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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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カテゴリ:後追い日記81年( 74 )

後追い日記81年14・マコの日記

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後追い日記81年を1から読む

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#マコの日記1981年6月6日

 今日という日は何という日でしょう。
 サウスウッド32番地の家があんなに小さく見えるのは周囲が森のような木立だから?
 ひょっとしたらご両親にお目にかかることになるかしら?と思いながら出かけたら、土建屋のおじさんみたいな人と話すことになった。

 今日の私は、オンタリオ湖のキラキラ光る太陽の光線のよう。
 のぼせた顔をして湖畔にすわっていると
「あんた、中国人?」とさもバカにしたように小さな女の子が問う。ほとんど裸の格好をしている。なんとなく、疎まし気に私を見つめる中年女性もいた。グールドは常に「スコットランド出身だの、アングロサクソン系」と言っているから、ワプスの居住地なのかもしれない。



「それで、グールドの家は大きかった?」
「小さいわよ。グールドの父親を知っている人が住んでいて、話して下さるそうよ」
「まあ!なんという気の狂った変わった女の人が日本から来ていると思うだけよ」
「なんにもないよりいいでしょう?」
「グールドってお金持ちなの?」
「家を4軒も持っているそうよ」

 ああ、それにしてもうまく私の気持ちが伝わるかしら? 今度は、スーツを着て再訪しなくっちゃあ。あの家の中に入ってみたい。

 病気の中学生のころ、家に母の手作りの大きな枕があった。学校に行かれないことや体の苦しさやら、将来への不安の思いで夜中に枕を抱いては「グールドの赤ちゃんごっこ」をして遊んだ。
 「これは、あの人の大切な子供なのよ」そう思うと心が平和になった。
 私のグールドへの思いは一体、何なのだろう。グールドも思われたくもない人から勝手に思われて、さぞやかし、迷惑なことだろう。

 もしも一緒にピアノを弾くことになれば・・・。あー足がガクガクする。
 でももうわかっている。母の言葉。
「世界の偉大な人が、あなたのような人を相手することはないのよ。そういうところが全く子供なのだから、母さんは、あきれてるの」
「そんなことは行って、頼んでみないとわからないわ」
 多分、そう。母さんのいっているとおり。
 ここまで押し掛けて来て行動に出ると現実がどんなものかわかる。
 それに、私は自分自身のグールドへの感情が自分でもわからない。



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by mhara21 | 2006-04-15 12:33 | 後追い日記81年 | Comments(4)

後追い日記81年13・ロバートさん

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photo from Google May 2014


#ロバートさん

帰ろうとして坂を下った。
その時、大きな力が肩をつかんで北に向きを変えると「さあお行きなさい」とでもいうように家の方に押し上げた。その勢いで駆け足になって家に近付き、前庭に出入りしていた女性を家の横壁の所で捕まえた。

「サウスウッド通り32番地に行きたいのですが」  
「ここですが‥‥」

「このお宅はグレン・グールドさんのお宅でしょうか?」
「彼は昔住んでいましたが、彼の父親が私の息子にこの家を売りました」

「私は彼のファンです。3週間前にトロントに来ました。
 もし可能ならグールドさんにお目にかかりたいのですが。
 そして一緒にピアノを弾きたいのです」
「息子は彼の父親を知っています。今裏庭にいます。会って話をしてご覧なさい」

裏庭からは大きな音が聞こえていた。
男性2人が木のテラスを作っていた。
そばには乳首をくわえた男の子が遊んでいた。
 
自己紹介の後、用件を伝えた。
「日本の住所とトロントのあなたの電話番号を教えて下さい。
彼の父親にあなたの話をしましょう」

ロバート氏は自分の名前と電話番号を紙に書き、マコに渡した。
「グールドは家を4軒持っています。
  1つはセントクレアのアパート
  2つはエグリントン・イーストのイン・オン・ザ・パークのスタジオ
  3つは、ベイビューの上の方の一軒家
  4つは、どこだったかなぁ。
ファンが来ると、見つけるや否や、逃げ出して、避けているのですよ。
 会うのはとてもむつかしいと思いますよ。
 父親が去年再婚してから、それが気に入らなくて大変だそうです。
 この話がうまく息子の方に伝わるかどうかもわかりませんがね。
 それにしても、なんていう勇気のある人でしょう。
 いいお天気でしょう。トロントを楽しんでください。またね。」

