでも精一杯なのに、その土地に長く住んでいるからといって新しく来た人に頼られては迷惑なのだろう。今日はホテルに泊まることにしよう」

そう考えてタクシーに乗る。でも擦れ違いの可能性もあるので行き先は下宿先にした。
こういう風に、情況判断よりは、頭の中でかってに事柄をまわしていくタイプだった。

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by mhara21 | 2006-04-13 11:43 | 後追い日記81年 | Comments(5)

後追い日記81年7・ トロントへ

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#トロントへ

ヴァンクーヴァーは桜が散ってシャクナゲの大群が咲き出した。ネパールの国花であるシャクナゲを沢山見ることができるとは。花も樹も第一級の土地柄、海、山もすごかった。

ウィスラーにスキーに行く。プールのような温泉地にも車で出かけた。大山家がマコをもてなし続けるので、いつトロントに出発したいと切り出したらいいだろう。
ついにある日「トロントに行きます」と宣言。夫妻は送別会の夕食に連れ出した。

街のどこからも山が見える美しいヴァンクーヴァー。カナダ西部の山々に出発を見送られての旅立ち。
「また来て下さいね」
大山夫人はとこぎり人のよい人だ。うっとしい居候がようやく出ていくというのに。

 「トロントに行ったら弁護士に会う」という気配がさざ波のように寄せてきた。
マコには、ほんの少し先がわかる能力がある。 弁護士という暗示は、事実となって現われる。グールドの両親が住んでいた「サウスウッド32番地」には、グールドの父親から家を購入した弁護士の家族が住んでいた。



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by mhara21 | 2006-04-08 12:12 | 後追い日記81年 | Comments(5)

後追い日記81年6・ラヴェンダーは青&子供たち

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#ラヴェンダーは青

ラヴェンダーの石鹸を見つける。大山家の友人に「こんな物を買うなんてあなたお嬢さんね」とあきれたように言われ、5才児は「いい匂い」と喜んだ。

1980年8月1日、14年振りにラジオ放送の「続基礎英語」を聴こうとしたら、マザーグースの「ラヴェンダーは青」が聞こえてきた。

 トロント王立音楽院では、ソルフェージュの先生が音程の完全5度を認識させるのに歌の始め「ラヴェン‥‥」の部分を使っていた。「ドソソソーファミレド」で始まる歌なので、最初の2音が歌えれば「完全5度(perfect 5th)」の音程が取れる。

歌詞の「あなたが王様なら、私はお妃になるわ」というところを、秘かにこう歌う。
「グールドがカナダのピアノの王様なら、私は女王様になるわ‥‥」

マコはピアノの練習ができないので、音楽の勉強が出来るとは思っていなかったのに、そこは
Who told you so ?(誰がそう言ったの)
の繰り返しと答え
T'was my own heart diddle diddle that tells me so.(私の心がそう感じるの)

ヴァンクーヴァーの生活は快適だ。共働きの大山家は心からマコを受け入れてくれた。
子供達はプレスクール(小学校入学前の子供の行く学校)に通っている。その送り迎えがてら、ポストに日本宛の手紙を入れる日々が続く。

大山氏の勧めで英語学校に行ってみる。
「あなたは移民じゃないの?」
「ノー」

「移民以外は来られないことになっている。イミグレーションに行ってみてごらんなさい」

その先生から「イミグレーションに行った?」と電話があった。
「いいえ、すぐトロントに行くので。」

「まぁ、それは残念ね。私、またあなたに会えるのを楽しみにしていたのよ。英語を勉強して上手になって下さいね。トロントでの幸運を祈ります」

「お電話どうもありがとう」


#子供たち

大山夫人のご母堂がラスベガスへ旅行に出発。主婦手伝いとして一段と忙しく、英会話は少しで済む。プレスクールの母親達と公園に行ったり、食事に行った。ウブなカナダ体験だった。

年子の兄弟はエスキモーの子供のようなお揃いのフード付きのコートを着ていた。

 いたずらな弟が帰り道に近所の大きな家に近づいていくと兄が声をかけた。
「そこは大きな犬がいるから行ってはいけない」
 弟は尚も突き進んでいく。姿が見えなくなると一時して犬のほえ声と共に「ワァ−」と走り出して来た。
 シェパード犬は尻尾を振り友好的に小さな男の子を追う。今にもお尻を噛まれそう。マコは笑いころげているのに長男はニコリともしない。

