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13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
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不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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カテゴリ:後追い日記81年( 69 )

後追い日記81年27・グレン・グールドからの贈り物 1

後追い日記81年を1から読む

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#プレゼント

「グールドさんからあなたへのレコードを預かっているわ。彼の世話をしている男性がわが家に届けたの。あいにく私は外出中だったのよ。グールドは今、とても忙しくてあなたに会えないって。マコを普通のグールドファンと間違えている。どうやってその事を伝えたらよいだろう? 手紙を書いてみようか? と話しているのよ」

 フランシスから聞いたグールドの答えは予想通り。そんなことは分かっている。たとえ暇でも会わないでしょう。

 サウスウッドの近くに用事が出来たので、約束の日時とは違うけれど我慢できずにスミス家に立ち寄る。寝ていたロバートを起こす事になり恐縮してしまった。

 かくてマコがグールドの部屋からそのまま届いたようなサイン入りレコード5枚のプレゼントを手にしたのは10月4日。その1年後にグールドは亡くなったのだ。

 宝物のレコードを抱え、ダンダス通りまで地下鉄に乗り、路面電車に乗り換えて、キラキラするオンタリオ湖にレコードの事を伝える。

 12年間グールドの世話をしていたレイ・ロバーツ氏によると、グールドは迷信的習慣で、自分のレコードを人にあげないようにしていたという。
グールドが自分のレコードを殆ど聴かないので、ロバーツ氏が「ちょうだい」と言うと「今日はいい日じゃないから」と断わられたそうだ。

 マコへのプレゼントは、非売品のワーグーナー作曲グールド編曲の「ニュールンベルクのマイスタジンガー第1幕の前奏曲」と「神々のたそがれ」から「ジークフリートの牧歌」にサインをしたものと、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲のレコードであった。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲のレコード(4枚組ー表紙は一番上の写真)


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ケースの中は左右とも解説書

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For Promotion Only
Ownership Reserved by CBS.
Sale Is Unlawful と書いてある。
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サイン入りレコードを見る グレン・グールドからの贈り物 2 へ










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by mhara21 | 2006-05-07 01:51 | 後追い日記81年 | Comments(18)

後追い日記81年26・イミグレーション パート2

後追い日記81年を1から読む

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#イミグレーション パート2

 10月1日、イミグレーションの日。待合室には係官が順番が来た人の名前を呼びに自分の小さな事務室から出てくる。
 その中でこの人に当たるといいなぁと思っていた。だから彼から名前を呼ばれた時は嬉しかった。女性より男性の方が遥かにやり易いと聞いていたけれど、これ程スムーズにヴィザが出るとは。
何も話さないのに向こうから「8ヵ月でどうでしょうか?」と82年5月15日までのスタンプを押した。

イミグレーションには最初からの記録が保管されていると後に知ったけれど、この係官は気前がよかったのだろう。

 イミグレーションから躍り出るとデパートに直行。越冬用に中国製のダウンのコートを買う。26ドルもする鹿皮の手袋も買う。喜びも悲しみも買い物で表現する愚かな人間。
嬉しさの余りダウンコートを着て街を歩いた。路面電車に乗ってもジロジロと見る人はいない。外国人は人の目や顔をジーっと見るが、人と違ったことをしている人間に好奇の目を向ける人は少ない。



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by mhara21 | 2006-05-05 09:50 | 後追い日記81年 | Comments(0)

後追い日記81年25・トロントあれこれ 

後追い日記81年を1から読む

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#トロントあれこれ 

語学学校のハンザのコースは1クラスだけ。
懐かしい級友のマルセイラはノースヨーク市で住み込みのベビーシッターをしていた。
「いつも一緒に寝る子はかわいい。母親なんてとんでもない職業だわよ」と結婚に憧れるマコを戒めてた。

ハンザ近くの素敵な建物に入るとレイモンド・モリヤマ設計のメトロポリタン図書館だった。
2Fで懐かしいレコードを聞くことが出来た。

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動物園、サイエンスセンター、オンタリオプレイス、どこでも1人で出かけた。