興奮して転がるように坂を降りて湖岸に向かう。
心はキラキラしている湖のように大きくなる。
湖は初夏の青さを映してどこまでも真青だった。
遂にやったんだ。グールドの父上に話してもらえるかもしれない。第一歩が作れた。
人々や犬を眺めて半日近くをそこで過ごした。
お昼のデザートに果物とお菓子を食べる。
湖岸がグールドのかつての散歩道であることは想像出来た。

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(上の写真では大きな家のようですが、グールドの生家はこの写真の部分だけです)


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by mhara21 | 2006-04-15 12:30 | 後追い日記81年 | Comments(1)

後追い日記81年12・サウスウッド32番地

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#サウスウッド32番地

6月6日日曜日。ズック袋にお弁当。パンツルックにスニーカーで市電に乗る。快晴。市電はヤング通りを越えるとスラム街に入って行く。都市部に随分広範囲に貧しい地区がある。徐々に中流地区があり、降車地のリー通りの辺りはしっかりしている。

右手に濃い緑の向こうに青々とした湖の色を映した絵葉書のような公園がある。見覚えのある風景は、松の緑が松食い虫で枯れていない駅の南に見える幼稚園時代の通園風景だった。

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ヒマラヤシーダーの大樹。今よりも水面が岸にはるかに近いキューガーデンの絶景は、懐かしい。

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リー通りを上がるとグールドの通った学校が見える。そこを右に曲がるとサウスウッド通り。北に上がって歩を進める。心臓はポンプのように活動して飛び出しそう。

何と小さな家並み。大きな家とばかり思っていたのに。
屋内がシックな作りであることは外からでも分かった。
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あの家だ。
乳母車が見える。 残念!!  
赤いシャツの女の人がチラチラ見える。
もしかしてグールドのお姉さんかしら。
きっとご両親は引っ越しされたのだ。
1978年9月、グールド夫妻気付で誕生日カードを送った事がある。

感無量だった。グールドが住んでいた家。
あの2階のどこかに少年時代を過ごした彼の部屋がある。

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その人が奏でた音楽によって慰められた私の夢が叶って今、その家の前に立っている。

通りの向こうから、あるいは家の少し上の所からと私は場所を変えて家を眺め、物思いにふける。最後にもう1度だけよく見よう。私の旅はこれで終わったのだ。



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by mhara21 | 2006-04-13 11:58 | 後追い日記81年 | Comments(1)

後追い日記81年11・トロント市内探索

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(日付が違うのは、当時カメラがなく、モニカ来訪時に撮ったため)

#トロント市内探索

翌日、「周囲を案内する」という梁夫人と共に近所を歩く。大きなお腹はせり出していて6月に出産予定で幸せそうだった。
「この地区は余りよい地区ではないけれど、アメリカに比べれば安全よ」

近くの高いビルを指差して
「電車に乗って降りる時にはあれを目印にしたら?」
となかなか細かい。

通りの角には図書館があった。道はストレートで南の突き当たりには水色のスポットが見えた。淡い水色の5月のオンタリオ湖だった。湖の近くに住めたのが嬉しかった。湖は揃った家並みの向こうにパレットに流した水絵の具のようだった。

寝城は出来た。しかしイミグレーションを通過するために動いておかなければならない。
イミグレーションでは働いていないことを証明でき、お金が山と入っている貯金通帳があり、帰りの切符があれば、帰りの飛行機の日付まではヴィザが出るのでヴァンクーヴァーで航空券を10月付けで購入していた。

