合い言葉GG
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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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カテゴリ:8月のゴルトベルク( 5 )

8月のゴルトベルク5

8月のゴルトベルグ1へ

 グールドがデビュー版のライナーノーツに引用したボードレールの詩

    108 愛し合う男女の酒
今日大空は素晴らしい!
銜(くつわ)も拍車も手綱もなしで
酒に跨がって出かけよう   
夢幻と聖さの空めざし!

悪質の熱に苦しむ
天使みたいに、                      
朝の気の水晶と青澄む中を截り進み
二人して遙かな夢を追い行こう!

心得顔の竜巻の
翼にやんわり運ばれて
二人は同じく恍惚と、

恋人よ、並んで泳ぎ、
ひたすらに、ただまっしぐらに
僕の夢想の天国へ、逃げて行こうよ!
           (堀口大學訳)
 シャルル・ボードレール(1821~1867)の1861年版から引用。

 私の人生最期の時には、グールドがこの詩と共に迎えに来てくれる。来世は、愛児にたとえられて、「撫子」と呼ばれた花となり、グールドの墓地に咲いていよう。日本では時代と共に花を「常夏」「唐撫子」「大和撫子」と呼ぶ。西洋では「ピンク」。ウィリアム・モリスはナデシコを「花環にふさわしい星をちりばめた花」といっている。
 初夏に咲く「ナデシコ」の種類と花言葉は次のとおり。
<かわらなでしこ>大胆  <せきちく>女性の愛
<ピンク・インディアン> 八重咲:いつも愛して、一重咲:嫌悪
<ピンク・マウンティン> 濃紅:野心、赤 八重咲:純粋で熱烈な愛、
                一重咲:純愛、絞り:拒絶
<アメリカなでしこ>   白:器用・才能、 紅絞り:慇懃・才能

 「8月のゴルトベルク」は8月の午後、ゴルトベルクを練習したくない時間に書かれた。凡人である私が2人の天才、バッハとグールドから多く与えられ、守られてきたかを確認する作業となった。









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by mhara21 | 2007-02-13 09:53 | 8月のゴルトベルク | Comments(0)

8月のゴルトベルク4

 「8月のゴルトベルク」という題は韓国映画「8月のクリスマス」(青年が先に死んでしまう恋人たちの映画)にちなんでつけた。

 1987年には思うところがあって、音楽から意図的に遠ざかり、グールドを忘れて暮らしていた。

「マコ、ゴルトベルク弾いてみない? 僕、あの曲のことを誰かが、そんなに考えているのが嫌なんだよ。いつまでも15才の時に起きたことを根にもって暮らすのはよくないよ。あの曲、マコなら毎日2時間弾いて3ヶ月で弾けるよ」

「ほんとう?」

「本当だとも」

「15才の時のように弾けるの?」

「弾けるさ!」

「何かをあんなに信じられる状態になれたらいい」

「そうとも。今みたいな心で生きていて、こちらに来て幸せになれると思 う?」

「思わないわ。クバレックに師事していた時に弾いていたシューマンの『アベッグ変奏曲』が一番難しいから、先に弾いて様子をみてからにするわ」

「わぁ よかった。やっと弾いてみる気になってくれた」

 声の主に質問した。
「本当はグレインジャーのピアノ曲を弾かせたくないからじゃない?」
「180時間で弾けるって、世界レベルに弾き上がるの? それとも譜をとるだけ?」

 返事はない。

 ゴルトベルクを光源氏を巡る女性たちの音の読み物として「源氏物語」になぞらえることができる。
 マイクロフォンを通して、音楽の伴侶を探し求めたグールドの姿は、永遠の女性を探し求めた光源氏。昔、もし「源氏物語」の女性の1人なら、「紫上」になりたいと思ったが、今は「花散里」で十分。

 年を取るにつれ、「独りで起きていても淋しくない曲」であるゴルトベルクと遊ぶのは素敵なこと。ゴルトベルクは、本来「眠れない夜の快適さ」のために作曲されたが、「睡眠薬」代わりの曲と誤解されている。私が「眠れない夜を楽しく過ごす」音楽と感じていたのは真の姿。


「8月のゴルトベルク5」へ






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by mhara21 | 2007-02-13 09:52 | 8月のゴルトベルク | Comments(0)

8月のゴルトベルク3

 さて「因縁めく」話として、1981年カナダのグールドに会いに出発する4月、グールドはゴルトベルクの再録音を開始。私がトロントに到着した5月15日の録音も記録に残っている。未知の国にただ一人、最愛のグレン・グールドに近づくときに、変奏曲のことを思い出した。

15才の時にテープを送っても、グールドに大笑いされて、聞いてももらえずにゴミ箱に捨てられたテープを送ろうとした本人が、ままならぬ英語力でもグールドに会いたいとカナダに押しかけていくのもみな「若さ」の為せるわざ。
 ゆえに「若いっていいわねぇ」と「若さ」を眩しく思うのだ。

 トロントで暮らして半年になる頃、ゴルトベルクの楽譜を買って、弾く気のない楽譜を抱えて暮らした。

 1982年8月、私はトロント王立音楽院で時を過ごしていた。8月はグールドがゴルトベルク変奏曲を再録音したことについて、ティム・ペイジがインタビューのためトロント入りしていた。インタビューは春秋社発行の「グレン・グールド大研究」で読むことができる。

 グールドが亡くなる頃は、観光ヴィザから学生ヴィザに切り替えるため米国のバッファロー市やナイヤガラフォールズ市にいた。その時もどういうわけかゴルトベルクを思い出してばかりいた。

