合い言葉GG
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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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カテゴリ:後追い日記85年( 23 )

後追い日記1985年21・クリスマスへ

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# クリスマスへ

クリスマス前にサウスウッドのB夫人に会いに行った。
いつも優しいフランシスは、クリスマス用に焼いていたクッキーを1切れ下さり、プレゼントにマグカップを下さった。
今も大切に使っているマグカップには、カナダの思い出が一杯である。

音楽院に戻ると、私を探しておられたゲリンガス夫妻は、クリスマス前にどうしても渡したかったという絹のブラウスを奮闘賞として、音楽院の大時計の前でプレゼントして下さった。
グレーの糸で刺繍がしてあって、とてもきれい。

その後さわやかな気持ちで再びニューヨークのクリスマスを楽しみにトロントを飛び立った。
 


next 1986年1月ヤコブさん へ



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by mhara21 | 2015-09-20 00:00 | 後追い日記85年 | Comments(0)

後追い日記1985年20・ゲリンガス氏の生徒たち(12月)

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# ゲリンガス氏の生徒たち

コリンという男の子がレッスンででたらめに音を鳴らした時、私は笑い出して止まらなくなってしまった。
『男の子って凄いなトコトン無茶苦茶をする』と思ったのと、
『ヴァイオリンはとこぎりしびれる素敵な音も出せるのに、悪い方の音も底無しだなぁ』とピアノの良い音悪い音に比べてその幅広いことにびっくりして笑い出した。
部屋にいる他の大人2人と子供1人が笑わないのに、トンマで怒られてばかりいる伴奏者が涙をこぼして笑っているのは本人も耐えられない位おかしさが増した。
20分後、「いい加減にしろ」とヤコブ氏が怒鳴りあげた。
ピアノを弾きながらも笑っていたのだ。
コリンの母親ジーンは今でもクリスマスカードを下さるけれど、一生の間であんなに笑える日が又来ることがあるのかしら?

オーディションの当日、コリンやジーンと楽しく話してリハーサルをしていた。
グリンガスさんが笑顔で見回りに来た。
「オーディションは遅れていないかな?」と問われる英語の中に
『behind』という言葉があったので、『behind』には時や予定が遅れているという意味があるのを知らなかった私は「物の後の方に」と解釈し「ピアノの後には壁があります」とトンチンカンな答えをした。
グリンガスさんとジーンは顔を見合わせ、笑っていた。
人に笑われることは、笑ってはいけない場所で笑いを堪えるよりずっと楽だった。

キャーレンという女の子とは、メンデルスゾーンのヴァイオリンコンツェルトを弾いた。
これも大変だった。カセットを買いよく聴いた。
キャーレンに電話する時は、BGMにそのテープを流しいるとそれに気付いた彼女が笑い声で話してくれることもあった。
キャーレンとイヴォンヌの2人には当日、「これ以上準備出来なかった。何かあった時はご了解下さい」と挨拶をした。
案の定やっとこなしたと思うパートが過ぎたところでピアノを弾く手は完全に事切れたように止まってしまった。
でもキャーレンも私も心静かに曲を再び始めることが出来た。
終わってから学院の中を歩いていると、試験官だったヴァイオリンの先生が「よくやっていたね」と声をかけて下さった。

2日間に次々とオーディションを済ませた。
そして私自身のもイタリア協奏曲で済ませた。
20日過ぎに音学院の玄関の所で「マコじゃないの?」とハーモニーのクラスのテッドが声をかけてくれた。
「今、何しているの?」
「グリンガスさんの生徒の伴奏をしてるの」と答えると
「がんばってるね。メリークリスマス、マコ」と言った。
「メリークリスマス、テッド」と言いながら、
『もうクリスマスなんだわ』とびっくりした。

とにかく大波乱含みの学期だった。
うまくあわないときマリーナは
「こんなに沢山の仕事を1度に与えてしまって、私の誤算でした」
と謝られた。
しかしどこからか「カン」が働き、コツが分かると大変楽しい仕事になっていった。



