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13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
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☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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カテゴリ:後追い日記81年( 69 )

My Life with Glenn Gould-1981 # Prologue Departure

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Other English Version ← Please click here.

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# Prologue Departure

“Mako, take care of yourself!”
“You properly finished with the dentist, right?” 
“Mako, that’s okay if you come back home before long.”

My brother and two sisters are standing at the bullet train platform, straining to keep happy faces. They have similar smiles, similar gesticulation. As I am waving frantically to them, I can see them through the train window disappearing to the right, like a flow of contact prints. I settle down at my seat and breathe a sigh of relief. Sitting roundly next to me is my sister who is three years older than me.

Protected and loved by my family. This was my everything – everything I, a 28-year old Masako, the author of this diary, had. I am leaving Japan, the country so comfortable to live in, and going to Canada where there is almost no one I know.

From time to time, soft pink appears like markers in the windows on our left and right.
“Mr. Gould, this is Japanese national flower!”
Someday, I would love to see cherry blossoms together with Gould. This has been my dream. I am very sad I will miss out on cherry blossoms this year.
 
My life hasn’t been easy. Many of my years have been filled with days without sleep because of fevers and acute pains in my body ever since convulsions started from undetermined cause when I was eight. In addition to convulsions, I’ve suffered from polyneuritis caused by the vitamin B1 deficiency and symptoms resembling cardiac rheumatism. I am not able to take baths because temperature differences bring about convulsions. My mum and I have spent enormous amount of time and money on doctors and medical treatments.

In this suffering of mine, I found strength and support in Gould’s music. And, even when I could virtually practice no piano, Bach Partitas played by Gould had been my whole world.

When I was 15, my mum’s piano teacher suggested, “Why don’t you try to play the Goldberg Variations?”
At the time, I decided I had to make contact with Gould in one way or another, and I concentrated extreme energy and strength into practicing that music pieces. However, what a shock it was when I lost the ability to play because – due to quack treatments I was subjected to – I would lose feeling in my arms and fingers soon after starting the practice.

I am waiting to board the plane at Narita airport. As the airport is basking in the sunset, spirits from the Goldberg Variations are accompanying me. I didn’t even notice that the melody of the Variations that I’d shut out from my heart is flowing around me.

The fragrance of Spanish jasmine was drifting around us like the joy of afternoon sunlight in anticipation of moonrise. Gould’s demonic performances match well the moment of twilight (the witching hour). I wonder if what Freud called “libido” is behind my need to go to Canada.
From chest and above, I feel like a pure girl, but it feels like completely different energy is working in my legs. I often kill boredom with recognizing bouts of smells that emanate from different parts of my body.
When it comes to scents, one of my favourite poets Takuji Ōte left many poems whose main theme is the special sense of smell. I wonder if there are other poets like Takuji Ōte who were relegated to obscurity.
Takuji Ōte had often smelled the scents on his hands, and for this he had been nicknamed “the Bear”.

But, sure enough, I hear that voice.
“Okay, come out. Get well and come to my country one day. This is Canadian nature, its autumn colours, its snow. Come to my country and see the flow of its white clouds. You can hear the Goldberg here. Come and waltz with me.”
I am going to meet Glenn Gould, the person whose piano had made me forget my illnesses.

This spring, Gould was planning to start re-recording of the Goldberg Variations. This second Goldberg turned for Gould and his fans into Gould’s parting words before his departure to afterlife.

                                                               Tranlated by Saiko



Japanese version of this page ・My lLife with Glenn Gould-1981年



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by mhara21 | 2017-06-18 11:03 | 後追い日記81年 | Comments(0)

後追い日記81年44・カナダの暖房

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#カナダの暖房

前の下宿から転送された郵便にクリスマスカードが数枚入っていた。カードを飾り、冷凍庫の中の冷凍食品を食べ、時々上の階のお風呂に入り、この家での最後の仕事、ハウスシッティングを楽しむ。
けちん坊のゴドウスキー家も暖房についてはきちんとしていた。
出かける前には
「この国で冬の暖房器の故障は死を意味する位大変なことだから、何かあったらすぐに連絡するように」