家に帰ると居間で、兄が弟を抱き上げるようにして
「犬にほえられてたね。こわかった?」
と耐えられないように笑っていた。兄弟もいいものだ。

大山家は、時々父親がヒポコンテリ−を爆発させる以外は、平和で欲のない、ベルガモットのあっさりした匂いがする家庭だった。

食事は豪華だ。ヒラメを少し乾燥させたのが大人も子供も1匹丸ごと出た。
ある時、次男坊が
「こんなもの食わない」
「4才のくせにこんな大きな魚を1匹あてがってもらえるなんて贅沢だ。俺の子供の頃には考えられないよ」 

この子はきかん気が強く、「ヒトハミナクソヲタレル。ウンコタレ」とはやす。マコのダシとネギだけの関西風味のうどんは人気がなかった。

気さくな大山家にはいつも人の出入りがあった。旅行中の祖母の代わりに占いをするベビーシッターが泊まり込んだ。占い好きなマコは早速見てもらう。
「運のいい方です。引き込まれて、吸い込まれてしまいそうな人気があります」
 みんなウソだ。

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by mhara21 | 2006-04-07 15:19 | 後追い日記81年 | Comments(4)

後追い日記81年5・暖炉&大山夫妻

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    ↑大山家の暖炉

#暖炉

 ヴァンクーヴァーには、見事な桜の木があった。八重桜が多い。桜は一重が好きだ。

 翌日、桜吹雪の中を大山氏の勤務先UBC(ブリティッシュコロンビア大学)のパーティーに出かけた。
 暖炉で薪が燃えている。その豪華なこと。すり寄って眺める。日本の昔の家で親子6人と祖母が狭い燃やし口で風呂沸かしをしていた時とは、格段の違いの炎と木の香り。モミ、ユーカリ、マツを混ぜた匂いが暖かく顔にかかる。

 ダウンタウンでトラベラーズチェック100ドルを崩す。崩すに当たってテーブル用の紙製のクロスを買う。必要のないものを買い込む癖は、既にしっかりと持っていた。チューリップ柄がかわいい紙クロスは、日本に送り、机の中で「思い出」として眠っている。
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 レコード店ではグールドのレコード・デビュー25周年を記念して発売されたレコードを見つける。
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E.シュワルツコップとの共演や珍しいスカルラッティのソナタも入っている。ジャケットには、グールドが得意とする「演劇」のための役者がいた。 カナダで聴くグールドのおふざけ、黒皮ジャンパーを着たアンちゃんやニーチェのなりそこないのような人。
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 グールドが変装していたのだけれど、マコは長い間気づかなかった。写真の手や指で、マコはようやくグールドが遊んでいるとわかる始末であった。
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#大山夫妻
「俺、その人好かないよ。お前の兄貴もグールドを聴くとイライラすると言っていたぞ」
「いつもいつも、それをかけるの止めてくれねぇかな」

 大山氏はナナ・ムスクーリの「Season in the Sun (太陽の中の季節)」が好きでいつも聴いていた。大山氏とマコは鬱病という一致点があった。

「この人、これから自殺するんだよ」
歌の中に出てくる人のことを言っているのだろう。

 マコはシルビア・プラスの詩が好き。死にたくなる人の方が理解しやすい。

 ある日、大山氏は、飛行機に乗せてくれた。
 セスナが空に舞い上がる。
 操縦している大山氏がここで手を離すと死ぬことができるのに。
しかし無事にサン・ジュアン島に着く。ヴァニラ蘭の天然の香りが漂うアイスクリームをおいしく食べた。

 帰宅すると奥さんが
「あの島には何度も行ったけれどアイスクリームを食べたことはないわ」
 マコは悪いことをした気分になった。

 ヴァンクーヴァーの自然は見事の一言だ。バーナビ市の家の近所を歩いただけでも自然公園にいるようだった。
 シアーズやスーパーマーケットにも出かけて、カナダ生活の第1歩を楽しんだ。何せ大きい。店も自然も。



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by mhara21 | 2006-04-06 17:16 | 後追い日記81年 | Comments(7)

後追い日記81年4 ・大山家

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#シアトル経由でヴァンクーヴァーへ 

太平洋上を飛んでいると、過去のいくつもの出来事が心の中に飛ぶ。

− 元気になれてよかった −

うずく体であるけれど夢にまで見た国カナダはもうそこなのだ。
シアトルのタコマ空港で、ヴァンクーヴァーに住んでいる大山氏の出迎えを受ける。
買い物をしながら、車で国境に向かう。