ヴィザのために英語学校に入っておきたい。
「ハンザ」を探し、1時間のラボ、1時間の授業で1ヵ月だけ。
イミグレーションに行く頃に合わせて通学することにした。

トロント市内を歩いて探検する。ある時はCNタワーからトロント大学まで歩いたが、日本のように疲れなかった。街並みがよく整って、車道と歩道の区別がはっきりしていたので、狭い道で車に気を使うこともない。空間の広さもくつろげる大きな要因だ。

焦点はサウスウッド通り。地下鉄からならメインという駅から南下。市電ならクイーン通りから東行きの504に乗ればグールドと関わりのある家に行けることがわかった。

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by mhara21 | 2006-04-13 11:56 | 後追い日記81年 | Comments(1)

後追い日記81年10・最初の下宿

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#最初の下宿

着いた先はパーティーで、マージャンの最中だった。
迷うような大きな家。階段は2ヵ所もある。

家主は中国系の梁さん。
「冷え込みがきついので」と電気ストーブを差し出す。
「玄関の灯は必ず消してほしい」とスイッチの場所と消し方を教えられた。

寝床の中で今日1日をを反省する。
大山氏宅でも今日の空港での事件と同じようなトラブルを起こした。
おばあさんと子供達と外出した時、シアーズというショッピングセンターでの子供達のトイレがあまりにも長く、「私のこと忘れて帰ったのだ」と思って、1人で帰ったのだ。
その判断を皆に呆れられたっけ。

グールドは数字占いにはまっていた。 
それならば、5月15日という日付をどう解釈して、講義をたれたことだろう。
マコが、トロントに辿り着いた第1日、グールドは、ニューヨークで「ゴルトベルク変奏曲」を弾いていた。その日はどの変奏を録音したのだろう。

インタビューの後、全曲弾くグールドをフランスのモンサンジョン氏がフィルムに収録して、今日、そのカセットはグールドファンの宝物になっている。

ピーター・オストウォルドはグールドの伝記の中で病身を押して再録音にのぞんだグールドの手が薬の副作用で震えているのを指摘する。著者のオストウォルドはさすがに医師だ。

なんでもコントロールしたかったグールドはその「性癖」ゆえに、薬によって体調をコントロールする習慣にはまっていた。

トロントの夜半の冷え込みは凄かった。北国の春はこんなに遅いのか?
冷たさの質が違っていた。
「台所で人の物を食べないように」
という琴美さんの思いもかけない注意に他人と暮らすことに身が引き締まる。
長い1日が終わった。




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by mhara21 | 2006-04-13 11:55 | 後追い日記81年 | Comments(2)

後追い日記81年9・琴美さんに会う

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#琴美さんに会う

タクシーから見るトロントはしとやかなたたずまいの町。ヴァンクーヴァーのような野趣は、空港のまわりの風景からしてない。走る車の窓から突然、オンタリオ湖が見えた。湖が静かに出迎える。

「お帰りなさい」
「ただいま」

家に辿り着いた。グールドが録音を続ける我が街に遂に帰れた。

中国人には「池」と思われるような穏やかな瀬戸内海の風景に親しんきたマコにとって、水との対話は朝夕のできごと。
運転手さんは中国人で、神戸に住んでいたことがあると話した。

琴美さんの下宿に到着。
家主が「彼女は空港なんかに行っていない。友人と遊びに行った。家の中には入れない。荷物もここに置くな。そこにレストランがあるからそこで待っていろ」
とすごい剣幕。

運転手は事の成り行きを見ていたが、首をすくめるとトランクからスーツケースとボストンバッグを取り出してレストランまで運んでくれた。冬物を詰めた大きい方のスーツケースはヴァンクーヴァーに置いてきたので受難がまだ軽い。

レストランではラジオの英語講座で丸ごと覚えた食事の注文の仕方が全部使える。お陰で日本では飲んだことがないシェリー酒を飲み、 rare medium を使いたいがために頼んだステーキで食事が終わった。まだ牛肉アレルギーが始まっていなかった。

「家主は私を家に入れないといっている。今夜の宿を捜さなくては」と店の人に聞くと Four Seasons Hotel の電話を教えてくれた。ホテルの予約もラジオ英会話で覚えていたのでうまくできた。1泊$100だったのには驚いたけれど。 

