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13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
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不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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カテゴリ:後追い日記86年( 23 )

後追い日記1986年23・グールド家訪問(12月1日)

2015年9月25日に同じ記事をアップしているけれど、

86年の流れのため、写真を少し違えて再度アップ。

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12月1日グールド家訪問

グールド家へのお土産には母なるフローレンスさん(グレンの実母)を賛えて大振りのカーネーションを買った。ちょうどまとめて沢山売っていたので、自分で包み直そうと思った。ハサミを借りる気もしないで手で折った花をおよそプレゼントには程遠い包みにして、いそいそとグールド家に向かった。

ベルを押すと長身の男性が現れた。
明朗で優しいつややかなおじ様だった。
「グレン・グールドも父親のラッセルさんも、人を一目見ていい人か悪い人か分かる才能があった」とヴェラ夫人はヤマハのインタビューアーに話しておられたけれど、グールド氏の柔らかな育むような視線は、苛めに耐える毎日を過ごす緊張の高い私の心には天女様のようだった。

グールド氏は、素晴しく大きな手で握手をして下さった。佳いエネルギーが私の体に入って来た。マコは自分のヤッケを渡す時、その首の辺りの汚れが彼の目に入ったかと少し気になった。そして応接間のソファーに腰を下ろすように勧めると、ご自分もマコの隣に腰掛けられた。
「今日は寒いですね。これから雪が降ると思いますか?」とお天気の挨拶をなさった。それからパリでのグールド展のパンフレットを見せて下さった。そこにはシルエットそのままが1つの詩的な自己主張をしているかのようなグールドの若き日の写真があった。マコは我を忘れて、その写真を見続けた。そして大きな声で唸ってしまった。それ程にグールドの知性と利発さがファッション誌のようによく出ている写真だった。

「私は13歳の時に初めて、息子さんのレコードを聴きました。繊細で独自のインヴェンションとシンフォニア、フェニックスの羽のようにモダンでした」
「なるほど、気に入って下さったのですね」
「はい、もうそれから毎日、息子さんを想わない日はありませんでした」
グールド氏は頷いておられた。
「病気の日々を息子を思い、息子に支えられてカナダまでいらして、今は生き生きと音楽勉強に励んでおられるご様子。これぞ私と妻が『息子の音楽』に願っていた事です。グレンの音楽を聴いた誰かの人生が、すっかり変わって欲しい」
「その通りです」
「とても嬉しいです」
「カナダでグレン・グールドが歩いた道、行き交った道を歩く時、私の気持ちの深さは,口で言い表す事ができません。今日、ここにいられるのもグールド氏のお陰です」
「そんなにカナダと息子に感謝の気持ちを持って下さってありがとう。私も勇気付けられています」

「少し昔の話をしますね・母は1920年生まれですが、1916年生まれの兄と戦前,台湾に住んでいました。日本が台湾を占領していたのです。兄妹は仲良くシュナーベルのSPでベートーヴェンのピアノソナタを聴いていました」
「あのレコード集は当時持っている人が珍しいもので、しかも非常に高価でした。遠いアジアの国で,息子が熱愛した音楽をお母様は深く尊敬していらしたのですね。なんと素敵なご両親をお持ちでしょう。今晩は私にとって特別な日です」
グールド氏は満足そうだった。
上品で教養深く,端正の一言に尽きるお父様だった。

少し遅れてヴェラ夫人が入っていらした。
卒業式の写真を見せていただいた時、4日前の私の卒業式に出席しなかった事を思い出して2人に話した。何だかびっくりしていらした。12才、小学6年生のグールドは大人臭い他の卒業生に比べて、あどけなかった。 