85年21・クリスマス へ


写真 音楽院現在





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by mhara21 | 2015-09-19 00:00 | 後追い日記85年 | Comments(0)

後追い日記1985年19・悪戦苦闘(12月)

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# 悪戦苦闘

あまりのストレスにある日、声が出なくなってしまった。
リハーサルの時、「I have no voice today」と紙に書いてゲリンガス氏に見せると、「歌手でなくてよかったね」と笑っていた。
声の出ないことを忘れて、店で注文をしたり、他の場所でも相手に怪訝な顔はされていたけど、耳が聞こえないよりはましだった。

その内に、「よくヴァイオリンの音を聴きなさい」と怒鳴られていたけれど、それは伴奏者の耳が鋭過ぎて、ヴァイオリンの微妙な振動、時に下手な生徒の時は、どの箇所にピアノの音を合わせればいいか?思案して戸惑っていたからだと先生方に理解された。

耳の聞こえにくい人は、アナウンサーの訓練された発声と発音ならすっきり聞こえるように、マコもゲリンガス氏の演奏ならピタッと合わせられるのだった。

マリーナは合奏が困難を極めた時には
「私の生徒で主人の生徒の伴奏をした人はいないの。なぜって、私たちの関係が親密になりすぎて、うっとおしいと思って……。こんなに短期間に大量の曲をあげて、準備期間も短くて、あなたに申し訳ないことをしたわ。ごめんなさい。もう間に合わないわ」と悲観していらした。
マコは「謝らないでください。なんとかします」と答えた。

数日後、突然、土から筍の頭がニョキっと出た後、思うようにぐんとはまった伴奏をした。それから筍が若竹になるように、どの曲もしなやかに寄り添い、音も輝き、ゲリンガス氏やその生徒たちを少しは安心させるようになった。



85年20・ゲリンガス氏の生徒たち へ




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by mhara21 | 2015-09-18 00:00 | 後追い日記85年 | Comments(0)

後追い日記1985年18・お墓参りと伴奏強行スケジュール(10月4日)

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#墓参りと伴奏強行スケジュール
 
10月4日、レッスンに行くとマリーナが「教授法のクラスで使いたい楽譜を忘れて来たのだけれど、あなた持っていない?」と聞いた。
「下宿にある。でも今日はグールドのお墓に行くので足が痛んで来たので靴を取り替えに帰るから持ってくる」と答えた。
楽譜を届けた時、マリーナはちゃんと靴を替えてきたかどうかちゃんと足元をチェックしていらした。


その後グールドのお墓参りに1人で行った。
今度はすぐ分かった。
がしかしグールドは「僕のお墓にこれからは1人で来ないでね。君はいつも1人なのだから墓地に1人で来られるのは忍びない」と語った。
マユツバものとその時は思ったけれど、以後約束を守り決して1人では行かなかった。
グールドの発言は、これ以外にもしばしば私をパズルさせた。
この時も信じられないと思ったけれど、結局信じてしまった。
益々忙しくなる生活と霊魂に憑かれやすい私の体質を考えての忠告だったのかもしれない。

ピアノ教授法のクラスは充実していた。
去年の様に体調を崩さずピアノが弾けることは何より楽しかった。
10月11月とびっくりする程読譜した。
「早く合わせなさい。楽しみだわ」と言っていたマリーナの希望からはるかに遅く12月に入って、学校の期末のオーディションの直前になって、ようやくヤコブさんのお弟子たちと合わせ出した。
オンタリオ州から奨学金をもらっているオサップ学生と呼ばれる学生達が上達振りを見せ、援助を受けるにふさわしいかどうかチェックするのである。
これがトンでもないことだった。
私はヴァイオリンの音色にも合わせることにも慣れていない。
騒動が起こってヤコブさんはかんしゃくを爆発させた。
生徒の指導でも大変なのに夫人の弟子の新米の学生伴奏者の面倒を見るには何もかも切羽詰まっていた。



85年19・悪戦苦闘 へ




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by mhara21 | 2015-09-17 00:00 | 後追い日記85年 | Comments(0)