車を待っていると写真でよく見知った顔がニコニコ顔で現われた。
「だめじゃないの。インフォメーションを頼んで、その場を離れたら。私も今まで空港に人を迎えに行ったことがなかったからはっきりと場所を決めなければならないことにピンと来ていなかったのだけど‥‥」

「車が来ました」と店長。
「でも友人と逢えたので、ゴメンナサイ」

下宿に戻ると家主の罵声が飛んで来る。
「あの女を家に入れてはいけない」
「数時間だけだ」

夕食が済むと琴美さんは
「友人の所に頼んであるから」
と市電を2度乗り換えて、今晩の宿泊所に向かう。夜のトロントは暗かった。
これから続く私にとって訳が分からない人生のように。

グールドに近しい人に逢えるのか?
ヴィザはいつまで獲得出来るのか?
闇の中から答が返ってくることはない。

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by mhara21 | 2006-04-13 11:50 | 後追い日記81年 | Comments(4)

後追い日記81年8・opportunity 

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#opportunity    

飛行機の隣の女性は、ナイアガラフォールズ市に住むルイーズ。
息子のフィリピン人のお嫁さんに「私はあなたと結婚したのではない」とやられたとこぼす。「グールドは背の高い人で青白い顔をしている」と教えてくれた。
母方の祖母の話しは、普通に話しても自慢になるものだが、自分の英語力でも無理なく話せるので話題にした。

「祖母は何でも出来たの」
「あなたもそう見えるわ」
外人との会話が日本人と違うところは、彼らが積極的で人を誉めるところだ。
「沢山の”opportunity”があるといいわね」

”opportunity”という意味が分からないマコにルイーズは説明をしてくれた。
”opportunity”には人の、家庭環境、学歴、身体的条件に関係なく、平等に「機会」が与えられ、努力の成果をみる事が出来る。同じ「機会」でも「chance」では、運や、ツイているという意味合いが強い。

”opportunity”は北米の文化の土壌を表わしたような言葉でトロントでの運命を象徴したものだった。

カナダは日本の社会文化の中で育まれることがなかったマコを、先祖がカナダの建設に寄与することもなかったのに、迎え容れ、豊かな文化で伸ばしてくれたのである。
 マコは英単語の知識は乏しいが、この”opportunity”とカナダで知った”self - identity”には深い感謝と感動を覚える。

「アイデンティティ」は日本語として定着した。日本語に該当する言葉がなかったのではないか? さすがにセルフはつかないけれど。
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 トロントに近づくにつれ、不安が襲う。
 知人のお姉さん、琴美さんとは日本にいた時から文通をしていた。ところがヴァンクーヴァーからの最後の電話で空港のどこで待ち合うかを決めていなかったのだ。
「うまく会えるかしら?」

心配はトロント空港の人ごみのなかで本当のものとなった。ルイーズはオロオロする私のそばにしばらくいてくれたけれど
「ナイアガラフォールズ行きのバスは本数が少なくて‥‥」
と別れた。

案内所に行き、事情を話してアナウンスをしてもらうことにした。
そこで急に「イミグレーションを出た所で待っているのではないか」と探しに動いてしまう。イミグレーションにはいない。
  そしてマコの次の行動は・・・。
 琴美さんを呼ぶアナウンスが空港中に流れているのを聞きながら、「彼女は空港には来ていない」と思い込む。そして案内所に戻らないで、下宿までタクシーで行くことに決めてしまった。

人にはそれぞれの性癖がある。
ヴァンクーヴァーからかけた初めての電話で、琴美さんの低い声にトロント来訪はあまり歓迎されていないと思い込んだこと。
「自分の生活だけでも精一杯なのに、その土地に長く住んでいるからといって新しく来た人に頼られては迷惑なのだろう。今日はホテルに泊まることにしよう」

そう考えてタクシーに乗る。でも擦れ違いの可能性もあるので行き先は下宿先にした。
こういう風に、情況判断よりは、頭の中でかってに事柄をまわしていくタイプだった。

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by mhara21 | 2006-04-13 11:43 | 後追い日記81年 | Comments(5)