市庁舎では生きている馬に見とれていると、「ハーイ」と友好的な声が上から降ってきた。見上げると当り前だけど人が乗っていた。人間に気付かないで夢中で馬を眺めていたのだ。
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トロントはおいしくて冷たい水が出る。
茹でた2束のそうめんを水にさらす時、川で洗う白い着物のようだった。
トロントの野菜は少しアクが強く、果物も大まかに売られていた。


1人暮らしをすると自分の世話をするのに時間がかかる。
3食きちんと「食べさせる」のはなかなかの仕事だった。

台所は北側で、西に面していた。裏庭は広く、その向こうに小さな家みたいな納屋があった。台所の横のドア付き階段が、私の部屋に近かったのでよく利用した。階段の下は物入れであったが、ネズミが出て大切な日本食品を食い荒らされた。
他の下宿でも服をやられた。古い家ではあることらしく、都市部に住んでいる割には田舎生活が楽しめた。


9月は、アレルギーの状態を良くするために、練習を減らして他の事に気が向くように動いた結果、9日練習し、平均すると毎日21分の稽古となった。症状の1つである発疹は英語で rash という。日本での英会話では覚える機会のない病気の単語だった。

この下宿での静かな生活も台所改造でテンヤワンヤになるのだ。
何日かは料理が出来ず、家は古いチリや埃りで汚なくなった。

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  ↑写真は現在のメトロポリタン図書館



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by mhara21 | 2006-05-04 10:51 | 後追い日記81年 | Comments(1)

後追い日記81年24・マコの日記

後追い日記81年を1から読む

#マコの日記 8月30日

フランシスに貸してもらった本にグールドの父上ラッセル・ハーバードの名が載っていたので、電話帳で住所を調べて探検に行った。

エグリントンの駅から、東行きのバスに乗ると、見晴しのよい丘を下り、グレンがスタジオを持っているホテルの手前を折れて進む。

地図を片手にバスを降り、61 Norden Cresentをすぐに見つけた。ここなら息子の仕事場まで車で10分だ。お父さんは、離れている時も息子の仕事を見守りたいから、再婚する時、グールドの仕事場に近い場所に家を持ったのだろう。

地下鉄エグリントン駅に直結した市内市外へのバスターミナルの情景は子供の頃、父に買ってもらった本にある写真と同じでびっくり。
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(1966年6月講談社版「世界の文化地理」カナダ・メキシコ・キューバから)

国ごとに人々の生活や歴史を紹介した全集物で、本を眺めては世界旅行をしていた。ユリで有名な沖永良部島の球根が「イースターリリー」として輸出されることや、食堂の写真では恋人たちが顔を寄せあって、真剣に夕食のメニューを見ている写真があり、こう説明があった。
「紙ナプキンのレストランなら、若い2人でも予算の心配がない」

東洋の田舎者の私は金髪で柿色のスーツを着ている美人なら、お金持ちだと思ってしまう。この説明で、外国の人々の生活や人間の本当の匂いを感じた。

グールドという一文字もなかった「世界の文化地理」であった。そのことが物足りなくて、こうしてカナダまで出しゃばっている。

玄関のベルを押す勇気がなかった。ボーッとしていると近所の人が「何かご用ですか?」と声をかけてきた。
「グールドの父上のご近所でうらやましい」と言いたかった。

能無しの特派員風情で、下宿に戻る。



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by mhara21 | 2006-05-03 10:26 | 後追い日記81年 | Comments(0)