カナダ入国の時、すったもんだの騒動が起こった。
片道切符しか持っていなかったため、中国系の女性係官にカナダに居座るつもりだと思われたのだ。

「何しにカナダにいらしたの? 帰りの切符がないのはおかしいですね」

「あの・・グールドというピアニストに・・」
空の上を飛んでいたときの元気はない。

「ともかく人の国にふらふらと来て長居しようとしても働いたらいけないの、わかっているでしょうね」

「グールドは変人で人に会おうとしません。だからいつまでいることになるか、そんなことわかりません」

「何をおっしゃっているのか、私にはさっぱりわかりません」
と、キンキンカンカンやられて、ようやく6月末まで3ヵ月のヴィザがもらえた。


車は海外の風景の中を進んで行く。すべてが広やかでゆったりしている。自然も多い。思った通りストレスのない空間。ここなら少し元気になれるかもしれない。

車が大山家の台所の入口の前で止まる。勝手口の階段を上がる。きれいにペンキが塗ってある。裏庭も広い。大山氏の奥さん、5歳と3歳の年子の男の子と夫人の母上が待っていて下さった。

大山さんのお宅  裏庭から
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横の道路から
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裏庭の先のガレージ
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大山夫人「あなた体が弱いと思いこんでいただけじゃない?」 
 (ほら始まった)

「だって病気だったらカナダにこれないでしょう?」
 (この上に何を言い出すかな?)

「もっと元気のなさそうな人が来ると思っていたの」
 (踏ん張って生きているのよ)

「みんな来るのを待っていたのよ」
「ありがとう」

客用の部屋は階下(半地下)にある。天井に近い窓からは前庭の土と植物がよく見えた。植物の茎の所を下から上へ見る、これは今までにあまり経験したことがない眺めだ。

近隣の家の庭先にはチューリップの花が咲き誇っている。隣人宅に遊びに行くとあかんぼうの孫が沢山遊びに来ていた。

「私ね、2歳以下の子供の世話するのが大好き」

「そうかい、私は15歳以上の女の子の世話をするのが好きだよ」

「これからトロントにグールドっていうピアニストを訪ねて行くのだけれどグールドは会ってくれるかしら?」

「大丈夫だよ、あんたみたいな人には会ったことがないっていうさ。よくひとりでここまで来たなぁ、長い間病気していた人には見えないよ」



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by mhara21 | 2006-04-06 17:12 | 後追い日記81年 | Comments(1)

後追い日記81年3 ・成田空港

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成田空港81年4月1日

#タイ航空
搭乗が始まる。座っていた椅子を蹴るように離れると、体全体の軽さが多少心許なく思える。

座席には小さな蘭の花。やっぱりタイ航空にしてよかった。アジアの国々の中で1番合いそうな国はタイ。行ったこともなく、タイ語を学んだ訳でもない。タイ航空の片道切符はその頃20万円近くした。

隣は優しそうな女性だ。
「私の初めての外国旅行なの。あなたはどこに住んでいるの?」
「ニューヨークよ。タイには旅行に行ったの」

「タイシルクは買った?」
「えぇ、布地とスカートを買ったわ」

「グレン・グールド知っていますか?」
「勿論よ。すばらしいピアニストね」

「私、これからグールドに会いに行くの。一緒にピアノを弾きたいの」
「おやまぁ、幸運があるといいわね」

「でもきっと恋人が多い人でしょうよ」
「あなたが一番に決まっているじゃない」

にんまりと笑ったエヴァは、数年後、結婚してニューヨークを離れた。 コートダジュールから届いた便りには「あなたの人生がどうなるのか、知りたい」

長年の治る見込みのない病気、医者や治療師とのトラブル、学校に通えるアテのない日々。子供の時から「気力のない怠け者」「過保護児」「親に甘やかされた子」と他人から言われた。

治療効果がないと治療師からは「治す気のない奴」「学校に行く気のない人」「仮病」と言われた。

母親は、妊娠中、家族に対して思いやりのない夫への激怒のストレスが、体の弱い子供を生んでしまったと責任を感じ、マコの体が痛む時は自責の念と深い愛情で、夜どおし看病をした。