ベビーシッターを凍死にさせるのが怖かったのだろう。トロントでは冬の間、長時間家を離れる時も最低限の暖房はつけておくそうだ。その方が家の痛みが少なく家具にも良いとのこと。
下宿先によっては、家人が外出する昼間は、下宿人の為に暖房するのが勿体なくて、温度を下げる家主もいた。

引っ越し直前に日本から兄が電話してきた。
「もうグールドはいい加減に止めたら」
「いやよ」
久し振りの声だったが、懐かしいと思わなかった。

引っ越しの手伝いに来た梁氏が、荷を運び出す時
「行き先は家主に伝えてあるの?」
「親類の人に教えている」
「それは良かった。でないと物を盗んだとか、言われっ放しになるよ。行き先を教えて出ることは正々堂々とこの家を離れた証明になるんだ」

世の中には経験して見なければ分からない事が沢山ある。行き先を教えて出ることに重要な意味があるとは。


#81年12月のグールド 

グレン・グールドはその頃、とても忙しく仕事をしていた。手の事でピアノが全く弾けない状態から解放されると、この世での日々が短いのを知っていたかのようにフル回転。
その中のひとつに12月のラジオ朗読がある。

グールドは、夏目漱石の「草枕」を愛読し、第1章の一部を朗読している。しかしマコにそのラジオ放送のことを教えてくれる人はいなかった。
 
朗読の前にグールドは語る。
「・・・・『草枕』は、いろいろな要素を含んでいますが、特に思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観といった対立や、“モダニズム”のはらむ危険をあつかっています。私が思うに、これは20世紀小説の最高傑作のひとつです・・・・・」
そして翌年1月、地上のグールドに一番近く接近する日がやってきた。



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by mhara21 | 2006-05-28 14:28 | 後追い日記81年 | Comments(1)

後追い日記81年43・最後の日々@ゴドウスキー家

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#ゴドウスキー家での最後の日々

マコは、雪をボーッと見ていた。生まれ育った関西地方の12月は、さざんかの白・ピンク・赤・薄紫の花が一重・八重にふんだんに咲く。

雪を描くのにまずキャンバスをピンクに塗って乾かしてから白を塗ると暖かそうな雪になる。ゴッホはアルル時代に黄色が引き立つようにあまり使わない薬をキャンバスの下塗りに使った。

歌川広重は「東海道五拾三次」の「亀山・雪晴」で雪に埋まった家の上にバラ色の空を描いている。日本が恋しい私は、ひとしきり広重の「鞠子」の雪景色の中に我身を置いた。

藍灰色の空から霏々として雪が舞い落ちる絵の中に入ってみても、雪を思わすグールドのシベリウスの演奏に雪の匂いをさがしている。一瞬の日本恋しさは、すぐに消えた。

 ---日本には帰りたくない。いいことなんか何もなかった。
日本では、精神的窮状に陥るとグールドの音楽が救護所(シェルター)、グールド音楽を酸素吸入のように吸って生きてきた。
グールドに会って、そばに生きる日を生き甲斐に頑張ってきたのだ。逢えたら、日本に帰るような生き方はしたくない。できることならカナダにズーッと暮らしていたい。

バラの香りに静かな田園の朝景色を連想するように、白一色の初めての冬は、マコの想像力を掻き立てた。
ベルベットの雪の上にラヴェンダーとカモミールとネロリの香りがあるピアノの音。あるいはゴッホの黄色の太陽を浴び、ピンクや黄色に染まる雪。埋もれつくす雪の世界は、マコの好きなシリウス(天狼星)の白が、天から降ってくるようだった。雪の下に色を探したくなる。
母から、「あなたのピンク」「あなたの黄色」と似合う色を教えられた思い出がある。なぜか大きなため息が出た。



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by mhara21 | 2006-05-27 15:46 | 後追い日記81年 | Comments(0)

後追い日記81年42・下宿探し

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#下宿探し

厳寒の中、家を探すのは大変だった。
バス停で駅行きのバスがようやく来た時、嬉しさの余りピョンとはねた。マコは嬉しい時、ダチョウのように歩いてジャンプする癖がある。
雪氷の上で跳ねたので滑って転び、頭を打ちつけた。待合小屋で見ていた人が目を剥いていた。