後追い日記81年23・移民プログラム

後追い日記81年を1から読む

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#移民プログラム

薬を飲み、医者に行き、8月が過ぎていく。

ピアノが弾けないので高校の校舎で行われる夜間の移民の為の英語クラスに行こうと学校に問い合わせる。
「時間に来て、クラスに入ってください」

いわれた通りに出かけて、授業が始まっている適当なクラスに飛び込む。
インド人の先生に司会をするように言われた。

授業が済むとユーゴスラビアから来た兄妹が寄って来る。
「私の国にあなたそっくりな人がいる。世界にはそっくりな人が3人いるっていうのは本当ね。髪型、アゴ、歯まで瓜二つ。声や話し方まで似ている」
兄さんもしきりにうなづいていた。

トロントは素晴しい。ヴァンクーヴァーはトロントより日本人の旅行者が多いので、彼らが移民のためのプログラムを利用しないように厳しい対応をしている。
トロントの移民のコースでは、上級クラスに上がった時、先生は「トロントにようこそ。どの位トロントに住んでいますか?」と尋ねただけ。

ユーゴ人の兄妹も夏だけトロントにいた旅行者。その後起こったユーゴの民族紛争のニュースに兄妹の無事が気になる。
学校ではポルトガル人、ヴェトナム人と知り合った。
 
昼間は医者に行くか、寝ているか、少し練習出来る時はピアノを弾いて、家で夕食を済ませる。7時頃市電に乗って明るいオンタリオ湖を眺めながらダンダスウエスト通りに着く。地下鉄に乗り換えてクリスティで降りて高校に行く。そんな生活でもトロントに迎え入れられた幸せで一杯。

新しい国に暮らし始めると、到着後すぐにショックを感じるタイプAは、可能であれば帰国する。タイプBは快適に馴染んで過ごせるが、数年経ったところでAとは違ったカルチャーショックを経験する。Bの戸惑いは深刻である。マコはBタイプだった。

7月28日~8月28日の練習時間は43、4分。弾けたのは32日のうち19日。
昔からピアノが弾けた日はとっておきの日だった。○を書いて1つの丸が30分と塗りつぶした表を壁に貼るのも楽しみだった。



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by mhara21 | 2006-05-02 09:34 | 後追い日記81年 | Comments(1)

後追い日記81年22・アレルギー

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#アレルギー

広い教会堂のステンドグラスのある薄暗い部屋はお化けが出てきそうで少し怖い。
練習に打ち込んだ3日目にアレルギー発生。顔を少し下に向けただけでジンジンした。何かやろうとするとすぐにこれだ。

小学生の頃、1日学校へ行くと1日休み、珍しく2日続けて行くと、その後3日間休んだ。あの時と体力が変わっていない。
中学生になって3日続けて通学したら全身に昼夜の別なくジンマシンが出て、夜も眠れなかった。
ある霊能者が「先祖の墓が草むしている状態を表わしていた」と解釈したが、今では先祖の墓はきれいになっているはずである。

せっかく練習の手はずが整ったのに‥‥。
下宿でポツンと寝ていると、小学生の頃、母が作ってくれた座布団が浮かんだ。灰色のサージのスカートをほどき、四角の布と小さな長方形8本のハギレにする。大きな布の角のところに「たんぽぽ」「スミレ」「チューリップ」の刺繍。チューリップは2色、スミレの花芯には濃い黄色。「たんぽぽ」はすこぶるグーなデザインで花の姿を見ていると綿毛が飛びそう。最後の一角には、母が創造した花を刺した。
彩りと才知、勇気と愛おしさをデザインして、マコの人生の花道を心豊かに表現した。

少し太めの赤の刺繍糸でレースを編んで布を繋ぎ合わせた学校用の座布団は、マコの代わりに学校で授業を受けてた。
ときどき登校すると級友が
「原さんの座布団、掃除で机と椅子を動かす時、いつも落ちるねん。そやから誰かが拾って、又椅子の上に乗せてるよ」
給食のパンは一番近い同級生がマーガリンと共にわら半紙に包んで届けてくれた。
座布団は童話本。価値観は「矜持心」。
「体が悪くても生き抜く、誇りをお持ちなさい」。