音楽の世界で「この世で主流とされているものにはまやかしが多い」という感覚を得ていた母親は、医学界も同じことを直感で知る。そして薬の恐ろしさをよく知った金儲け主義でない家庭医を探し出した。
マコ自身も病院の野蛮な治療を断った。これが病弱なマコが医療からの2次被害を受けることなく、カナダに飛び出していける運命につながったのだ。

背に担いでいる荷が重くなり続ける頃に、グールドの音楽を知った。13才のマコは、バッハのインヴェンションのレコードジャケットの顔写真にしびれた。

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グールドはイナセなあんちゃんから理知的な医者まで多彩な役柄がこなせる幅広い容貌を持っている。若い頃の数々のポートレートは一流の俳優を思わせる。写真家はグールドのどんなポーズや仕草も自然で、そのままナイスショットになったという。映像を思いきり利用した着眼の良さは、彼の成功の要因となっている。

21世紀もグールドの音楽を慕う人々が増えるであろう。



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by mhara21 | 2006-04-06 10:10 | 後追い日記81年 | Comments(8)

後追い日記81年2・ヴァンクーヴァーへ 

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#ヴァンクーヴァーへ 

ようやく抜け出せる日本。日本社会は重苦しく、自分の居場所が見つからない。マコには「日本人」という自覚はない。この国では「社会の仲間入り」をしたことがなかった。

さしづめ「粗大ゴミが、カナダへ行く」。
1952年生まれ、日本育ちのマコは、戦争による混乱や権力者による社会的抑圧など想像することもできなかった。

1998年、日本の不登校の小中学生は10万人を突破した。マコが学校に通ったのは小学5年生までだったが、学歴のない事で困ったことはない。就職のための履歴書やお見合いのための釣書を書いたことがなかったから。それは自分で食べる心配をしないでいいからであった。

28才というのにまるで小さな女の子。闘病生活が始まると自分の世界に引きこもって生きるくせがついたこと、体のこと以外は世の中の辛い現実に直面しなくていい生い立ちのせいだ。

22才の時、目が見えなく耳も聞こえない狂気に連れ込まれた。全身がしびれてゾッとするガス、体の闇の世界だった。絶望したマコは自殺しようとした。雨が降る前や風の吹く日は、体の痛みがひどくて死にたくなった。この世に生きて何のいいことがあろうか?

マコがいるのはこの世(サグ)とあの世(ナユグ)をつなぐ特殊な世界。霊能者の家に預けられた時も「こんなに霊魂が来るのでは一生苦労が絶えないね」といわれた。
チャグム皇子のように魂だけになって異界に飛んだことがある。その時の道案内人は、ニーチェの「ツァラトゥストラ」と同一人物だと言い張る。
この世の人々だけでなくあの世の人々の心の苦しみを背負う憂鬱と桁外れの魂の飛翔は、シューマンの音楽の中に表現されている。だからシューマンを愛している。

マコはウラジーミル・ナボコフと同じ「共感覚者」。共感覚者とは、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚が入り乱れて感じられる感覚であり、この才能の持ち主は記憶力が優れていることが多い。時間の感じ方が共感覚者でない人と違うことに特徴がある。

ナボコフ・ランボー・プルースト・ジョイス・スクリャービン・リヒテルは共感覚の持ち主である。音を聴くと色、形、におい、味、手触り(触感)を感じる。音を視て、どんな色か表現するのである。
「ウィルヘルム・バックハウスの音は茶色だから好きになれない」
「クラウディオ・アラウの音は熱いからきらい」
調性は「ト長調」にご執心。

自分のことは、大好きなニーチェも理解不能だと思っているので、「ニーチェなら自分のことをわかってくれる」というニジンスキー(ダンサー)がうらやましい。でも「ナボコフなら、私を理解可能」と考えている。

果たしてグールドはマコを受け入れることができるのか? マコの長年の思いがグールドに通じる日がカナダで訪れるのだろうか?