An Hommage Glenn Gould のプログラム byモニカ

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1985年9月26日から始まった
「An Hommage (オマージュ)Glenn Gould」
のプログラムをスキャンしました。

渡米して半年後、NYでルームシェアーをしていた同僚から偶然、
グールドのフィルム上映会があると教えてもらいました。
亡くなった直後、大阪で「Off the Record / On the Recard」を見て以来。
亡くなって3年後にやっと見られると大喜びでした。
勿論、マサコさんもトロントから駆けつけました。
平日木曜日から金曜日は夜。土曜日と日曜日は午後から夜まで、
@メトロポリタン美術館。合計16本を一挙上映でした。

とにかく長かった。。。。
初日、9月26日(木)は、夜19時半から、
最初にTim Page やBruno Monsaingeon 他3人のお話もあり、
当たり前の事ながら、さっぱり聞き取れない。
座談会の後、ゴルトベルクのビデオ。この夜は1本。

翌27日(金)は18時から、
On the record, Off the record, BachとSchoenbergの4本。

28日(土)週末だから、午後1時から20時に始まるPortraitまで7本。
さて何時間だったっけ。

29日(日)は午後3時から5本で、
最後にオープニングと同じようにゴルトベルクでおしまい。

途中のどの日だったか大雨の日があり、開演も遅れ、
確か日曜日の15時開始を早めたような記憶が。。。
手帳にメモもなく、詳しいことは不明に。。。。

最後に同行のピーターさんがソニーの人か、誰かに
「こんな素晴らしいフィルムを、ぜひ商品化して欲しい!!」
と猛アピールしましたが、色よい返事はなく、ブツブツ愚痴っていました。

帰り道、彼の音頭で同行者たちと夜道、
クオドリベットをパートに分けて歌いながら歩いたのが懐かしい思い出。

そういえば、上映途中で急にピアノが弾きたくなったと、
フィルムも見ずに帰って行った同僚もいて、
『グールドの演奏を聴いてピアノを弾きたくなるなんて。。。」
とびっくりしたっけ。。。

その後、北米で放送されたゴルトベルクのビデオを大切に持ち帰って、
コピーを沢山作って友人知人にお配りした頃を思えば、
パソコンでカンタンに見られる現在は夢のようです。

以下にアップします。

表紙は上に

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85年18「お墓参りと伴奏強行スケジュール」へ

後追い日記1985年9月・曲談義@NYへ戻る





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by mhara21 | 2015-09-16 00:05 | 後追い日記85年 | Comments(0)

後追い日記1985年17・曲談義@NY(9月)

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# 9月 曲談義@NY

フィルムフェスティバルの圧巻はバッハのパルティータの6番の演奏フィルムだった。
少女の日、グールドのパルティータの6番の美しさに浸っていた。
その演奏が画像として目の前に繰り広げられた。
これ以上の幸せはなかった。
会場でもいつもの様に1人ぽっちではなく、姉がいた。
そしてグールドの大ファンになった日本通のピーターがいた。
会場で彼はイタリア協奏曲に比べてパルティータ6番の出来の悪さを熱心に語った。

「イタリア協奏曲は第1楽章でスパゲティを作っている気持ちになる。あとはジャズ的であり、解釈の幅も広い名曲だと思う。でもパルティータの様に神霊界の摩訶不思議な幻想を見る面白さはない」
というのが私の持論である。

ちなみに私がバッハの中で大嫌いな曲は「半音階的幻想曲とフーガ」である。
この官僚的な曲には鳥肌が立つ。
幸いグールドもこの曲が嫌いだそうで「これっきりよ」と断わって1度だけ弾いている。
「嫌いな人が同じでないと友達になれない」との言葉があるが、
私はパルティータ6番が嫌いな人とは友人になれない。
グールドも「最愛のパルティータ」と語っている。
サラバンドのエレジーはお酒を飲んでうっぷんを晴らしている神様の心の中のよ
うにきれいだ。人間と神の間を行き来するこの曲のパノラマを愛して止まない。