マコの母は、ヘリオトロープの匂い。とてもお茶目。グールドの事を「グレグルちゃん」「グルチッチ」と呼び、「かわいいわね」「得意になっている」と同級生のように話す。

俗気のない人で、蝋梅(winter sweet)の花の香りが尼寺の障子に移るような趣があった。花を愛し、普通なら花が咲かない様な小さなチューリップの球根から、小指の先の様な花を咲かせていた。亡くなってからも、庭の思いも掛けない所でチューリップが自然に咲く。原種のサイズである。声は春先のヒバリとウグイスの二重唱で、果物でいうとやさしく柔らかで芯がしっかりとしたクリームと肌色ピンクの「桃」だった。

子供がフランキンセンスのような自立した人に育つのを夢とした母が、半年先にガンで亡くなると知らされた娘たちは「眼鏡は買ったばかりで歯も直したのに元が取れない」と言いあった。

母は、「家の中の仕事が出来ると人の幸せに役立つ」とマコに料理を仕込んだ。
50〜60の低血圧で学校にいけないマコがやっと動けるようになる夕方、お使いに出した。
「1日に1度は外に出なければいけないよ」

それでマコは、級友たちに見とがめられる。
「病気じゃないのに学校に来ないのね」

「あなたは、学校に行ける程元気じゃないだけ。体調が少しでもいい時に仕事をすることの方が大切なの」
これが級友や稀に出くわす先生の驚きに閉口するマコへの言葉。


母の作った教会用バッグ2つ

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by mhara21 | 2006-05-01 09:39 | 後追い日記81年 | Comments(2)

後追い日記81年21・教 会

後追い日記81年を1から読む

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#教 会

「あなたってピアノが好きな癖に、よく弾かなくて平気ね」と家主の梁夫人。
「子供の時から弾けないのよ。練習は体にはよくないの」

「弾きたいでしょう。この通りにピアノの先生が住んでいるわ。
教会の前辺りの家。行ってピアノを貸してもらえないか聞いてみなさいよ」

教えてもらったピアノの先生の家にはよく見ると看板が出ていた。 
マコが習いに来たのではなくピアノを借りたいのだと分かると、
「私のピアノは貸さないけれど、前の教会の人達なら貸すかもしれないわ。
電話番号を教えてあげる」

牧師さんは、「その用件ならボードンさん達にやってもらおう」と教会員の電話を教えてくれた。
「伝えておくから、今度の日曜日の礼拝が済む頃に教会においでなさい」

「自分の説教を聞きに礼拝に来なさい」と言わないところがハナハダご立派であった。



日曜日に教会に行くと美しい女性が、顔を見るなり
「マコ? マーサです。これは教会の入口の鍵です。週日の昼間ならいつ使ってもいいそうです。私はコーワンの東の通りに住んでいるの。よかったらそこまで一緒に帰らない?」

マーサのお腹もパンパンだった。
 トロントに着いてから男の子の母となる女性3人と知り合った。

「8月に生まれるのよ。あなたトロントで何をしているの?」 
「グールドって知っている?」 
「勿論よ」
そこでお決まりのお話をした。

ピアノができたので、次は楽譜だ。
電話帳をめくるが、事務系の頭を持たないマコは索引は苦手。
多分見当違いな部署だと思いながらトロント大学のどこかに掛けてみた。
電話に出た女性はこの上なく親切で「ここは楽譜の店ではないけれど‥‥」と言いながら楽譜専門店を教えた。

人間には大きく分けて2種類のタイプがある。
比較されるのは、モントリオールへ行く時、番号案内が分からずパンフレットに掲載されていたYWCAに電話をしてYMCAの連絡先を聞いたときのこと。

電話口の女性は「ここはYWCAでYMCAの電話番号を教えるところではありません」
と怒った。そしてツンケンと「YWCAにYMCAの番号を聞くなんてとんでもないことだ」と言った。
 