世にも下品な不動産屋の夫婦に出会い、お化け屋敷のような家に男女6人が住んでいて、まだ貸し間があるというところに連れて行かれた。

1軒はサウスウッドの近くの個人広告を見て出向いた。絵のよう美しい地区。家々はしっとりと雪の中に知性高く並ぶ。広告主の喋り方はお金に細かそう。台所は取り澄ましていて簡単なスープとサンドウィッチしか作れない風情。

英語の勉強になるかしらと思ったけれど、家に辿り着いて自分の顔を見てびっくり。
慣れない空気を吸って粘膜がどうかしたのか、山程鼻くそが押し出されている。
そう言えば彼女は私の顔をまじまじ眺めていたような。辛い寒さに肌はしびれ切って感覚がなく、分からなかった。
水臭い。親切な人なら教えてくれるだろうに。気さくでない人と暮らすのは嫌だ。

それにサウスウッド近くに暮らせば、スミス家を頼る気持ちが出ないかと心配。結局オシングトンの地下鉄駅から近いのと台所が使いやすそうなので中国人の家に決めた。



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by mhara21 | 2006-05-23 11:34 | 後追い日記81年 | Comments(3)

後追い日記81年41  ・チャンス到来

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#チャンス到来

ゴドウスキー家の人々がいなくなった。
グールドにクリスマスカードを出してやっともらったレコードのお礼を言う。
すぐに引っ越しの準備を始める。不動産屋や新聞広告を調べて次々に家を見に行く。

その合間に、夕食を作り、前の家主梁夫婦と友人を招いた。 
彼らは探検に来たようにはしゃいでいた。
梁氏は食事の時、
「僕達がマコの引っ越しの荷物を運び込んだ時、あの人は座り込んで見ていただろう? 変な人だなぁ、どうして手伝わないのかと思ったよ」
「成金趣味の奥様がそんな事するはずないでしょ。夫人はすぐあなたの事を、背の高い格好いい人は何人?と聞いたわよ。『中国人』だというと『ポマードをぬっていないし、眼鏡も掛けていない珍しい中国人で気に入った』って」

目が大きくてメガネをかけていない梁氏は、自分がけなしていた人に好感をもたれたと知ると大喜び。

東洋人の小さな目とメガネは印象深いらしい。
リサも「パパもママも私も妹も目が大きい。日本人とか中国人は眼が小さくて、見えないからメガネをかけている。マコも目が小さいから眼鏡」と言っていた。


#数字占い

日本人の知り合いも寄ってくれた。
「私はここの住所が9番地と聞いた時から病人の多い家かなと思った。9は芸術関係にはいいけれど頭を使わない人たちには、合わない数」とマコ。

「僕の家の住所番号はどうかい?」
「160は0があるから、いい番号よ。私は0は360°と解釈している。古代インドの数学者が0を見つけた。無という概念を抽象化して、『零』という数字で表わしたのは、バラモン教の数学者。
マクルーハンは、「0」が「無限」の性格を得たのは、ルネッサンス期の絵画で「遠近法」と「消失点」が盛んになった時といっているわ。
古代エジプトでは『神を冒涜する』として遠近法の使用を禁じていたそうよ。

 「0」というと「何もない」意味と「空が無限」という観念。たとえば自分の位置から物事を見ても一部しか見えないわね。でも円周を歩き回り、違う角度から見れば事柄(庭の花木でも)は全く違って受け取れるもの。私の感じる360°は、神様の視点に近い考え方が出来やすい暗示と考えているの。私自身はほとんど「0」にご縁がない。

「0」という数字で哲学を見事に打ち出したのは画家のマレーヴィチね。ニーチェより感情の少ないわかりやすい哲学。シュプレマチズムといえば私は「ツァラトゥストラ」を丸と三角形で説明出来る。

「バレーメカニック」の丸と三角形のようにね。三角形といえばトマス・マンは「ヨゼフとその兄弟たち」で突然、エジプトでの三角形の説明をしだしたり。あのヨゼフをアセンダントが乙女座の生まれと何度も強調しているでしょう。あれはきっと乙女座の主星が水星でコミュニケーションに優れていることをいっているよ。ヨゼフの口のうまさは何度も話題になっているわ。
実は私も第一宮が乙女で水星が入っているの。