「私の人生は昔も今も息子さんの音楽に支えられています。カナダに来たこと、学生になったこと、子供の頃、闘病中に彼のサポートがなければ、あれだけの夢を持つことは、できなかった。グールドさんの音楽精神には、仏教に似た働きがあります。衆生をその手で救いあげるような。彼は、その自己犠牲的精神で、キリストのように十字架にかかった音楽家でいらした」
「親として、とても嬉しいです。息子が生きていたら、あなたの言葉をどんなに喜びましたことか。先程、サウスウッドの家内のピアノやら、思い出のSPの話が出ました時、私は旧宅にいるように感じました。息子は、根はとてもやさしい子でしたが、気難しかった」
「バートとグレンは、人がいい人か悪い人か見分ける直感力の鋭い人で。あなたのお話は、彼を育てたフローラが、有頂天になってしまうわ」
「息子は、自立した女性が好きでした。あなたはグールド財団からのスカラシップが得られるといいですね」

マコは、グールドの父親に逢ったことを生涯、生き甲斐として生きた。そのたおやかな物腰と穏やかな声を日々の励みにして暮らした。

マコはグールドにガールフレンドが居たかどうか聞いて見たかったが、そんな通俗的な質問をするとお里が知れると思い、黙っていた。
「もうお暇します」と言うとヴェラ夫人は「これからお茶をいれようと思っていたのに」と言われた。それから
「バート、グレンの写真にサインをしてマコに差し上げて」と促した。その写真は今は日本の家のレッスン室に飾ってある。グールドから贈られたサイン付のレコードジャケットと共に。

グールド氏は「大丈夫だからいい。」というマコを、「寒いから、バス停まで送って行く。」とおっしゃった。
車の中でグ-ルド氏の大きな背中を眺めながら、マコは、「いつかグレン・グ-ルドと一緒に車に乗りたかった夢が叶った。」と思った。
「息子さんの事を思うと、今でも泣くの。」と話した。

バス停にはもうバスが来ていた。
グ-ルド氏は発車したバスの後に車を付けると、そのバスを追いかけ、ある地点でバスを追い越した。しばらく走って、グレン・グ-ルドがスタジオを持っていた「ホリディ・イン」ホテルの近くのバスストップでマコを降ろした。


雪が降っていた。
「グ-ルドさん、色々とありがとうございました。フロリダへ楽しい旅を!!」
と手を振ってお別れした。
お2人は毎年、1月にはフロリダに行くと話しておられた。

雪降るカナダでの幸せな1日だった。



送っていただいたバス停
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by mhara21 | 2016-12-01 00:00 | 後追い日記86年 | Comments(0)

後追い日記1986年22・グールド家への電話(11月)

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#グールド家への電話

11月のある夜、電話帳で番号を調べるとグールド家に電話をかけた。
ヴェラ夫人が電話口に出た。

「弁護士のS氏から私のことをお聞きになったことがあると思いますが‥‥」と会話を始めた。ヴェラ夫人は大変用心深かったがグールド氏に代わるといった。
「グールド氏の死後、カナダに残り学校に行っています。ぜひお目にかかりたい。お宅に伺ってもよろしいですか?」と聞くと
「私もあなたに会いたいから、どうぞ」と言われ、又ヴァラ夫人に代わった。
「それにしてもあなたは本当に逢いにいらっしゃるだけなんでしょうね」とヴェラ夫人は不愉快そうに言う。そして「私たち、私たちに近付こうとする人をとても警戒して言るのですよ」とこわい声で続けた。
その言葉や様子から私は『グールド夫妻には寄付の依頼が多くてウンザリなさっているのではないかしら?』と思った。

しっかり者のヴェラ夫人は「念のため、あなたの電話番号を教えて」と言われ、
「0070番」と答えると「なんと奇妙な番号でしょう」と感想をもらした。私もいつもこの奇妙な番号を不思議に思っていたので初めてヴェラ夫人に人間味を親しみを感じた。 



その後のグールドの父上を訪問日記はこちら
GG生誕83年・没後33年を迎えて ーーR.H.グールド宅訪問記




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by mhara21 | 2016-11-20 00:00 | 後追い日記86年 | Comments(0)

後追い日記1986年21・クバレックとの勉強(11月15日)