田中希代子のレコードで繰り返し聞いたドビュッシーの「ベルガマスク組曲」を買いに行く。ヤング通りの細長い店は、楽譜店カドヤを思い出させた。

そして大嵐の日、気味悪いながら教会に行く。母が亡くなってちょうど1年目の7月28日、練習を始める。
 
翌29日は、ロンドンからのロイヤルウエディングの生中継を夢中で眺めた。



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by mhara21 | 2006-04-30 12:58 | 後追い日記81年 | Comments(1)

<21世紀の追記>

<21世紀の追記>

トロントのグールド参りに今や世界中から人が押し寄せる。
ファンはもうあのサウスウッド32番地の家に入ることはできない。
トロント時代のあの家は、まるで音楽の神話のように思えた。
よく、まわりを歩いて散歩もした。

1980年代のグールドの生家では、フランシスのやさしい笑顔が私を迎えてくれた。
2001年に日本のTV番組で沖縄の方言で「pureな人」という意味の「ちゅらさん」が放送された。
その主題歌は、kiroroの歌った「Best Friend」。
その歌詞を書いてフランシスへの「感謝の気持ち」を伝えたい。

「Best Friend」 作詞・作曲 玉城千春
  もう大丈夫心配ないと  泣きそうな私の側で
  いつも変わらない笑顔で  ささやいてくれた
  まだまだまだ  やれるよ  だっていつでも輝いている
  時には急ぎすぎて  見失うこともあるよ  仕方ない
  ずっと見守っているからって笑顔で
  いつものように抱きしめた
  あなたの笑顔に  何度助けられただろう
  ありがとう  ありがとう  Best Friend



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by mhara21 | 2006-04-23 11:28 | 後追い日記81年 | Comments(1)

後追い日記81年20・グールドハウス

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#グールドハウス 

7月26日ロバート・スミス氏から電話。
「1週間前男の子が生まれた。とても幸せだ。今から遊びに来ませんか?」

フランシスは産後7日目で、彼女の実母ケイが手伝いに来ていた。

マコにはグールドハウスに入れるだけでも喜びだった。
裏庭でマトンを焼く。完成したテラスの上で夕食だ。
ロバートは家の中でかいがいしく働く。食事の用意、子供の世話などフル回転だった。
デザートは家の中で頂く事になった。小さなアイスクリームに生の桃が添えてある。スミス家らしい知的なデザート。

「戦後、ヨーロッパの人は新しい国へ行きたいという気持ちを強く持つようになりました。私たちもそうだったの。夫も私も一言も英語が話せないのに、子供4人と移住して来たの。夫は毎日、『仕事はありませんか?』と工場を廻り続けて‥‥」

ケイの話に「あー、又あの話か‥‥」とスミス夫妻は表情を作った。

「日本人がグールドのレコードを1番買っていると読んだことがある」
「最初の頃は一部の人にしか認められなくて、レコードはよく廃盤になりました。66年に録音したストコフスキーの指揮でベートーヴェンの「皇帝」が日本で発売後、1968年頃、一般に知られ、ようやく人気が出ました」

「グレンはとてもお母さんに近くて、お父さんは再婚すべきではないと強く思っていた。それで父親が再婚してから仲が悪くなり、いつも一緒に食べていたクリスマスディナーも止めてしまった。食べるといっても生活の時間帯が違っているからグレンは、何も食べないディナーだったそうよ」

グールドの父親が再婚したから、マコは今、このスミス一家と話をしているのだ。
トロントに着いた日の事からサウスウッドに来た日の事まで説明する。

「最初、乳母車を見た時、グールド家は引っ越したのだと思った。赤いシャツの女の人を見た時はグールドのお姉さんかと思ったの」
「あれはロバートのお母さんよ」

ロバートは話術に優れ、マコに質問を浴びせかけた。
「日本での離婚は?」
「日本の経済は?」
おぼつかない英語で答え、気が付くとテーブルクロスをクルクル廻し、左へ引っぱっていた。フランシスは勢いよく曲がりを直した。

