合い言葉GG
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☆マサコのプロフィール
13才のときにグレン・グールドのピアノに 出会う。以来抱き続けたグールドに会うという夢を追って28才でカナダへ。後追い日記はその記録である。
属性はシャーマン。


☆ミクシに習って、ぬさんからの紹介状
不在の幻影から愛するひとを救い出し、グーグルキャッシュの中に愛のエクリチュールを刻印しつづける、GGの恋人。二人はもう触れあうことができないが故に永遠に惹き付けあうことができる、まるで恒星と惑星の関係のような、あらゆる恋人が夢見るユートピアに住むひとです。


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GG生誕83年・没後33年を迎えて ーーR.H.グールド宅訪問記

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  父上とレイ・ロバーツ@父上の自宅
 
1986年12月1日グールド家訪問

グールド家へのお土産には母なるフローレンスさん(グレンの実母)を賛えて大振りのカーネーションを買った。ちょうどまとめて沢山売っていたので、自分で包み直そうと思った。ハサミを借りる気もしないで手で折った花をおよそプレゼントには程遠い包みにして、いそいそとグールド家に向かった。



ベルを押すと長身の男性が現れた。
明朗で優しいつややかなおじ様だった。
「グレン・グールドも父親のラッセルさんも、人を一目見ていい人か悪い人か分かる才能があった」とヴェラ夫人はヤマハのインタビューアーに話しておられたけれど、グールド氏の柔らかな育むような視線は、苛めに耐える毎日を過ごす緊張の高い私の心には天女様のようだった。

グールド氏は、素晴しく大きな手で握手をして下さった。
佳いエネルギーが私の体に入って来た。
私は自分のヤッケを渡す時、その首の辺りの汚れが彼の目に入ったかと少し気になった。
そして応接間のソファーに腰を下ろすように勧めると、ご自分も私の隣に腰掛けられた。
「今日は寒いですね。これから雪が降ると思いますか?」とお天気の挨拶をなさった。
それからパリでのグールド展のパンフレットを見せて下さった。
そこにはシルエットそのままが1つの詩的な自己主張をしているかのようなグールドの若き日の写真があった。私は我を忘れて、その写真を見続けた。そして大きな声で唸ってしまった。
それ程にグールドの知性と利発さがファッション誌のようによく出ている写真だった。

「私は13歳の時に初めて、息子さんのレコードを聴きました。
 繊細で独自のインヴェンションとシンフォニア、
 フェニックスの羽のようにモダンでした」
「なるほど、気に入って下さったのですね」
「はい、もうそれから毎日、息子さんを想わない日はありませんでした」
グールド氏は頷いておられた。

「病気の日々を息子を思い、息子に支えられてカナダまでいらして、
 今は生き生きと音楽勉強に励んでおられるご様子。
 これぞ私と妻が『息子の音楽』に願っていた事です。
 グレンの音楽を聴いた誰かの人生が、すっかり変わって欲しい」
「その通りです」
「とても嬉しいです」
「カナダでグレン・グールドが歩いた道、行き交った道を歩く時、
 私の気持ちの深さは,口で言い表す事ができません。
 今日、ここにいられるのもグールド氏のお陰です」
「そんなにカナダと息子に感謝の気持ちを持って下さってありがとう。
 私も勇気付けられています」

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    シュナーベルのSP、LP、そしてCD

「少し昔の話をしますね・母は1920年生まれですが、
  1916年生まれの兄と戦前,台湾に住んでいました。
  日本が台湾を占領していたのです。
  兄妹は仲良くシュナーベルのSPでベートーヴェンのピアノソナタを聴いていました」
「あのレコード集は当時持っている人が珍しいもので、しかも非常に高価でした。
  遠いアジアの国で,息子が熱愛した音楽をお母様は深く尊敬していらしたのですね。
  なんと素敵なご両親をお持ちでしょう。今晩は私にとって特別な日です」

グールド氏は満足そうだった。
上品で教養深く,端正の一言に尽きるお父様だった。

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少し遅れてヴェラ夫人が入っていらした。
卒業式の写真を見せていただいた時、4日前の私の卒業式に出席しなかった事を思い出して2人に話した。何だかびっくりしていらした。
12才、小学6年生のグールドは大人臭い他の卒業生に比べて、あどけなかった。 

「私の人生は昔も今も息子さんの音楽に支えられています。
 カナダに来たこと、学生になったこと、子供の頃、闘病中に彼のサポートがなければ、
 あれだけの夢を持つことは、できなかった。
 グールドさんの音楽精神には、仏教に似た働きがあります。
 衆生をその手で救いあげるような。彼は、その自己犠牲的精神で、
 キリストのように十字架にかかった音楽家でいらした」
「親として、とても嬉しいです。
 息子が生きていたら、あなたの言葉をどんなに喜びましたことか。
 先程、サウスウッドの家内のピアノやら、思い出のSPの話が出ました時、
 私は旧宅にいるように感じました。
 息子は、根はとてもやさしい子でしたが、気難しかった」
「バートとグレンは、人がいい人か悪い人か見分ける直感力の鋭い人で。
 あなたのお話は、彼を育てたフローラが、有頂天になってしまうわ」
「息子は、自立した女性が好きでした。
 あなたはグールド財団からのスカラシップが得られるといいですね」

私は、グールドの父親に逢ったことを生涯、生き甲斐として生きた。
そのたおやかな物腰と穏やかな声を日々の励みにして暮らした。

私はグールドにガールフレンドが居たかどうか聞いて見たかったが、
そんな通俗的な質問をするとお里が知れると思い、黙っていた。
「もうお暇します」と言うとヴェラ夫人は
「これからお茶をいれようと思っていたのに」と言われた。
それから
「バート、グレンの写真にサインをしてマコに差し上げて」と促した。
その写真は今は日本の家のレッスン室に飾ってある。
グールドから贈られたサイン付のレコードジャケットと共に。

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    いただいた写真with 父上のサイン

グールド氏は「大丈夫だからいい。」という私を、
「寒いから、バス停まで送って行く。」とおっしゃった。
車の中でグ-ルド氏の大きな背中を眺めながら、私は、
「いつかグレン・グ-ルドと一緒に車に乗りたかった夢が叶った。」と思った。
「息子さんの事を思うと、今でも泣くの」と話した。

バス停にはもうバスが来ていた。
グ-ルド氏は発車したバスの後に車を付けると、そのバスを追いかけ、ある地点でバスを追い越した。
しばらく走って、グレン・グ-ルドがスタジオを持っていた「Inn on the Park」の近くのバスストップで私を降ろした。
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雪が降っていた。
「グ-ルドさん、色々とありがとうございました。フロリダへ楽しい旅を!!」
と手を振ってお別れした。
お2人は毎年、1月にはフロリダに行くと話しておられた。

雪降るカナダでの幸せな1日だった。



グレン・グ-ルドがスタジオを持っていた「Inn on the Park」
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伯父と母@台北
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by mhara21 | 2015-09-25 00:00 | エッセイ | Comments(0)
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