後追い日記81年7・ トロントへ

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#トロントへ

ヴァンクーヴァーは桜が散ってシャクナゲの大群が咲き出した。ネパールの国花であるシャクナゲを沢山見ることができるとは。花も樹も第一級の土地柄、海、山もすごかった。

ウィスラーにスキーに行く。プールのような温泉地にも車で出かけた。大山家がマコをもてなし続けるので、いつトロントに出発したいと切り出したらいいだろう。
ついにある日「トロントに行きます」と宣言。夫妻は送別会の夕食に連れ出した。

街のどこからも山が見える美しいヴァンクーヴァー。カナダ西部の山々に出発を見送られての旅立ち。
「また来て下さいね」
大山夫人はとこぎり人のよい人だ。うっとしい居候がようやく出ていくというのに。

 「トロントに行ったら弁護士に会う」という気配がさざ波のように寄せてきた。
マコには、ほんの少し先がわかる能力がある。 弁護士という暗示は、事実となって現われる。グールドの両親が住んでいた「サウスウッド32番地」には、グールドの父親から家を購入した弁護士の家族が住んでいた。



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by mhara21 | 2006-04-08 12:12 | 後追い日記81年 | Comments(5)

後追い日記81年6・ラヴェンダーは青&子供たち

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#ラヴェンダーは青

ラヴェンダーの石鹸を見つける。大山家の友人に「こんな物を買うなんてあなたお嬢さんね」とあきれたように言われ、5才児は「いい匂い」と喜んだ。

1980年8月1日、14年振りにラジオ放送の「続基礎英語」を聴こうとしたら、マザーグースの「ラヴェンダーは青」が聞こえてきた。

 トロント王立音楽院では、ソルフェージュの先生が音程の完全5度を認識させるのに歌の始め「ラヴェン‥‥」の部分を使っていた。「ドソソソーファミレド」で始まる歌なので、最初の2音が歌えれば「完全5度(perfect 5th)」の音程が取れる。

歌詞の「あなたが王様なら、私はお妃になるわ」というところを、秘かにこう歌う。
「グールドがカナダのピアノの王様なら、私は女王様になるわ‥‥」

マコはピアノの練習ができないので、音楽の勉強が出来るとは思っていなかったのに、そこは
Who told you so ?(誰がそう言ったの)
の繰り返しと答え
T'was my own heart diddle diddle that tells me so.(私の心がそう感じるの)

ヴァンクーヴァーの生活は快適だ。共働きの大山家は心からマコを受け入れてくれた。
子供達はプレスクール(小学校入学前の子供の行く学校)に通っている。その送り迎えがてら、ポストに日本宛の手紙を入れる日々が続く。

大山氏の勧めで英語学校に行ってみる。
「あなたは移民じゃないの?」
「ノー」

「移民以外は来られないことになっている。イミグレーションに行ってみてごらんなさい」

その先生から「イミグレーションに行った?」と電話があった。
「いいえ、すぐトロントに行くので。」

「まぁ、それは残念ね。私、またあなたに会えるのを楽しみにしていたのよ。英語を勉強して上手になって下さいね。トロントでの幸運を祈ります」

「お電話どうもありがとう」


#子供たち

大山夫人のご母堂がラスベガスへ旅行に出発。主婦手伝いとして一段と忙しく、英会話は少しで済む。プレスクールの母親達と公園に行ったり、食事に行った。ウブなカナダ体験だった。

年子の兄弟はエスキモーの子供のようなお揃いのフード付きのコートを着ていた。

 いたずらな弟が帰り道に近所の大きな家に近づいていくと兄が声をかけた。
「そこは大きな犬がいるから行ってはいけない」
 弟は尚も突き進んでいく。姿が見えなくなると一時して犬のほえ声と共に「ワァ−」と走り出して来た。
 シェパード犬は尻尾を振り友好的に小さな男の子を追う。今にもお尻を噛まれそう。マコは笑いころげているのに長男はニコリともしない。