3人はマコがキャラバンに行ったと聞いてびっくり。
「マコはインディペンダントだ」
「キャラバンで世界を旅行したのね」
 (キャラバンに行くと世界50以上の民族のパビリオンが見られる)
「なんでも積極的に自分からこなそうとするのね。 グールドに会えたら、本当にいいのに」
「それにカメラを持っていない日本人なんて私は初めてよ」
「全くグールドに会いにきたのに」
「マコはきっと、頭で写真取って、覚えているのよ」とフランシスの母親ケイ。
「グールドに会えたら、何を証拠に人に会えたと言うの?」

「私は人に話すのが目的でグールドに会いに来たのではないわ」
マコは、不器用で人がなんでもなく出来ることができなかっただけ。カメラは、面倒臭かった。第一、持ち歩くのが邪魔だ。ケイの言うとおり、頭は、詰め込みすぎで重い。ノイローゼの大家。

フランシスが生まれたての次男を抱いて2階から降りて来た。
まずロバートが抱いて、愛情一杯の挨拶を赤ん坊に送る。
フロアースタンドのそばで新生児に母乳をあげるフランシスと寄り添う長男は、フェルメールの名画。

何を見ても、どの空間も、旧グールド家のざわめきや生活状況がダブってしまう。グールドは母乳で育ったのだろうか?
グールドハウスはギリシャ神話の音楽の神様の童話的神殿だったのだ。そこには、ギリシャ神話のような音楽の伝説と神々に祝福されたピアノを弾いた音楽家を生んだ女性のピアノがある。
グールドの母親のチッカリングは、音の粒の揃った、鍵盤が重過ぎも軽過ぎもせず、弾き易いピアノだった。

「私、2階に上がります。又、遊びに来てピアノを弾いてね」
 2代目のグールドハウスの持ち主も幸せ一杯の人達のようだ。

 涼やかに風の鳴る坂道サウスウッドを下る。
グールドも見慣れた木の葉が、ペパーミントのきらめきをマコの肌に送っている。病気の人でカナダに来たいという夢を持っている人がいるなら、カナダに来れるようにと祈ってあげたい。

 映画のシーンのようなサウスウッドでの数時間、顔も姿も悪い女優が、ピアノも英語も下手なのに、シナリオと舞台セットは最高の日を終えた。



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by mhara21 | 2006-04-23 11:24 | 後追い日記81年 | Comments(0)

後追い日記81年19・オランダ生まれの天使

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#オランダ生まれの天使

7月11日、オキーフセンターで「白鳥の湖」を見た後、待ち切れずにスミス家を訪問する。急に行くのは悪かったけれど、電話ではとても尋ねにくかった。裏のテラスで音がしていた。裏に廻ると出来上がったテラスの所に美しい女性がいた。

「こんにちわ」
「マコ?」
その声は既に何か安心していい響きがあった。
「あなたは奥さんですか?」
夫のほうを見やりながら「そうです」とフランシスは感慨深げに答える。
仲の良いご夫婦だと思った。

「グールドのお父さんに電話していただけましたか?」
「彼は病気で、電話を掛けた時に話を切り出せなかった」とロバート。

「私、これから家の中を見せてあげるわ。いらっしゃい」
と勢いよく立ち上がったフランシスは、大きなお腹をしていた。もうすぐ子供がこの世に生まれてくるのだ。

部屋の中は美しかった。慎ましやかな広さの部屋が秘やかに並んでいて、童話的なムードだった。階段が素敵。2階に行く。

「ここよ、ここがグレンの部屋だったのよ」
狭い部屋で、大きなグールドが、住んでいたとは思えなかった。横に1部屋あった。それから夫妻の寝室。その奥には勉強部屋。

「私たちは前にこの通りの南の家に住んでいたの。弁護士の主人はベッドルーム以外にもう1部屋、書斎が欲しかった。グールドさんも再婚してこの家を私たちに売りたがっていたから、それでこの家を買うことに。お父さんにしたら、全く知らない人には家を売る気にはなれないのね。
息子にあれだけのことをしている父親は、いないもの。この家は、息子との思い出でいっぱいよ」