結局イ長調のモーツァルトのコンツェルトの1楽章だけ練習してトロントに戻ってきた。
勉強する曲は他に協奏曲やいろいろな小曲があったがニューヨークでは思う程練習出来なかった。
楽譜はマリーナ先生のロシア時代の物ばかりで、よくあんなに持ち歩いたものだと今振り返ってあきれている。



85年18・お墓参りと伴奏強行スケジュール へ


次ページは「An Hommage Glenn Gould のプログラム」  byモニカ です


↓以前にこの時に浮かんだ「パルティータ6番」について記した日記。
「パルティータNo.6」byマサコ




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by mhara21 | 2015-09-16 00:00 | 後追い日記85年 | Comments(2)

後追い日記1985年16・伴奏者となるきっかけ(9月)

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# 9月伴奏者になるきっかけ

85年はトロントでバッハコンクールが開かれた。
バッハ生誕300年ということで、バッハにちなむ音楽会も多かった。
マリーナ先生もヴァイオリニストの夫君のヤコブさんと共にバッハとヘンデルだけの曲目でコンサートをなさった。ヤコブさんのお弟子さんのコンサートもバッハとヘンデルの作品だけだった。

新学年の最初のレッスンの日に、私はバッハのジャーマンコンツェルトの第2ピアノを勝手に弾いて行った。
マリーナのお弟子の中にジュリアンというフィリピン人の男の子がいた。
母親が私をピクニックに連れていったり、クリスマスに招いて下さったりした。
ジュリアンの弟のジョーゼフのピアノの先生になったこともあった。
そのジュリアンとジャーマンコンツェルトを弾きたかったが、母親は「ジュリアンには時間がないと思う」といい、11歳のジュリアンも乗り気でないのに勝手に読譜を始めた。
弾き終わるとマリーナは「上出来よ。今考えたのだけど、今年は主人の生徒達の伴奏をしてみたらどうかしら?」とおっしゃった。

数日後ニューヨークの姉からビッグニュース。
「9月25日を挟んでグールドのフィルムフェスティバルがあるのでこちらに来ませんか?」と誘いがあった。
私はマリーナから山の様に預かった楽譜を抱えてニューヨークに旅立った。



85年17・曲談義@NY へ




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by mhara21 | 2015-09-15 00:00 | 後追い日記85年 | Comments(0)

後追い日記1985年15・教師としてのマリーナ(8月25日)

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# 教師としてのマリーナ

マコは、このところマリーナ先生のスタジオで他の生徒の授業を見学している。
マリーナの教授法はユニークだ。まず彼女が好きで良く教えられると思う曲の選定が出来ている。
この曲のこの個所は、この技術の習得に役立つとか、生徒の状態をどの方向に流したい時には、この曲をというように方針の確立している先生だった。
ショパンのノクターンNo.9ロ長調は、かしこい子供なら小さくても弾く。
同じ先生に習った弟子たちが微妙な差で曲を表現するのを聴くのは贅沢だった。
どの曲をどの時期にということでは、センスの光る人であったが、ご本人が優秀なために、鍵盤に指をおけば、すぐにバレリーナになれる生徒以外は、先生も弟子もストレスになる。
いつまでも生徒の状態が同じでも平気なピアノ教師や、何も吸収できない生徒には勿体ない。
ピアノはどの位早く譜が取れるか? タッチ(音)の種類、表現の多様さ、芸術的オーラの放射で値うちが決まっていく。
マリーナは夏には、ピアノ教師のためのコースを準備していて、そこで、「練習量の多い生徒の話はいい加減にしろ」とばかりに文句を言った人がいる.

ピアノの練習とはなんだろう。
料理でも、きちんとすればすぐ4、5時間かかる。
掃除の20分なら、少しの場所しかきれいに出来ない。きれい好きは20分を決める。練習しなくて気楽に通える先生と、怖いから知らずの内に練習する癖がつく先生とどちらがいいのだろう?