グールドの占いもしてあるわ。逢えたら話せるのが楽しみ。グールドに感じる数字は「32」。昔の家が32番地。1932年生まれ。コンサートを止めたもの32才。彼に関するものを読むと32が目立つ。32は「グッドラック」「僥倖」の意味なの、なぜかは知らないけれど。ジョイスのユリシーズには「32」が全体で11回も出てくる。共感覚者は数字につよいこだわりがある訳」

「おもしろいな。僕はあの家を買う時、住所番号が気に入って決めたのだけど、親父がカナダに来て車の免許を取ったら、番号に160の並びがあるので驚いたことがある」

「私は、72や27、916や78並びに縁があるのよ」

「それじゃあ、僕と家内の相性をみてくれる?」
マコは独学独習、得意の数字占いで座を盛り上げていた。

クリスマスまではポーランド人の家政婦さん作り置きの牛タンを茹でたものを楽しんだ。料理の時からハーブのせいか夢見るような香りが漂っていた。



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by mhara21 | 2006-05-22 09:47 | 後追い日記81年 | Comments(1)

後追い日記81年40  ・奴隷生活

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#ゴドウスキー家の奴隷生活

労働は際限がなく、マコはくたびれ切ってしまった。 疲れがひどくなっていたのか、用事を言いつけられる度に何故だか「サンキュー」としか言えなくなる。
「私の言うことにいちいち「サンキュー」と言わないでよ」と言うゴドウスキー夫人にまた「サンキュー」と答えて大笑いとなる。

「shocked」という言葉も発音も「ショックテッド」とやらかして大笑い。ボーッとした頭でフキンと雑巾を一緒に洗った時は、ゴドウスキー夫人が見たら気が狂うだろうとおかしかった。

「結婚した直後は、主人の姉妹と住んでいたの。彼女達のために毎日いろいろなことをしたわ。ある日、私やり返したの。自分でしなさいって。今のマコはあの頃の私みたいよ。マコはいい人だから、世の中の人が全部自分みたいにいい人だと思っている。私がそうじゃないことを教えてあげるわ」

「アリゾナの別荘で、主人の姉妹の物が無くなった時、主人の父は私のスーツケースを開けさせて中を調べたの。一生忘れてやらないから」
(こんなことはマコの育った環境からは想像も出来ない)

「あなたまさかここからバイバイする気じゃないでしょうね」

夫婦の寝室には小さな鍵の付いた赤い皮の宝石箱があった。いつかお金持ちと結婚して鍵のついた宝石箱を持てるかしら?
後日、宝石箱はまだ必要がないので、取り敢えず鍵だけ買ってみた。 マコも充分なバカだった。

ローズマリーはマコをお客に、子供用のイスに座ってギターを弾く真似をしながら、歌を聞かせてくれる。こんな天国から来た子供達が両親そっくりのお金と遊びだけの生活を送るようになるのはすぐのこと、この人達にとって学問や芸術はただの見栄と虚栄なのだろう。

母親が家にいなければ、子供への責任を含めて私の荷は重くなる。夜は夫婦で遊びに行くことが多く、帰りは午前様である。
両親が外出すると、子供達は、ベビーシッターに挑戦するように、羽目を外し、ギロギロした目で私がどう対応するのか見ていた。

ゴドウスキー家のクリスマスは、家族揃っていつもアリゾナへ行く。
「あなたは私達がいなくなったら、死んだ様に寝るでしょうね」



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by mhara21 | 2006-05-21 10:11 | 後追い日記81年 | Comments(0)

後追い日記81年39・ゴドウスキー夫妻

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#ゴドウスキー夫人とゴドウスキー氏

ベビーシッターとしてゴドウスキー家に住み込んだのだが、仕事はそれだけでは済まなかった。実際の労働はひどく、1日に17時間働いたこともあった。毎日ガスレンジの掃除をしたけれど、その仕上がりの要求は異常なほど。自分では決してあれだけの手間はかけないだろう。

夫人は顔面の痛みで医者に通っていた。口の内側に白い線が走って、それを見せてくれたけれど、マコにもその経験があるので分かる。その上、長男が病気になった。
「いつもこんな状態ではないから」
と言うのだけれど、何かにつけて仕事は増えていく。子守りにしても、長時間になる。土日の休みも全くなかった。