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#11月 15日クバレックとの勉強

クリスマスが近付くと恒例のグリンガス教室の学生コンサートがある。私は小さな子供たちの曲を丁寧に稽古した。アナと言うシンガポール系中国人の少女はバッハのト長調の曲と2フレーズの小曲を弾くとになった。私は時間が合わないのでアナの家まで言ってリハーサルをしようと思った。住所もウロ覚えで下宿を飛び出して1日中いろいろなことをして夜、エグリントンの駅から歩き、着いた家は違う家。親切なその家の人のお陰で歩きに歩いてようやく辿り着いた。「駅から歩いて来た」と言うと皆、目を回していた。

食事の仲間に入れていただいた後、リハーサルをした。アナに「ゆっくり弾け」と母親が言った。それに対して私は「音の質で早く弾いたように聞こえたのだから、アナ、こういう音で弾いてごらん」とピアノでその音を出した。アナはその真似をした。テンポは変わらなかったけど、今度は音の膨らみでゆっくり聴こえた。美しい音楽になった。母親はびっくりしていた。帰りはご主人が車で送って下さった。ご主人は何だか思い詰めたような顔をしていた。食事中バンクーヴァーで生ウニをどれだけ沢山食べたかとか話していたけれど食事中にまだ食べ物の話しをする健啖家であった。
後日C夫人は「主人は『マコが賄い付の下宿に暮らしているとは信じられん。あの痩せようは何だ。時々家に招いてご飯を食べさせてあげなさい』と言っているのよ」と話して下さった。

「子供の演奏者はいつヴァイオリンの弓を振り上げて弾き出すか分からないから気を付けなさい」とグリンガス夫妻に言われていたが、本当に同じことよく起こった。でも本番ではぴったりあった演奏が出来てホッとした。
 
どれもこれも楽しい仕事だった。この慎ましやかな仕事は音楽の喜びに溢れていた。「ぜひキワニスで私の生徒の仕事をしてください」と頼まれたが断わった。引っ越しも考えていたので、あれこれ手を出す気にはなれなかったのだ。


ピアノの生徒たちは主に台湾教会のある場所でレッスンしていた。
Mr.Kとの前期が終った。指使いも何も皆、楽譜に書き込んで下さるので嬉しかった。マリーナは『いい加減自分で考えたらどうなの?』という感じだったので、『先生を変わるのも悪くないなぁ』と思っていた。

マリーナとクバレックの先生としての違いは、すぐにわかった。マリーナの明敏さがクバレックにはなかった。クバレックはその頃夫人との別居に踏み切ることで、相当辛い時期を送っていたと思う。
ベートーベンのバガテルを弾くように勧めてくれたことには感謝しているが、それによって私の体力には余分な重荷となり体がつぶれたことも事実だった。このあたりの読みがマリーナと違い不的確であった。

マリーナほど、優れた教師はいなかった。
1年目はできないことは全く要求せず、2年目はただただ生徒を鍛え上げた。そして3年目になるとひたすら生徒が自立するようにハッパをかけた。
『指使いは書き込まないのよ。プロとはそういうものよ。プロの楽譜って何も書いていないのよ。』私が指使いを書くのすら、ダメだと言っていた。

グールドの楽譜は書き込みが多いようだ。
彼にとって楽譜など録音の際の『見取り図』にすぎなかった。ギーゼキングと同じでフォトグラフィックメモリーの持ち主で、弾く前に楽譜が頭に入るタイプであった。

私も阪神大震災の前は、フォトグラフィックメモリーがあった。ご丁寧に指使いや書き込みまで頭の中に出てくるコチコチタイプだった。指使いの数字を覚えているだけで音符を忘れない自信すらあった。

