合い言葉GG
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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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後追い日記81年3 ・成田空港

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後追い日記81年を1から読む

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成田空港81年4月1日

#タイ航空
搭乗が始まる。座っていた椅子を蹴るように離れると、体全体の軽さが多少心許なく思える。

座席には小さな蘭の花。やっぱりタイ航空にしてよかった。アジアの国々の中で1番合いそうな国はタイ。行ったこともなく、タイ語を学んだ訳でもない。タイ航空の片道切符はその頃20万円近くした。

隣は優しそうな女性だ。
「私の初めての外国旅行なの。あなたはどこに住んでいるの?」
「ニューヨークよ。タイには旅行に行ったの」

「タイシルクは買った?」
「えぇ、布地とスカートを買ったわ」

「グレン・グールド知っていますか?」
「勿論よ。すばらしいピアニストね」

「私、これからグールドに会いに行くの。一緒にピアノを弾きたいの」
「おやまぁ、幸運があるといいわね」

「でもきっと恋人が多い人でしょうよ」
「あなたが一番に決まっているじゃない」

にんまりと笑ったエヴァは、数年後、結婚してニューヨークを離れた。 コートダジュールから届いた便りには「あなたの人生がどうなるのか、知りたい」

長年の治る見込みのない病気、医者や治療師とのトラブル、学校に通えるアテのない日々。子供の時から「気力のない怠け者」「過保護児」「親に甘やかされた子」と他人から言われた。

治療効果がないと治療師からは「治す気のない奴」「学校に行く気のない人」「仮病」と言われた。

母親は、妊娠中、家族に対して思いやりのない夫への激怒のストレスが、体の弱い子供を生んでしまったと責任を感じ、マコの体が痛む時は自責の念と深い愛情で、夜どおし看病をした。

音楽の世界で「この世で主流とされているものにはまやかしが多い」という感覚を得ていた母親は、医学界も同じことを直感で知る。そして薬の恐ろしさをよく知った金儲け主義でない家庭医を探し出した。
マコ自身も病院の野蛮な治療を断った。これが病弱なマコが医療からの2次被害を受けることなく、カナダに飛び出していける運命につながったのだ。

背に担いでいる荷が重くなり続ける頃に、グールドの音楽を知った。13才のマコは、バッハのインヴェンションのレコードジャケットの顔写真にしびれた。

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グールドはイナセなあんちゃんから理知的な医者まで多彩な役柄がこなせる幅広い容貌を持っている。若い頃の数々のポートレートは一流の俳優を思わせる。写真家はグールドのどんなポーズや仕草も自然で、そのままナイスショットになったという。映像を思いきり利用した着眼の良さは、彼の成功の要因となっている。

21世紀もグールドの音楽を慕う人々が増えるであろう。



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by mhara21 | 2006-04-06 10:10 | 後追い日記81年 | Comments(8)
Commented by grpspica at 2006-04-07 11:28
はなこさまのおかげで・・・写真かわいいでしょ?
Commented by muso at 2006-04-08 01:19 x
シアトルとか、ヴァンクーヴァーの写真はなかったのかしら?
ひるがえって、考えると、ボクにも責任がありそうだな。カメラを持ち歩かない人だったから。
Commented by モニカ at 2006-04-08 02:16 x
そうなのです。マサコさんもカメラを持たない人です。
だから7年の滞在中の写真は少ないです。
少ない中から、アップ出来そうなものを載せていきますね。
Commented by mhara21 at 2006-04-08 12:35
モニカさん空港の写真のサイズ小さくしてほしいで~す。ノリコ
Commented by mhara21 at 2006-04-08 16:06
そちらに送った写真のサイズ直しは無理ですか? モニカ
Commented by mhara21 at 2006-04-08 18:04
3回やてみた。サイズが小さくなって保存するのにいざもってきたら元のまま。
Commented by ノリコ at 2006-04-08 19:48 x
やったわね。インベンションが載ってる。サイズはこれくらいでいいわね。顔写真は、大山さんちの裏くらいになれば・・・
Commented by mhara21 at 2006-04-09 01:40
このインヴェンションは、グ−ルド日本デビューだった最初の「ゴルトベルク変奏曲」を買いそこね(彼を知った時は廃盤)、その後、グレン・グールドのレコードの発売を待って(その間にお小遣いを溜めて)手に入れたものだから、とても懐かしいです。
初めて針をおろした時、雑音が多くて何度も掛け直していたら、母が大笑いしながら、「それはグ−ルドが歌ってるのよ。そのまま掛け続けてごらん」と部屋に入って来たのを覚えてます。
それまで聞いていた演奏とは随分違って、楽しいインヴェンションでした。
以来、原家にはグ−ルドが鳴り続ける事になったのです。ジャケットを写真にとって、拡大して額に入れたのがまだ残っています。
このレコードは古く傷だらけ。同じジャケットのものをもう1枚買いましたが、CDでは買ってない。
当時の2000円は中高生には大きな金額でした。モニカ
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