怠け者のゴドウスキー夫人は、マコの他に週に2度、家中のシーツ替えと水場の磨き仕事に女の人を雇っていた。働いている人につきまとってちゃんとした仕事にケチを付けている。
ご用聞きのクリーニング屋さんには高圧的な態度で自分の思い通り動かそうとした。

世の中とは「楽をしよう、得をしよう、その為には人を利用しよう」とする人々で溢れているのだ。自分がしたくないことを人にやらせようとする人は、皆一様に利己主義で病的な吝嗇家である。
自分の事にはいくらでもお金を使うけれど「人を利用すること」のが唯一の人生哲学なのだ。一緒に暮らすと家庭のことや家族のバックグランドが分かる。

ウソか本当か知らないが、結婚前、ゴドウスキー夫人はスチュワーデスと高校の先生の仕事をしていたという。
夫人は思うがままにマコの仕事を増やしていった。
しかし浮いた時間で料理をきちんとする訳でもない。○○さんの奥さん、○○ちゃんのお母さんというだけで主婦は威張れる。
ボーッとした頭でもマコの批判精神だけは達者だった。

ベッドのスプリングの工場を経営しているゴドウスキー氏は1日中騒音の中にいるためか、帰宅して子供達が騒ぐのが嫌い。だから食事は丸いテーブルに大人3人、離れた所に小さいテーブルで子供3人が別に食べる。
子供達はふざけあって賑やかになる。すると父親は怒り顔。マコはテーブルで笑いを噛み殺す。

ある時、グールドから貰ったレコードを持つ、日本から来た、ピアノを弾くベビーシッターのピアノを聴こうと老夫婦やその友人、若夫婦の友人が集まった。

後の阪神淡路大震災のショックで記憶に支障が出たが、その頃のマコの記憶力は天才のよう。少し滑らかになった指で10数年前覚えた曲を楽譜もなく弾けたのは、当時はしっかり持っていたフォトグラフィックメモリーのお陰。

ゴドウスキー夫人「主人の母が言ってたわ。『体の弱いピアノ弾くお嬢さんを雇ってどうするの?』って」
ゴドウスキー氏「マコは子供の相手をするのが上手で、子供のためには、とてもいい。マコは天才だ」
 
ゴドウスキー氏は、マコを長期に雇うつもりで保険に入れていたそうだ。
ゴドウスキー家を逃げ出してからも度々電話があって、そのことを何度も言われた。
妻が人をコキ使い、金銭的にもシブチンだったから招いたことだとは気づいていない。
後釜を探し、同じことを繰り返して彼等は過ぎていく。

数年後のある日、ハートハウスでの音楽会で、ゴドウスキー夫妻を目にした。
ゴドウスキー氏が夫人に「マコがそこに居るよ」と耳打ちしていた。

また音楽院でジョーン・フィリップの先生のチャイコフスキー氏に子供たちの様子を聞いたことがある。
「ゴドウスキー家の子供達は元気ですか?」
「あの家ったら、年中旅行だとか遊びだとか、まあお金のない私たちには出来ないことばかりやって暮らしている。それだけね」
と子供達の勉強振りも含めて、すぐそんな返事が返ってきた。

両親がわがままに振る舞うから、子供がそっくり真似をしてわがままなだけなのに。それで不幸が起こって家の中はガタついている。



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by mhara21 | 2006-05-20 10:36 | 後追い日記81年 | Comments(0)

後追い日記81年38  ・3人きょうだい

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#3人きょうだい

上の息子は、病気で家にいると「マコ、一緒に遊んで‥‥」と寄って来る。へばりついて遊んでくれと言う割には、憎らしい、人を人とも思わないことを口にした。
「ピアノの練習を見てくれ」
というから、付き添うと
「そんな下手な英語で僕にピアノを教えるな」