グールドとクバレックには奇妙な話がある。クバレックからグールドのプロデュースによってコルンゴルトのピアノソナタを録音した話は聞いたことがない。ところが、グールドのプロデューサーだったカズディンの本には、グールドが自分がプロデューサーになった時の感じをしゃべっている個所がある。
その録音は今はCDで聞ける。
おおよそ、グールドの好みの音楽とは思えない。
勿論、CDでもグールドがプロデュースしたことになっている。グールドのライナーノーツもある。でもクバレックの口から、「グールドに会ったことはない」と聞いているので、どういう事情だろうと考えてしまう。

何はもあれ、下宿で、心に愛のないわがまま、気まま、チャランポランの痴女とはいかなるものか、もう2ヶ月勉強しなければならなかった。
11月に「教会のクリスマスコンサートにブラームスを弾いてくれませんか?」と顔見知りのドイツ人に頼まれていた。
ブラームスを弾くのはほぼ初めてだった。

12月のコンサートで、本場ドイツの人々から大拍手を浴びた3人の音楽家。演奏後、お祝いの言葉をいただいた。
私は密やかにグールドがどんなに喜んでいるだろうと思った。
あれこれピアノのレッスンをこなし、場所を貸してくださる人から「疲れ切っているよ」と心配されたけど、大した仕事をしているとは思わなかった。
何もかも結局はフル回転の1年だった。
音楽で高揚しつつも、すぐに疲れで体が壊れてしまう。その両極端の学生の生活。5年目の2/3の学期が終わろうとしていた。


86年のクリスマスもニューヨークで過ごした。一度も行ったことのないエンパイアステイトビルディングを遠目から、眺める毎に
——いつかきっと偉い音楽家になるのだ ——
という闘志が燃え上がるのを感じた。



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by mhara21 | 2016-11-15 00:00 | 後追い日記86年 | Comments(0)

後追い日記1986年20・新しい下宿(11月10日)

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#11月新しい下宿

ようやく新しい下宿を決めた。
Pと言う2度離婚した女性の家だった。私の荷物の状態は買い込んだ下らない品々の袋で、それはひどかった。友人に助けられて10月末に新しい地下室の部屋に移った。これが悲劇の始まりだった。

生きているうちに会える人は極少ない。
会っても共に食事をする人はさらに少ない。
ましてや1つの家に何か月も同居するご縁は余程縁の深いものであろう。わがままでいい加減、心の汚い女性との同居では幸せになれるはずがなかった。(食事付ということだった。)

まず夜遅く練習を終えて帰る私の玄関になる台所の入り口の電気を付けてあることがなかった。表の外灯も決してつけていなかった。
ところがある日、「娘がパーティーにいって遅く帰るから電燈は消さないように」と言われた。その上「それが礼儀ってもんでしょう?」とのたもうた。消そうにもスイッチのある場所など教えてもらってもいない。その夜、明々と表の庭の外灯も入り口の電気もついていた。
こんなに高い下宿代を払っているのにと思うと腹が立ったが何も言わなかった。この灯りの無さは彼女の人に対する思いやりのない闇の世界だった。

色のステキな犬がいた。夜遅く食事をしていると私の膝頭から股にかけて顔を突っ込んで食事が終わるまで、付き合ってくれるのでとてもかわいかった。ある晩帰って来ると毛糸の帽子が切られていた。私は笑いながら捨てた。家の中に動物がいる暮らしはとても楽しかった。

またある晩、練習して疲れ切って帰ってくるとテーブルの上に犬の食器にサラダが入れてあった。「あれ、これひょっとして犬の食器じゃない?」とびっくりしてしまった。しかし犬の食器はいつも自動食洗器でほかの食器と一緒に洗っていたし、「犬は家族の一員なのだから。これでいいのかしら‥‥?」と思ってサラダを食べた。でも心の中に電気の件と同じように何かがくすぶり続けた。

地下室には自分のお金で電話を取り付けるように言われたし、私が少し長く洗濯機を使うとわざわざ上から何を洗っているのか見に来た。食事の時は、油身の大い部分をわざと私にたっぷりつけていた。