「ご主人は弁護士なの?」
「ええクイーン通りの会社の弁護士よ」

「それで分かったわ。トロントに来る前ヴァンクーヴァーに1ヵ月半いたけれど、その頃からトロントに行ったら弁護士に会うと思っていたの」

「どうして?」 
「ただ感じていたの」

フランシスは優しく笑った。5人姉妹の下から2番目で人慣れしているせいか、利発で魅力的な女性だ。

「長いこと病気をして、グールドが私の生きがいだった。いつかカナダに来て彼と会うことを支えに生きて来たの」
相手はそれ以上聞かなかった。 

「お腹 重くない?」
「そりゃもう重いけれど、何より赤ん坊がよく動くの。もうすぐ生まれるわ」

階上の部屋の案内が済んだフランシスに思わず握手を求めた。握手というよりは手をつかみにいくような迫力だった。

「こんなによくしていただいてありがとう。お礼も言えない位に感動しています。ご親切をありがとう」

「どういたしまして。この家には高齢の父上が再婚した時に持って行けなかった彼の本やレコードがあるのよ。グールドは人嫌いではないけれど、ファンにまとわり付かれるのが煩わしいのよ。グールドのテレビ出演は、彼が恥ずかしがり屋でない証拠よ」

「それにしてもあの変わった人間関係の在り方は、一人っ子のせいではないかしらね」

言葉の問題が悔しい。母国語であれば楽しい話が出来る人達なのに、思っていることを表現出来ず、焦ってしまう。
日本語で話せても、相手が内容に興味がなければ話は通じないのだけれど‥。
マコの英語力では、グールドに会えてもコミュニケートは無理。

下の部屋にはピアノがあった。
「弾く? 彼の母親のフローラのピアノよ」


アクションの素晴しいピアノだった。勿論、グールドも弾いたであろう。
ピアノを弾きながら右手の本棚を見るとその一番上には、古ぼけた分厚いSPのアルトゥ−ル・シュナーベルのベートーヴェンピアノソナタ全集。

ラジオ放送でグールドのベートーヴェンソナタを聴いていた母が、「グールドはシュナベールの真似をしている。シュナーベルのファンに違いない」と笑い出したことがあった。
母の思った通りだった。このSPは母が10代の頃、台北でお兄さんと聴いたレコードと同じ。やはりこの家にあるのだ。

ロバートはテラス作りの仕上げをしていた。先月はご主人に、そして今回は夫人に最高のもてなしを受けた。

「あのピアノはグレンの母親のものだよ」
「奥さんからお聞きしました」

「お父さんが、この家を売る時に持っていけなくて、買わないかと声をかけたんだ」
「あれはチッカリンですね」
「そう。この家にはグールドさんたちの残したものが、かなりある。また見にいらっしゃい。ピアノなかなかいい音がしていたよ」



「よいテラスになってきましたね」
お別れの挨拶をして、一層膨らんだ夢と共にサウスウッドの丘を下った。
 
下宿に戻ると、なぜか強烈にグールドの母のフローレンスさんのことばかり思い続けた。
−3歳よりアマチュア・ピアニストの母にピアノを習い−  というレコードのジャケット裏の文が目の前に出てくる。
 −あの家なの?グールドが修行したのは?−
なぜかフローレンスさんとフランシスが重なる。

フランシスは、1953年オランダ生まれの女性。家族の夢と共にカナダに渡って来た。カナダ行きの船に乗っている賢そうな子供の時の写真を見せてもらったことがある。

快活でお話が好きで、後の付き合いの中で時々、「あなたはさっきから私の話をよく聞いていないわね。今、私が何と言ったか、最後の所言ってごらん!」とまるで姉妹の会話のようであった。



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by mhara21 | 2006-04-23 11:21 | 後追い日記81年 | Comments(2)