 ニーチェの「ツァラトゥストラ」のスタイルは聖書を見本にしているので、ツァラトゥストラを30才に。なぜならキリストが教えを始めた頃、30才だったから。どうでもいいような理由なのだが、私も30才になっていた。(キャハハ、ツァラトゥストラと同い年)

 学生ヴィザがもらえなければ観光ヴィザのまま国外退去の命令が出る。そうなるとカナダに入国できぬまま日本に帰国することになる。その恐怖の中、いつしか私の心は、「ゴルトベルクを弾いた時は、この半分しか生きていなかった。倍、生きたからといって賢くはないが」と呟くように。

 学校に入学するチャンスが廻ってきて昔の一念を思い出す。そして学生ヴィザと共にグールドの死のニュース。
 悲しみに包まれてトロントに戻った夜には、モンサンジョンが撮影したグールドの2度目のゴルトベルクのフィルムがTV放送された。フィルムのグールドは、コントロール力を増して、職工のゴルトベルクを創り出している。
 「1+30+1=32」の形見をグールドから手渡されたよう。

 頭のよい、知性高く才能のある人物が肉体界を去り、乗り越えられない淋しさであった。この世にグールドがいなくなったという事実。向うが会いたがらなくても同じ街に暮らし、ピアノを弾いていればきっと会える・・・それが打ち砕かれた。

 音楽や文学、哲学の話をする人が存在し、巡り合えると信じていた私の「伴侶」はグールドしかいなかった。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく心が満たされない。グールドの旅立ちの後の人生であった。


「8月のゴルトベルク4」へ



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by mhara21 | 2007-02-12 11:35 | 8月のゴルトベルク | Comments(2)

8月のゴルトベルク2

 ここに登場するグレン・グールドは、私の人生に今も強力な影響を与える人物である。13才の時から、世界のトップ・アーティストに片思いをしていた15才の私は、グールドにコンタクトをとるには、この曲を弾き通すのが一番と「壮絶な日々」を送った。私は背中の大きな痛みとの戦いで、難曲と感じる余裕がない。

 運動曲がエーテルの雰囲気を出すところに「奥義」が秘められているこの曲の難しさは、「筋肉の深いところを演奏に関わらせることにある」。手の故障がそのまま演奏に出るので、話を15才に戻すと、元気になりたいと治療を受けたら指が前のように動かなくなった。脳に刺激が伝わった結果、内部に一時的変化が起こり、腕や指先の神経の動きを司どる機関の状態が変ったため。

 人間の生きる楽しみって何だろう。私にとっては努力して自分の人生を築きあげることだった。人の生き方や楽しみはそれぞれ違って当然だが、「神様とは、人間が生命を振り絞って努力していても、何とかマトモにこの世の生活を送りたいと願っていても、平気で人を谷底に突き落とすのだなぁ」

 大人になれば世の中には、手塩にかけた我が子を突然殺人で奪われる人々、経済的な行き詰まりで塗炭の苦しみを味わう人々、権力者によって連行されて殺される人々.....という風な事柄で溢れていると受け止められるが、若さゆえに爆弾が落ちたショックだった。

 弾けなくなってから、グールド、ランドフスカ、アンドレ・チャイコフスキー、ピーター・ゼルキン、その他の演奏家のゴルトベルクの演奏に触れ、ライナーノーツにあったグールドの「『ボードレールの恋人たち』のような音楽だ」の形容に共感する。

 私はこの曲を「永遠のタブー」として閉め出した。入学しようとしたけれど、受験すら許されなかった「大学」への思いの様なものだろう。

「8月のゴルトベルク3」へ






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by mhara21 | 2007-02-11 10:53 | 8月のゴルトベルク | Comments(0)

8月のゴルトベルク1

 人生に大きな影響を与える人がいる。生まれてから死ぬまでに関わる人々との織りなすハーモニーは、すでに前世から決まっていた楽譜のようなものかも知れない。人は自分の音符だけでは生きられない。生きるということは頭でその譜を読み心の声を出す楽譜の中に、時間を追って登場する音符(人の存在)から音楽(エネルギー)を奏でることなのか?
 運命論ではなく、音程を調節し好きなハーモニーに持っていける選択肢を与えられているのが人生なのだろう。
 ここまでは人生という「楽譜」の話。

 私の48年の人生で「因縁めく楽曲・ゴルトベルク」がある。
 1934年8月15日、18才の伯父は、ブゾーニが校訂したブライトコフ社の楽譜を東京で購入した。
「この曲はたいへん難しいので弾ける人がいない。僕は弾く人がいたら、この楽譜を差し上げるよ」と14才の母に語ったそうだ。
 1967年8月、私はゴルトベルクの全体がどんな曲なのかも知らないで、読譜を始める。
 曲は、あらかじめ聞いたことがあるかないかでは様子が違う。どの程度難しいか、どの位、好きなのかわからない。写真を見ずに見合いをして、つきあっていくうちに相手の人柄を知っていくようなもの。ゴルトベルクの各曲は短く詩のよう。上海舞踏団の踊り子の柔らかな指や手首の関節を持ち、体操の平均台が得意なピアノ学習者なら弾ける。
 楽譜校訂者のブゾーニは右利きと見えて、第20変奏の一部を右手を使うパッセージに書き直している。恐らく左利きであったバッハと同じ左利きのグールドは、81年に撮影されたフィルムの中でもブゾーニ版の指示に従っていない。


「8月のゴルトベルク2」へ






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by mhara21 | 2007-02-10 10:19 | 8月のゴルトベルク | Comments(0)