最初の主人との子供は2人で大きくなっていた。1人は農夫になっている。2度目の主人との子供も2人。娘は家に居たし、息子は寄宿舎のある私立の学校にいて、時々家に帰って来ていた。

Pは私が子供を教えて1時間に$20、00取るのは高いと言い、一体ピアノなんざ弾いて何をする気か?と尋ねた。2度目の主人が子供と過ごすために子供を迎えに来ると彼女は顔をそむけて決して見ようとしなかった。私にやっていることは全てに人にしているんだなぁとガラス戸に映る歪んだ人間関係を食事をしながら見ていた。

Pのいじめは様々であった。私は家に寄り付かなくなり、電話で現状をアナウンスしてはウサを晴らした。その時得た私の電話番号は0070番という誠に奇妙な番号だった。


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by mhara21 | 2016-11-10 00:00 | 後追い日記86年 | Comments(0)

後追い日記1986年19・音楽院の不思議(10月30日)

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#日 記 音楽院の不思議

音楽院の不思議。
調律中のピアノを見た事がない。
ピアノの先生は、「音が狂っている」とい言う事はないけれど、
他の楽器の先生は「狂っている」という。
私は正直、狂っているかどうか気にならない。

母は一度も「絶対音感」という言葉を口にしなかった。
私はこちらでいう「Ear test」はよく出来る。
他の楽器でも、どの音かよく分かる。
だのになぜ狂っているピアノで音当てができるのだろう?
5年目に入った音楽院の不思議だ。
「天然音感」という言葉はないのだろうか?

ピアニストの演奏にはそれぞれ顔つきが違うように別の音感が感じられるのだ。
もっともこれは「音の感じ」ということだけど。


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by mhara21 | 2016-10-30 00:00 | 後追い日記86年 | Comments(0)

後追い日記1986年18・ アベッグ(10月7日)

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#10月7日 日 記

念願の「アベッグ」の譜を取り出す。
82年10月7日、トロントに全てがあると神様にお願いして戻ってこられた都市での生活。
「アベッグ変奏曲」は、可憐に弾くのが難しい。
テクニックがゴツゴツでた演奏は、好きじゃない。
テーマが単純ゆえに難しい。

 以前掲載のアベッグのエッセイ
アベッグ変奏曲1へ   
アベッグ変奏曲2へ



グレードXの頃にはお話を作って曲は弾けなかったけれど、今はパルティータ#6のファンタジーとして、この物語と映像を基(もとい)にして音楽にフィルム効果を与えようとしている。

天国の神様に捧げてみたい。


以下は以前掲載パルティータ#6のエッセイ 
パルティータ#6へ 

天国に一人の神様がいる。落ちこぼれである。人間一人一人の心の中をのぞいてみては、ひどいノイロ−ゼ状態になっている。天界では、エリ−トの神々が毎日を自信満々に輝かしく過ごしているのに、彼のウツ状態は日増しにひどくなるばかり。人間に対する不甲斐無さと怒りが相まって、支離滅裂の感情が地球の未来の破綻を思いはかり、ついに爆発する。 これがバッハ、パルティ−タNo.6の出だしのトッカ−タである。

続くフ−ガは憂うつな気持とそれでも限りない愛で、私逹一人一人にこれ以上は近づけない程に思いやりを持っている故の彼の孤独、そして彼の高い理想をあらわす、が、どうしようもないトッカ−タに戻るのである。

このような神としてのあるまじき辛さ、苦しみは、個人的な神経の細さのみによって起こるのであろうか? 悲しみと自嘲、地球の事から気が話せない切ない想いのアルマンド。しかし神の国のウツ病のなんという美しい様子よ。

やはり女だった、彼が地球に惹かれる訳は。なんていう事だろう。宇宙には自分と同格の女神逹が住んでいるのに、神が人間の女性に恋をするなんて。


ク−ラントは、地球に住む一女性の美しさを讃える。セックスを通してのみ神の世界に突入し宇宙に舞い上がる、やや風変わりでおしゃべりの止まるところのない、極めてデリケ−トで業の中でのみ神のエネルギ−を発する不思議な女性。落ちこぼれの神様には、女神より魅力的に思えてならない。