マリーナは、ドロップ(飴ではなく←いらない?)、打鍵で音(?)を落すようにして、音を出すこと)のタッチで、3つの音を弾くと(同音でも3音アップダウンでもよし)、「クレッシェンド」(だんだん大きく)、「ディミニエンド」(だんだん小さく)と3つの音がそれぞれに同じ表現でないことが大切と言った。
音の粒がよく揃うというのとは全く違った話で、ドロップ自体、原始的なタッチである。
ここに変化を加えることで、人間のセンスに3つの音が、「バカっぽく」鳴ることを防ぐ美意識を高めていく(ごく初期のメソッド)。
たとえていうなら、プランターのチューリップが皆、同様に咲かずに、1本はつぼみ、1本は開きかけ、1本は全開。1音1音ていねいに観察できて、長い間楽しめる音楽作りにつながる。
マリーナは、実に綿密に、音楽を紡いでいた。明快な奏法原理をもって。

何でもないことが全体の美を左右するのではないか?
たとえば楽器の音を語学の発音とすると、アルファベットの音表がピアノにもあって、本来は発音を奏法を伴って教えることのできる教師が少ない。
初期に完成させたいメソッドのように思う。アーティキュレーションにつながる音色の豊かさは、フレージング(文法)を助け、そこまで美に気を使う教師は、心ていねいに子供の相手ができる。
問題は、子供も親も教師の資質に気づいて尊敬することが出来るかである。
美を感じて、自然に努力出来るかが、ポイント。
こればかりは相性で、マリーナの値うちがわからず、ややこしく高望みする先生のように感じる人もいる。
人はお互い自分に近い人しか喜べないものである。
音楽との関係はマコには、心理的な条件が大切なように思われる。
セカセカしない、人に認められようとしないで、自分の心の喜びのために音楽と向き合う。
でなければ音楽は人間の情緒の助けにはならない。



85年16・伴奏者となるきっかけ へ




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by mhara21 | 2015-09-14 00:00 | 後追い日記85年 | Comments(0)

後追い日記の手入れ  byモニカ

81年から84年までの後追い日記に色々写真を加えました。
いちいちその頁を紹介は出来ませんが、いつか見ていただけると嬉しいです。

また、82年にはグレン・グールドが亡くなった10月15日の追悼式のプログラムをスキャンして全頁(6枚)も画像をアップしました。


In Memoriam Glenn Gould "Oct.15,1982
グレン・グールド追悼式プログラム1982年10月15日




そういう手入れを、当日演奏された曲や、讃美歌をyoutubeで流しながらやっていると、出席していない私モニカも33年前の追悼式に出席しているような気持ちになりました。







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by mhara21 | 2015-09-13 21:26 | 後追い日記85年 | Comments(0)

後追い日記1985年14・母の想い(8月20日)

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#母の想い

・料理 
この子は将来、結婚は無理だろう。
おそらく上の姉の世話になるだろう。
家の中の仕事さえできれば、外に働きに出る人への助けになり、家族に喜ばれる人になれる。
だからマコには料理を教えよう。
料理が出来る人は、どんなところでも喜ばれ、人の幸せの助けになる人に育つことができる。
母の信念をマコはトロントで思う存分味わう。

トロントでのガリガリの様子を気遣って、マコに食事に来ない?と声をかける人々は、なぜか自分の子供もちゃんと育っている。
マコは台所を思うように使えないので、ポットラックができないのを恐縮しつつ、ご招待に出かけて行く。

料理能力は大きな財産のひとつ。
食べ物は、ストレートに愛が伝わり、何よりのコミュニュケーションになる。
小言や理屈ではなく、人を育て、人と交わるツールになることを言えを半れた異国の地で体験する時、母の信念と教育方針に感謝の気持ちが大きく湧き上がる。

台湾教会で、料理を手伝う時、学生センターで料理をした時、皆の顔が輝いてくれる時、マコも自分の一番の欠点が消滅して生きている心地がするのだった。



85年15・教師としてのマリーナ




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by mhara21 | 2015-09-13 00:00 | 後追い日記85年 | Comments(0)