フレデリック・フィリップという王子様のような名前を持った子供だが、マコが名前を呼ぶと兄妹揃って
「(発音が)違う、違う。お兄ちゃんの名前ではない」
と大騒ぎ。

ピアノの教則本であるメトードローズの中にフランスの古い歌「月の光に」がある。マコが習ったフランス語で歌うとこれまた「違う、違う」と言っては口を耳まで開けて笑う。

マコはローズマリーに「おもちゃのチャチャチャ」をピアノで弾いて、大袈裟なグリッサンドを付けた。ローズマリーはそれが気に入って、何かに付けて「Let's play おもちゃのチャチャチャ!」と言い、ふくよかな指で、太っちょのグリッサンドをかき鳴らしていた。
 ゴドウスキー夫人には「さくら」を教えた。柔らかな日本語が素敵だと言っていた。

 リサは実在する従姉の「ナタリー」にぞっこん参っていた。
「ナタリーがどんなに素敵か。自分はとてもかなわないわ」
「あなたもとても素敵よ」
「でももしマコがナタリーに会ったら、私なんかメじゃなくなるわ」
長男はトロント王立音楽院でピアノを習っていた。先生の名前はチャイコフスキー。
門下生の音楽会がアベニューロードの音楽院の支部で開かれるので行くことになる。

リサがトコトコと地下の私の部屋に降りてきた。
「何を着るの? 私、あなたにきれいにして来て欲しいの。洋服を見せてちょうだい」
タンスを開くと
「これを着て行って」
とカナダに来た時着ていたスリーピースを指差す。

「夏の服だから着れない。これを着るつもりよ」
と赤いワンピースを指差すと
「いいわ」
と部屋を出て行った。さすが女の子。

家の中には洋服もおもちゃも山程あった。
フランスの現代童謡のレコードの中の「ナタリー」と「電話の歌」が気に入った。
「ナタリー」は日本でいう「さっちゃん」のような小さな女の子を恋する歌だろう。
何かにつけて「ナタリー、ナタリー」と名前が繰り返された。
「電話」の方は「そらそら電話がなるぞ。もしもし、お嬢さん、奥様、旦那様」位のフランス語しか分からなかった。
メロディーの躍動感からベルが鳴って「さあ出るぞ」の冒険が感じられた。

夫人はアルジェリア出身のフランス系ユダヤ人なのでフランス語のレコードがあったのだろう。フランスの歌の美しさは、言葉のせいか特別のものがある。私はこの2曲に聞き惚れ、慰めとした。

マコは疲れていたので子供と遊ぶ時は、体を横にしたかった。
ローズマリーひとりの時は、ベッドで息を秘そめて、「オオカミが来た」と毛布をかぶってテントを張る遊びでごまかした。
引っ付くとなるとほっぺを押し付け、両腕をマコの首肩に廻して、時々、"A wolf "だけでグーといびきをかいて寝てくれた。

3人一緒の時は、ひとまとめにしてベッドに寝かして、こちらはオオカミの真似をする。
決め手は毛布をかぶせることだ。見えなくなると想像の世界に入りやすい。
「何か匂うな。男の子一人に女の子二人の匂いがするぞ。さて、どの子から食べようかな?」

クスクス笑いが始まっている。毛布の上から目星をつけて、順番に公平に体をひねる。
恐ろしそうに指をもみ込んで、違う声が上がるのを楽しむ。
「さぁて、うまいか、まずいか、、、」
最後に毛布をパーッと剥ぐと、子供達は身も世もない程、幸せそうに笑いこけていた。

ガーデンパーティーの時にジョーン・フィリップを追いかけまわして、目が合うとおにごっこを始めたけれど、よく相手になって、逃げてくれた。
子供は大人と違って愛しいとマコは残酷な家の中で、モーツァルトのオペラで遊ぶ気持ちになれた。

子供は、どうして少しの事ですぐ幸せになれるのだろう。
きっと、相手がどれ位お金を持っているか? なんて考えないからだろう。
今現在の事しか考えないから前後左右に気が散らないのだろう。



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by mhara21 | 2006-05-19 09:40 | 後追い日記81年 | Comments(0)

後追い日記81年37・住み込みベビィーシッター

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#住み込みベビィーシッター

ある晩マルセイラに電話する。
「マルセイラはロングアイランドの父親の所に帰ったわよ。あなたは誰かベビーシッターを知らない?」
「お宅にピアノはありますか?」 
「あるわよ」
というわけでゴドウスキー家の奥さんと会う。
週給20ドルでこの住み込みの仕事をすることにした。子供3人のベビーシッターである。

場所はノースヨーク市。地下鉄ドンミルズの駅からバスに乗る。
マコは数霊術から、9番地の番号に不吉な予感がした。案の定、その後の40日のひどさったら!