次に続くAir.(民謡)これは、神が朝、シャワ−を浴びているシ−ンである。後半部の11度の音程の飛びの連続は彼の発声練習の部分で、神故に音程も広いのである。

サラバンド。天国のシングルバ−でひとり酒に身を慰める神の姿と心情。もうあの娘との恋に一筋の希望すらないのだろうか。それにしても神の国のこの酒のなんと美味なこと。
 続く、ガヴォットでは、テンポの設定は、ピアニストに任されている。一人、とぼとぼ、よろよろ、又は、自制がよくきいて、足どりも軽く、あるいはホロ酔い加減で家路に着くかは、一にあなたの好みである。

ジ−グ。最後にこの神は一段と成長した姿をみせ、又、神としてノイロ−ゼより完全に回復して、人類に向かって叫ぶ。

頼む、頼む、地球は危ない。みんな、みんな、神エネルギ−を出して下さい。地球を救って下さい。もう時間が、少ししかありません。お願いです。誰にでも出来る事なのです。2度と戦さの悲しみが人類に起りませんように。あなた逹の心で、それが作れるのです。私は、こんなに苦しみました。苦しんだからこそ、みんなに頼めるのです。お願いです。私の願いを聞き入れて下さい。

以上は、1985年9月、ニュ−ヨ−ク市で開かれたグレン・グ−ルド祭の時、ニュ−ヨ−ク・グレン・グ−ルドファンクラブ会長ピ−タ−・ワ−シャウ氏が、トロント・グレン・グ−ルドファンクラブ代表原真砂子氏に、「パルティ−タNo.6は、作品として支離滅裂だ、各曲を通してイタリア協奏曲のようなユニティ−(統一性)がない」と酷評した際、会場でMASAKO HARAの心に、各曲より絵のように流れ出たパルティ−タ第6番のお話である。


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by mhara21 | 2016-09-15 11:58 | 後追い日記86年 | Comments(0)

後追い日記1986年17・ 樹木@アーサー通り(10月)

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プリンス・アーサー通りに1本だけ早々と紅葉するカエデがあった。
とにかく小さいのと、それに負けまいとするようにいの一番に紅くなる。
いつしか自分の姿を見るように眺めた。
この樹ともお別れになるのか?

セント・ジョージ駅のすぐ横に良さそうなマンションが建っている。
住所番号は、55。
なんとなく羽振りが良さそうに思えて、本当はこういう所に住んでみたいと憧れていた。
学校に近すぎて歩く事が出来ない。
座りっぱなしのピアノの稽古は、血流が悪くなるので、なるたけ駅から歩いたり、学校へ徒歩で通える範囲の場所がいいに決まっている。

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写真:シーズンが違うけれど、プリンス・アーサー通り 
        住所番号55のコンドミニアム




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by mhara21 | 2016-09-01 13:29 | 後追い日記86年 | Comments(0)

後追い日記1986年16・下宿探し (10月)

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#10月下宿探し

面倒な家探しが又始まった。
下宿はその頃、2人の男性が入替わり立替わりで入って来て、西隣りの部屋に住んでいた。前に私が住んでいた部屋だ。とにかくルームメイトが1人だけというのは静かでよかった。S家とのお別れに当たって、あの大好きなラフマニノフのレコードを「記念品として下さい」なんていうのを思いつかなかったのはつくづくよかったと思う。
その後S氏は97年に亡くなった。
現在夫人が住む38 Bright St. の家に今もあのラフマニノフの弾くトロイカを含むヘンデルの「調子のよい鍛冶屋」の入った名盤があるかどうか? ともかくあの演奏を思うと世の中の苦しみなど、ほとんどブったぎられてしむ。体の芯から生命の躍動があらゆる波状の震えを伝えてくれる。卒倒ものの天才の仕事!!
夫人は「ニューヨークでラフマニノフの実演を聴いたことがあるけれど、演奏が済んだ後、動くことが出来なかった」と私がこのレコードとかける度に顔を輝かせていた。