太平洋戦争で死亡した伯父のことを考える。死にたくなくても死ななければならない人生もある。地質学者でピアノが上手だった伯父は、出征の朝、ベートーヴェンのピアノソナタを弾いた。1年4ヶ月後の1945年4月1日夜半、帰国のため日本に向かっていた阿波丸は、台湾沖で、アメリカの潜水艦の襲撃を受けて海底に沈んだ。その時28才6ヵ月。

マコと同じ辰年の9月生まれの伯父。伯父は音楽を愛し、この世に思いを残してなくなった。その気持ちに報いるためにもカナダでは死にたいと思うのは止めよう。
人間の魂の中には先祖の想いが眠っているのではないだろうか? マコは血の中に伯父の音楽への想いが流れるのを感じた。

カナダでなにが起こるだろうか。でも怖いことは少しもない。グレン・グールドがカナダにいるから。ファンが高じてストーカーになれば人間怖いものなしで行動できるのは周知の事実。ただ標的に迷惑を掛けて嫌がられるか、ある種の好意を持って受け止められるか‥‥‥。

「グールドが私に会うはずがない。でも行かなければならぬ」
世界の一流品に恋する人々は、大抵しがない身の上を囲うことになる。


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by mhara21 | 2006-04-05 19:06 | 後追い日記81年 | Comments(2)

後追い日記-My lLife with Glenn Gould-1981年

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#プロローグ  出発
 「マコ、体に気をつけるのよ」
 「ちゃんと歯の治療は済んでいるね」
 「マコ、すぐに帰って来ていいのよ」

 新幹線のプラットホームには、マコの兄姉3人が並んで、みな笑顔を振り絞っている。似たような笑い顔、手の使い方。マコが手をガシャガシャ振ると写真のベタ焼きが流れるように車窓から左へ消えていった。席に座ってフーと一息。横にはマコを見送るために上京する3つ年上のお姉さんがふっくらと座っている。

 家族から、かばわれ、与えられる「愛」。これが28才の原真砂子が持っているすべてだった。そのマコが、居心地のいい国、日本を離れて、知り合いのほとんどいないカナダに行く。


 時々、左右の窓から薄いピンクがしおりのように入ってくる。
 日本列島は、これからが桜のシーズン。
 「グールドさん、これ日本の国花なのよ」
 いつか、グールドと一緒に桜を見たい。これがマコの夢だった。今年は桜を見逃すことが残念である。

 マコの人生はたやすいものではなかった。8才から原因不明の発作が始まりビタミンB1欠乏性多発性神経炎や心臓性のリューマチに加えて、発熱や身体の激痛で眠れない日々を何年も過ごした。温度差が発作を招くので、入浴ができない。マコと母親が治療や医者を求めて訪ね歩く時間や費用は空前のものであった。

 そんな苦しみのなかで、マコの支えは、グールドの弾くピアノ。そしてほとんど練習ができなくてもバッハのパルティータを弾く音楽の世界だった。

 15才のマコに「ゴルトベルクを弾いてごらん」とすすめたのは、母のピアノの先生。
 グールドになんとか連絡をつけたいマコがこの曲に極限の体力を振り絞って集中している時、受けた治療のせいでアッという間に腕や指先が別人のように変わって弾けなくなった時のショック。

 夕やみの迫る成田空港で飛行機の搭乗を待っているマコのまわりには、ゴルトベルク変奏曲の精霊たちが付き添っていた。マコは自分の心から閉め出してしまった変奏曲のメロディーが流れているのに気づかない。

 辺りには、月の出を待つ夕刻の楽しさのようなジャスミン(素馨そけい)の香りが漂っていた。トゥワイライト(逢う魔が時)の一刻はグールドの魔神的演奏がよく似合う。 カナダに出向くのもフロイトのいう「リビドー」のせいではないかしら?
 胸から上は、清らかな少女の思い、足は全く違うエネルギーに動かされているよう。マコは、ひとしきり体のいろいろな部分から発する匂いを嗅ぎ分けて退屈な時間を過ごす。
 香りといえば、マコの愛する詩人の大手拓次は、とても珍しい嗅覚を中心とする詩を多く残している。大手拓次のようにその存在を片隅に押し込められた詩人はいるだろうか?
大手拓次も、よく手の匂いを嗅いでいて、みんなから「クマ」のあだ名を付けられていたと言う。

 でもやっぱりあの声。
「さあ、おいで。いつか元気になって僕の国においで。これがカナダの自然・紅葉・雪。これが森。僕の国に来て白い雲の動きを見てごらん! ゴルトベルクが聞こえてくるよ。さあ、僕と一緒にワルツを踊ろう」
 こんな風に病気の事を忘れさせるピアノを聞かせたグレン・グールド、その人に会いに行く。

 グールドはこの春、ゴルトベルクの再録音を始めようしていた。2度目のゴルトベルクは、グールドとファンにとって、グールドが来世へ旅立つ別れの言葉となった。

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by mhara21 | 2006-04-05 19:01 | 後追い日記81年 | Comments(7)