下の女の子2人は、次の日からどちらが新しいベビーシッターの愛を獲得するかで競争する。
二女のローズマリーは1日中歌を歌っている愛敬のよい子で3才。
父親に似た特別大きいクリスタルのような目のローズマリーは、朝、目が覚めると1番に「マコはどこ?」と聞く。
夜の添い寝は天国。羽二重モチのような肌の持ち主のローズマリーはどこまでも柔らかく体を押し付け、とっておきのキスを最愛のベビーシッターにサービスする。
かと思うとマルセイラが教えたスペイン語で1から10まで数えてみせる。

「興奮してして大きな声を出すとお姉ちゃんが怒りに来るよ」
と助言したのも束の間、すっとん狂な声を出す。
「リ、リ、リサ!!」

見ると長女のリサが亡霊の様にベッドサイドに立っている。
「ずるいわ、ローズマリーと寝るなら私とも寝てよ」

それではとリサのベッドに移動する。
リサの体は秋のオンタリオ湖のように冷たく、30cm離れてソッポを向いて寝てしまう。
これでもマコと一緒に寝たいの?
ローズマリーの濃厚な表現に慣れたマコには、物足りない。

リサが、朝顔型のコップでピンクのレモネードを飲む。口の両端から頬にかけて、ピンクのカイザル髭が付く。話していてもその髭が可笑しい。

ある日のことリサが、「ロビンソン夫人は今朝、お亡くなりになりました」
と言ってくれと頼んできた。
「どうしてそんなこと言わないといけないの?」
「どうしても言って欲しいの」
そのセリフを喋べると、突然リサは「ウォーン」と激しい身振りで号泣する。西洋のガキってどうしてこうドラマチックなのだろう。



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by mhara21 | 2006-05-18 13:22 | 後追い日記81年 | Comments(0)

後追い日記81年36・引っ越したい

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#引っ越したい

ヴァンクーヴァーからの帰り、空からトロントの夜景を見た時、「しあわせとは何だろう?」と悲しくなる。
憧れのグールドが手にしていたレコードを贈られ、グールドのいる街に再び近づいているのに、マコの心はなぜか暗かった。

戻った下宿にはインド人の住み込みのベビーシッターが来ていた。改築以来の埃はそのまま。

ベビーシッターを頼まれたハーマイオニーの母親は新移住者だ。
開業歯科医をこれ以上増やしたくない歯科医師会の方針のために、なかなかその資格が取れず、訴訟に持ち込むための準備に時間が必要なので私を雇ってくれた。

ハーマイオニーはマコといるとミルクを沢山飲んだので、娘の食の細さを心配していた母親は喜んだ。
寝かし付ける時ハミングした子守唄は、マコの母親が唄ったフンパーディンクのオペラ「ヘンゼルとグレーテル」の「夕べの祈り」。
子供の讃美歌として唄われる「お星が光る、ピカピカ」も唄った。

梁夫人からも子守をしてくれたら、下宿代と食べ物は無料でいいと言われた。でも下宿先の赤ん坊は楽しみとして相手をしたい。家主との間で労使関係を作りたくないので断わった。

この下宿は住み心地のよい所だったのに、虫騒動以来いつとはなく、「どこか新しい下宿を探して見ようかな?」という気になっていた。

Abendsegen



SUSE LIEBE SUSE
(EIA POPEIA)
ズーゼや、かわいいズーゼ(ねんねんころり)



http://www.geocities.jp/ezokashi/d_suseliebesuse.html (歌詞)
http://www.geocities.jp/ezokashi/otod/suseliebesuse.html (楽譜)


Suse, liebe Suse - Kinderlieder zum Mitsingen | Sing Kinderlieder
https://www.youtube.com/watch?v=70byA5pTyew



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by mhara21 | 2006-05-17 16:40 | 後追い日記81年 | Comments(0)