私は英語圏の人々と心底打ち解けた気はしなかった。
母国語を共有していればこそ話し込むことの出来る人々に会えたとしても、まるで聾唖者になったかのようなもどかしさに耐えられなかった。言葉が出来ないと壁があって動作すらバカになる気がした。その割には自分の感情を表わす下らないことは、喋れた。私が珍しく黙っていると「どうしたの? 今日は温和しいね」とびっくりする人もいた。語学については帰国後の猛勉強でTOEIC870点を取得したが、出だしからそのレベルでカナダ生活を始める事が出来たのならもっと恐怖心も少なく幸せだったろう。言葉が違うのは大変でしんどい。しかし人間の心が違うのはもっと辛い。

引っ越しでごった返したS夫妻がいなくなるとウクライナ人の家主が乗り込んできて、断わりもなく大工仕事を始めた。家中、土埃でメチャクチャな状態になった。


ピアノはちゃんと弾いていた。Mr.Kは「ベートーヴェンのバガテルを弾いてはどうか?」と提案してきたので作品116全曲の楽譜を読んでいた。素敵な曲だった。
ベートーヴェンを弾くのは久し振りだった。
Mr.グリンガスが「子供の伴奏をしてくれないか?」と頼んでみえたので引き受けることにした。何より汚い下宿に帰っても心が休まらなかった。家具付の下宿だったのでも家具もS家に持ってかれ、尋ねてきた友人がその有様を見て「ひどい、ひどい」と言っていた。

ピアノの生徒は益々増えた。私の演奏はMr.Kを毎週驚かせる程に上達していた。
Mr.Kとはグールドの話をよくした。
「グールドに会ったことはないよ。グールドは僕の演奏好きだったんだよ。トロントにはグールドと一緒に寝たことがあるという女性がかなり沢山いる」とウィンクして笑っていた。
「グールドの死が突然だったから日本では自殺説も出たそうです」
「自殺ではない。あの頃、僕の所にトロント総合病院の看護婦さんでグールドの世話をしていた人がピアノを習いに来ていた。その人から色々聞いていたよ」

ピアノはバガテルが弾けるとチャイコフスキーに入っていった。そして念願のパルティータ6番の譜読みに入る。あー、何たる幸せ!
ピアノが練習できる喜びは何物にも変え難かった。しかし練習が終わってバスに乗って下宿の帰るのは嫌だった。

そんなある日、新しいお弟子さんが2人増えた。その家がグールドの父親であるラッセル・H・グールドさんの家の近くだと分かると私はグールドのお父さんに会いたくなった。



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by mhara21 | 2016-08-15 00:00 | 後追い日記86年 | Comments(0)

後追い日記1986年15・新しい先生に(9月)

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#9月-2 新しい先生に

「『パルティータ6番』と『アベッグ変奏曲』と『束の間の幻影』を弾くの」と勢いをつけてマリーナに話した。
「ちょっと待ってよ」とマリーナは当惑気味だった。
「チャイコフスキーの四季も全曲弾くわ。12月に会をするの」
「ねぇマコ。それだったら隣のMr.クバレックに習いに行かない? 彼はチャイコフスキーの『四季』全曲を弾いているわよ」

夏休み中に314のマリーナのスタジオで練習すると面白いことが起こっていた。たとえばャイコフスキー「四季」の「8月」を弾くと隣から「6月」の「舟歌」が聞こえてくる。それが止まると、向こうはしばしこちらの演奏を聴いている。4月の「松雪草」を弾くと向こうから10月の「秋の歌」が聞こえてくる。

Mr.クバレックはマリーナに誰が「四季」を弾いているのかと尋ねたそうだし、私も薄々Mr.クバレックが「四季」を練習しているのではないかと思っていた。
「ねぇ、だったら今から紹介するわ。これから学校に行ってみない?」
マリーナと私はレストランから出ると2人でMr.Kを探しに学校に行った。