家に帰ると居間で、兄が弟を抱き上げるようにして
「犬にほえられてたね。こわかった?」
と耐えられないように笑っていた。兄弟もいいものだ。

大山家は、時々父親がヒポコンテリ−を爆発させる以外は、平和で欲のない、ベルガモットのあっさりした匂いがする家庭だった。

食事は豪華だ。ヒラメを少し乾燥させたのが大人も子供も1匹丸ごと出た。
ある時、次男坊が
「こんなもの食わない」
「4才のくせにこんな大きな魚を1匹あてがってもらえるなんて贅沢だ。俺の子供の頃には考えられないよ」 

この子はきかん気が強く、「ヒトハミナクソヲタレル。ウンコタレ」とはやす。マコのダシとネギだけの関西風味のうどんは人気がなかった。

気さくな大山家にはいつも人の出入りがあった。旅行中の祖母の代わりに占いをするベビーシッターが泊まり込んだ。占い好きなマコは早速見てもらう。
「運のいい方です。引き込まれて、吸い込まれてしまいそうな人気があります」
 みんなウソだ。

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by mhara21 | 2006-04-07 15:19 | 後追い日記81年 | Comments(4)

後追い日記81年5・暖炉&大山夫妻

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    ↑大山家の暖炉

#暖炉

 ヴァンクーヴァーには、見事な桜の木があった。八重桜が多い。桜は一重が好きだ。

 翌日、桜吹雪の中を大山氏の勤務先UBC(ブリティッシュコロンビア大学)のパーティーに出かけた。
 暖炉で薪が燃えている。その豪華なこと。すり寄って眺める。日本の昔の家で親子6人と祖母が狭い燃やし口で風呂沸かしをしていた時とは、格段の違いの炎と木の香り。モミ、ユーカリ、マツを混ぜた匂いが暖かく顔にかかる。

 ダウンタウンでトラベラーズチェック100ドルを崩す。崩すに当たってテーブル用の紙製のクロスを買う。必要のないものを買い込む癖は、既にしっかりと持っていた。チューリップ柄がかわいい紙クロスは、日本に送り、机の中で「思い出」として眠っている。
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 レコード店ではグールドのレコード・デビュー25周年を記念して発売されたレコードを見つける。
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E.シュワルツコップとの共演や珍しいスカルラッティのソナタも入っている。ジャケットには、グールドが得意とする「演劇」のための役者がいた。 カナダで聴くグールドのおふざけ、黒皮ジャンパーを着たアンちゃんやニーチェのなりそこないのような人。
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 グールドが変装していたのだけれど、マコは長い間気づかなかった。写真の手や指で、マコはようやくグールドが遊んでいるとわかる始末であった。
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#大山夫妻
「俺、その人好かないよ。お前の兄貴もグールドを聴くとイライラすると言っていたぞ」
「いつもいつも、それをかけるの止めてくれねぇかな」

 大山氏はナナ・ムスクーリの「Season in the Sun (太陽の中の季節)」が好きでいつも聴いていた。大山氏とマコは鬱病という一致点があった。

「この人、これから自殺するんだよ」
歌の中に出てくる人のことを言っているのだろう。

 マコはシルビア・プラスの詩が好き。死にたくなる人の方が理解しやすい。

 ある日、大山氏は、飛行機に乗せてくれた。
 セスナが空に舞い上がる。
 操縦している大山氏がここで手を離すと死ぬことができるのに。
しかし無事にサン・ジュアン島に着く。ヴァニラ蘭の天然の香りが漂うアイスクリームをおいしく食べた。

 帰宅すると奥さんが
「あの島には何度も行ったけれどアイスクリームを食べたことはないわ」
 マコは悪いことをした気分になった。

 ヴァンクーヴァーの自然は見事の一言だ。バーナビ市の家の近所を歩いただけでも自然公園にいるようだった。
 シアーズやスーパーマーケットにも出かけて、カナダ生活の第1歩を楽しんだ。何せ大きい。店も自然も。



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by mhara21 | 2006-04-06 17:16 | 後追い日記81年 | Comments(7)