「これは私の大好きな生徒です。教えて下さいませんか?とても上手です。きっと彼女を気に入りますよ」
Mr.Kはうつむいて私の靴ばかりを眺めていたが、最後に顔を上げてにっこり笑った。
「これで決まったわ」とマリーナはホッとしていた。
「Mr.Kのところに行ったら、何でもMr.Kの言うとおりにするのよ。わかったわね」と言い、マリーナは生徒のレッスンに急いで行った。

音楽を勉強した人の出鱈目な仕事がよくある。
チャランポラン、練習不足、恥知らず。
それでもとにかく舞台に上がりピアノを弾く図太い神経、こんな演奏会に行き会うことがかなりある。私の場合、体が壊れるほど、練習したのだからいい加減ではないにせよ、その体力を考えれば無謀なプログラムだった。

9月に入るとS氏が
「引っ越すことになるので新しい下宿を探してほしい。
 新しい家は小さいので、あなたを連れていけないのが残念よ」
と夫人。
なんと犬のピピンは薬物注射で殺されることになったという。
大きな犬も暮らせない小さなお家。




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by mhara21 | 2016-08-05 00:00 | 後追い日記86年 | Comments(0)

後追い日記1986年14・マリーナの苦悩

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#マリーナの苦悩

マリーナと私は、和食レストランで食事をしていた。
「最近の親がよくわからない。昔の生徒の親たちと接していた時と比べると思いもよらないトラブルが起きるわ」
マリーナは深い憂鬱に沈み込んでいた。
「一体、私が何をしたというの? 彼らは美しい音楽を得て、十分上手になったと思ったら、親が必ずおかしくなる」

私は、その原因を尋ねられていると思った。
「時代が一世代変わったのかもしれないけど、昔の優秀児たちの親のレベルが、先生のレベルに近かったのだと思います。彼らは何を感謝して、あなたのレッスンにどんな内容があったか、ずっとよく理解できているから」
「でも、こんな騒動が起きて、一体世間の人は、私と彼らの事、何と言うと思う?」
「多分、『あなたが子供を利用して、子供が先生を嫌い出した』でしょう」
「やっぱり? ロシアでもピアノの先生は女性が多い。反対にヴァイオリンの先生は男性が多いので、同性でない主婦とは問題が起こらないの」
その訳はよくわかった。
自分に何もない母親ほど、子供に賭ける。
そして中身のない人は、自分の子供の出来がいいと威張り出す。
『私の子供が頭が良くて才能があるからこんなに伸びたのであって、あなたの力ではない』とばかりに、立派な先生と張り合うのだ。
その様子は実際に騒動を起こしていた母親たちに車に連れ込まれたり、家に呼ばれたりして、散々聞かされていた。
マリーナはそんな事も少しは知っていた。
「何を聞いたの?」と聞かれたけれど、知らないふりをして、彼女に嘘をついていると思われた時もあった。

私は、静かに切り出した。
「それに私はあなた程、できないところを神経を使って情熱を注ぐ先生がそういないと思っているの。生徒の事を気遣って下さるし、彼らは、他の教師を知らないから、それに慣れてしまっている。出来上がったあなたの生徒を手に入れる教師は、あなたが育てた花をただ摘み取っているだけだと思うわ」
この言葉にマリーナは深くしみじみと頷いていた。

音楽院が、音楽はさておき、欲望と競争のヘドロからメタンガスが発生する場所とは知っていた。また音楽を志す人が、実は心から音楽を愛する事の出来ない人たちだと知るのに、時間はかからなかった。
でもただ好きで上手になりたい一心で希望に燃え、勉強していたので、まさかすっぽりその渦に巻き込まれるとは思っていなかった。




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by mhara21 | 2016-07-15 00:00 | 後追い日記86年 | Comments(0)